中国出版界のあした

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 ■秦の焚書坑儒以来、厳しい言論統制がめんめんと続く中国では今も体制批判や政治批判、あるいは社会の安定やモラルに著しく損なうなどの理由で発禁となるケースが多い。最近、またもや、すばらしい文芸作品が、発禁処分にあった。産経新聞(19日付)に報じた北京在住の作家、閻連科さん(48)の著作『丁荘夢』の発禁である。閻さんは今、発禁に対し、民事訴訟という形で抵抗している。これは並大抵の勇気ではない。そんなことをすれば、今後、業界から締め出され廃業に追い込まれないともかぎらないからだ。

 

 

 

 

 

 

閻連科さん。2006年2月

 

 

 ■私としては、この事実を広くしってもらい、日本の読者にも彼を援護してほしい、というのが記事を書いた動機だ。しかし新聞掲載の記事はスペースの関係で内容をずいぶんはしょっていたし、読みすごした方もおられるだろう。記事と内容が相当かさなることを承知でもう一度、閻連科さんの発禁事件について紹介することをお許しください。

 

  ■発禁となったのは、中国で初めて「エイズ村」を題材にした小説『丁荘夢』(上海文芸出版社刊)だ。出版社側は発禁を「不可抗力による予期できない損害」として、著者の閻さんに契約書できめられた期限までに初版の印税などを払わなかった。これを閻さんは契約不履行として上海市第一中級法院で民事裁判を起こし抵抗したわけだ。作家個人が法的手段で発禁に抵抗した初のケースだろう。で、当局はこの件に関し報道統制をしき、世論が閻さんの味方にならないように手をうった。  

 

 ■『丁荘夢』は今年1月に初版15万部で出版された。中国ではタブー視されていた河南省地元政府主導の「売血政策」で、献血器具によるエイズ感染が広がった実在の農村「エイズ村」の実体に迫った初の小説と話題になり、当初は中国メディアも結構とりあげている。産経も記事(2月21日付「中国『エイズ村』描いた作家・閻連科学氏/社会の現実、文学で訴え/当局と交渉、言論環境開拓へ奮闘)で紹介した。 

 

 ■「エイズ村」を知らない人のためにちょっと解説。90年代初めの改革開放当時、経済第一、金儲け第一にはしる河南省政府は衛生庁長の提案で、農民の血を買って上海などの製薬会社に売り、その利ざやを省政府収入にしようという「売血政策」を導入した。だが、非衛生的な献血器具や血漿を分離したあとの血液を体内に戻す献血方法でエイズが蔓延し、村民の大半がエイズという「エイズ村」が省内各地に誕生した。あきらかに政策の過失なのでこの事実は2001年、外国メディアが国際社会に暴露するまで隠蔽されていた。  

 

 ■河南生まれの農家の出身の閻さんは「私もエイズになっていたかもしれない」という思いから、現在もタブー視されているこの「エイズ村」を舞台にした小説を、三年かけて取材し昨年夏に書き上げた。魯迅文学賞、老舎文学賞という中国二大文学賞受賞ずみの実力派作家らしい、農民の生と死の陰影を描きだした骨太の作品に仕上がっている。 

 

 ■文学性の高さと出版社の尽力で検閲をクリアし出版にはこぎつけた。出版当初、閻さんは印税の一部を小説のモデルとなった村に寄付すると宣言、出版社も閻さんの心意気に感じ入って、独自に村に5万元を寄付することを出版契約条件に盛り込んでいた。 

 

 ■しかし、本の人気がでるにつれて当局も敏感になりはじめ、春ごろから「重版は不許可」との声が聞こえはじめたのだ。やがて「上層部」から出版社に「自主的に出版を差し止め回収せよ」との命令がくだる。事実上の発禁処分だ。出版社は契約書では今年三度にわけて初版の印税24万元を支払うと約束しているが、これをまだ払っていなかった。出版社としての5万元の寄付の約束も履行されていなかった。

 

  ■「出版社側も多大な経済的損害をこうむった」というのが理由だが、閻さんは「エイズ村に収益を寄付するという約束は当時報道もされ、出版社の宣伝にもなった。それが守れないとなると、読者を騙したことになる」とあくまで契約の履行をもとめ、2回、出版社に手紙を出している。しかし、出版社は無視。そこで8月29日に上海市第一中級法院に契約履行を求める訴えを起こした。

 

  ■当初、この裁判について北京青年報など三紙が閻さんを支持し報道した。しかし、今度は全国のメディアに、閻連科関連の報道を一切禁ず、との通達が国家新聞出版総局の名で行われた。国家新聞出版総署とは、出版物検閲専門の政府機関である。映画テレビなど放送の検閲は国家ラジオ映画テレビ総局が担当するが、いずれの上にも、党中央宣伝部が君臨する。当局は、人気作家で人道主義の閻さんが報道によって世論の支持を得るのを恐れたためだろう。

 

  ■上海文芸出版社は産経新聞の電話取材に「ノーコメント」だったが、出版社も気の毒といえば、気の毒なのだ。15万部も刷って宣伝費もかけて、商売にならなかった。しかし、これは単純に契約をめぐる作家と出版社の衝突ではない。多くの作家らは「表現、出版の自由を脅かす背後にある権力への抵抗。歴史に残る裁判」と見ている。 

 

 ■中国では、ご存じのように厳しい言論統制が実施されている。政治的敏感なテーマの書籍はたとえ文芸でも発禁対象。しかし昨今は当局も、文芸作品の発禁処分が「なんでそこまで?」と世論の反発を招くことを知っており、「発禁」とあからさまな命令をするのではなく、巧妙に出版社に圧力をかけ「自主的検閲、自主的出版差し止め、自主的回収」させる自主規制の形をとっている。こういう形の発禁の場合、それに伴う経済損失の責任は、出版社にあるのか、当局にあるのか。裁判は発禁の経済的損失に対する責任の所在を初めて公の場で問うことになる。 

 

 ■初公判は十月中旬。閻さんは「法律が公平であれば勝つ。敗訴すれば、私の作家としての中国の立場は大変厳しいものになる」という。実は閻さんは『丁荘夢』の前に、2005年発表の『人民に奉仕する』(邦訳は文芸春秋刊)も発禁処分にあっている。連続二度目の発禁処分なのだ。今回の訴訟は本当に耐え難きを耐えた上での決断なのだ。だから、どうか日本の読者は、閻さんを応援してほしい。このままでは、この才能あふれる作家が、理不尽な言論統制でつぶされてしまうかもしれない。

 

  ■閻さんを応援するには、やはり本を読んで宣伝して彼の知名度をあげていただくことである。たとば『赤い高粱』などで知られる作家・莫言さんもひと昔前に発禁処分にあったことがあるが、国際的な人気が高まり「ノーベル賞に一番近い作家」などと言われるようになると、当局の方もてのひらを返したように彼を評価しだした。彼の代表作のひとつ「豊乳肥臀」は五年間の発禁の末03年解禁となった。

 

 ■2000年に発禁となった女流作家、衛慧さんの「上海ベイビー」(文芸春秋刊)も世界各国で翻訳され、ベストセラーの地位が確立すると、中国出版界へのてこ入れのためにも女の新作「ブッダと結婚」(講談社刊)の出版を認めざるを得なくなったのだった。

 

 ■ちなみに彼の最初の発禁書『人民に奉仕する』(1600円)は文芸春秋から売り出し中。これは文革時代の解放軍内の不倫小説のかたちをとりながら、当時の性の抑圧に抵抗した純愛の姿をペーソスたっぷりに表現した中編。不倫カップルが抑圧の象徴である「毛沢東像」を破壊しながら性的興奮を得るシーンが、直接の発禁理由と見られている。読後感が意外にさわやかで、買って損はない、と私は思う。今回の『丁荘夢』も年内には河出書房新社から出版予定だという。どうか、宣伝してください。 

 

 ■参考までに、近年の主な発禁本(出版計画段階での発禁も含む)リストを。

 

2000年 小説『上海ベイビー』(衛慧著、邦訳版文芸春秋刊)2000年 論文『中国現代化の落とし穴』(何清漣著、邦訳版草思刊)

2002年、論文『対日新思考』(馬立誠著)

2003年、手記『遺情書|私の性愛日記』(木子美著)

2003年 論文『中央宣伝部を討伐せよ』(焦国標著、邦訳草思社)

2004年、ルポタージュ『中国農民調査』(陳桂棣・春桃著、邦訳版文芸春秋刊)

2005年、小説『人民に奉仕せよ』(閻連科著)(邦訳版文芸春秋刊)

2005年、論文『鉄と犂』(余傑著)

2006年、ルポタージュ『ニュースで今に影響を与える|氷点週刊の記録』(李大同著)

2006年、小説『丁荘夢』(閻連科著)  

 

発禁とは別に、出版社の自主検閲(本当は当局の指導)による原稿削除、書き直しはかぞえきれないほどある。

 

 ■現在、中国の出版業界が長い長い不振に陥っている一番大きな原因は海賊版の氾濫ではなく、過剰な出版社検閲、発禁処分で、作家や作品をつぶしているからではないかと思う。本当に中国本土からノーベル賞作家を出したいなら、まず不条理な検閲や発禁を考えなおすべし、とここで、こそーり中国当局にむかって愛あるアドバイスをささやいておこう。

 

 またもや長々と推敲もしないまま、書いてしまいました。読んでくださってありがとうございます。字数制限がないと、文章がだらけてダメだね。

「中国出版界のあした」への16件のフィードバック

  1. 氷点の時も思ったのですが、ちゃんともの言う人たちが中国でも現れ始めたのは、少し驚きですね
    オレは何も出来ないけど、最後までくじけずにがんばってもらいたいですね

  2. これまでは書く人たちの苦悩を人民が知ることはなかっと思いますが、みんながブログを書き出した今、少しづつ解かりはじめるかもしれませんね。
    僭越ですが、拙ブログTBさせて頂きました。お時間のある時にでも覗いて下さい。

  3. 本来、昔から中国文学の素晴らしさは日本人も
    認めるところですよね。誇れるものを隠し劣等
    と憎悪を植えつける救いようの無い国ですね。
    「毛沢東像」を破壊しながら性的興奮を得る 
    今の日本では想像出来ない表現ですね
    しかし、芸術、文学は逆境、苦悩から
    生まれるんですね皮肉なものですね。

  4. sarahさま:中国も変わってきている部分はあるのだと思います。なかなか面白い現象です。

  5. sakuratou さま:そうですよね。ブログの流行で、中国の普通の人たちが、書いて発信することのおもしろさも知ってきたし、中国でものを書く不自由さも体感していると思います。

  6. benkei さま:莫言という作家に以前インタビューしたとき、彼が好んで用いる表現法の「マジックリアリズム」は当局の検閲をかいくぐるために磨かれた文章テクニックだとおっしゃっていました。だから、表現の不自由の強い国ほど、芸術水準も高い、と。厳しい環境だからこそ、そこで生き抜いてきた文学はより輝いているかも。

  7. 言論を抑圧する政権が永続したためしがないが、支那ン千年の歴史からすれば50数年なぞはまだまだチョットの時間なんでしょうかね。文化芸術は高きより低きへ流れるということだと、海外から流入する文化(漫画も)の氾濫はまさに支那共産党の政策の結果ですね。日々の仕事に追われてご紹介いただく書物に手を出せない自分がもどかしいです。支那現代の農民文学とかは作家共々海外に連れ出して、各国語で出版されるのが良い結果を生むのじゃないかと愚考します。

  8. 新聞だけでは分からない貴重な報道有り難うございます!
    大変大事なお話です!
    ちっともながすぎるとは思いません。
    iza!は大成功でした!
    福島さまはじめ、貴社の記者の皆様はご負担が増えて大変だと思いますが、これからもよろしくお願い致します。
    トラックバックさせていただきます。

  9. エイズ村についてはたしかドキュメンタリー番組を見たような気がします。NHKだったかな?すみません、どの局だったか良く覚えていません。エイズの村人が偏見に苦しみながら政府の責任で救済してくれと訴えるような内容だったと思います。
    記事では今ひとつよく分らなかったところが明確になりました。貴重な情報をありがとうございます!
    検索してみたら「人民に奉仕する」は日本でも購入できるようですね。さっそく注文しました。氏の応援という意味もありますが、内容が面白そうでしたので・・・。

  10. こんにちは。
    福島さん、本題から外れて申し訳有りません。
    今日の貴女の記事によると「SK-Ⅱ」に怒りP&G上海支社が襲われた。と有りますが、話せば解決できることが「暴動」ですか、他の地域でも暴力事件発生とも。
    国民が暴動起すほどの問題でしょうか?暴動起してどうして解決できると思っているのでしょうか?
    自国に反発できないから、弱い所を狙っているのでしょうか?それにしても恐れ入るやら、あきれるやら困った国民の文化です。いや文化などという言葉は使えませんね。
    「分化」という言葉に申し訳ないから。

  11. チャンイーモウやチェンカイコーの初期の映画を観た時に、
    共産党時代のソ連、ポーランドなどにおいてタルコフスキーだのワイダだの、優れた映画作家が産まれたのと同じ事が起こっている、即ち天才は自由の制限という負のエネルギーに満ちた状況までも(こそを?)を血肉として、目も眩まんばかりの芸術的表現を産み出すのだと、そう感じたものです。
    ところが、チャンイーモウが堕落したように、最近の若手作家の作品には奇を衒った、パッションに駆られた(理性の抑制を欠いた、“共産党がなんじゃい的な”)マスターベーション的な物が少なくないのではないでしょうか? 

  12. nhac-toyota さま:そうそう、優れた作家はみな海外ににげて、エミグラント作家になってしまうので、中国はなかなかノーベル賞作家がでないのです。

  13. お絵かきじいさん さま:励ましのお言葉、感謝感激です。これからもちょくちょくお寄りくださいませ。

  14. 小龍景光 さま:「人民に奉仕する」買っていただいて、閻さんにかわって感謝いたします。中国のエイズ問題も根深く、ずっとウォッチしています。また、もっと詳しくご紹介する機会がありますので、また寄ってください。

  15. くぼた さま:中国はかつて文化豊かな国でしたが、文化大革命で、文化や礼節を破壊しまっくってからその後遺症がめんめんと続いているようです。文化というのは長い歴史に培われるものですが、破壊するのは結構、簡単なのかもしれません。

  16. riceshower さま:文革の苦しみをかてにした、チェンカイコーら第三世代監督の初期の映画は実にすばらしかった。優れた才能は苦しみの歴史も表現の不自由もみな血肉にしていく、と私も感動しました。でも、中国共産党は、その才能を金と名誉と褒め殺しでダメにしてゆく方法も知っていたのでしょう。

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