中国報道のあした その2

Pocket
LINEで送る

スポンサードリンク

 

「突発事件応対法」 

中国メディアの反発で政府は譲歩
何が変わったかって、中国記者、編集者の意識が変わったのだ。


  ■と、長い文章なので、見出しを最初につけてみた。これから紹介するのは、最近、中国の報道の自由に絡む問題で話題になった、「突発事件応対法」をめぐる論争だ。


  ■年内の立法をめざして、先月下旬(6月26~29日)の中国の全国人民代表大会常務委員会に「突発事件応対法」草案が初めて、提出された。国民の命や社会の安全にかかわる突発事件(疫病、広域災害、大事故や広域汚染など)が発生したとき、迅速に指揮系統を確立し対応、処理するために必要な法律とされ、2003年春に中国を襲ったSARS(新型肺炎)大流行の反省をふまえて必要論が盛り上がっていた。

 

 ■だが、その草案には以下のような条文が含まれていた。


  第45条、突発事件が発生したさいは、人民政府が統一的に対処し、適時に性格に統一的な情報を発表、同時にメディアの報道を管理する。

  第57条 メディアの突発事件に関する勝手な報道、虚偽報道を禁じ、違反したメディアには罰金5万元以上10万元以下の罰金を科す。


  ようするに、非常時の政府による報道統制に法的根拠を与える内容になっていたのだ。ちなみに、この条項は香港、外国メディアにも適用されるという。

 

  ■当然、海外メディアは猛烈に批判した(私の原稿はボツになったが)。だが、新鮮だったのは、中国の新聞や学者からきわめて強い反発が巻き起こったことだ。中国の新聞はすべて、この法律がなくとも常に報道統制下にあり、今も炭坑大事故だの農村の暴動だの勝手に報道できないことになっている。いまさら、中国政府が突発事件の際に報道統制するといって驚いたり、怒ったりするほどのことだろうか。

 

 ■しかし、各紙は社説などでこぞって反対の主張を展開したのだ。

 第一財経日報(6月26日付け社説)は「突発事件応対法はメディア不在であってはならない」 という題で「もし政府がさまざまな考慮の末、適時に情報を発表をせず、虚偽の報道をするに至った場合、新聞に独自報道の権利がなければ、その結果はとても楽観視できない」「新聞メディアの積極的作用を建設的に発揮する上で不利。人々が全面的に適時に状況を知るのにも不利」と厳しく批判した。


  南方都市報(26日)も「報道制限は突発事件応対法を後退させる」との見出しで、「世論の監督を否定するに等しく、理解できない」「政府が正確な情報を適時発表するというが、世論(を代弁するメディアの)監督がなければ、誰がそれを正確だと判断するのか」と反論した。

 

 中央紙の法制日報ですら、「突発事件への応対はバランス感覚が必要」として、「突発事件の応対は政府の責任で、適時に政府権力を発揮して事件を処理しなければならないが、法治主義の最後の一線は放棄できない。」とあいまいな表現ながら、報道統制条項が、政府に権力を与えすぎと批判している。


 ■マスコミ学専門家、学者も軒並み抵抗した。

 

 「突発事件の発表を政府が全部管理すると、メディアの世論監督権と大衆の知る権利が保証されない」「(中国人民大学新聞学院の喩国明副院長)

 

 「むしろ、メディアの取材報道の権利保護を先に立法化すべきだ」(北京大学マスコミ学院の徐泓副院長)
 

 「突発事件管理において、新聞メディアは非常に重要な役割を担う。この管理体系は、一般的な職業道徳によびかけ、賞罰規定を公布しただけでは完成しない」(人民大学新聞学院の高鋼副院長) 


 ■「取材報道の権利保護」「大衆の知る権利」「世論の監督」なんて言葉がが中国メディアや学者から飛び出すなんて!中国メディア側はもはや、自分たちが「党の喉舌(宣伝機関)」ではなく、「大衆の代表」であると確信しているのだ、とこのときつくづくと感じた。 

 

 ■予想以上の激しい抵抗に、国務院新聞弁公室は「同法の目的はメディアが根拠のないデマや情報を報道することによって、社会をミスリードし、社会パニックを引き起こすのを防ぐため」であり「真相報道の不利にはならない」と説明。また「公式発表が適時かつ正確でなければ、政府の責任者は処罰される」と反対派をなだめにかかっている。しかし、きっとスポークスマン自身、自分の言っていることに説得力がないことをわかっているだろう。


 ■なにせ、この法律の必要性を感じさせたSARS禍は、衛生省の事実隠蔽によって引き起こされたのであり、それを暴いたのは、退役軍医の勇気ある告発と、それを報道した海外メディアなのだ。中国において、報道が権力を監督することの重要性を大衆に知らしめた事件だったのだ。

  

 ■90年代後半から加速しているメディアの市場化、国際化、そしてSARS。何が変わったかといえば、中国人記者の意識、メディア経営者の意識が一番大きい。党の顔ばかりを見ていたメディアは、今、大衆の顔に向こうとしている。例の中国青年報「氷点」事件で、李大同があそこまで堂々と戦えた最大の背景は、劇的に変わった中国メディアの意識、そしてそれを支持する大衆があった。

 

 ■しかし、中国では「道高一尺、魔高一丈」(正義の力が強くなれば、悪の力はさらに強くなる)である。こういったメディア側の意識が変わって、反発が強くなってきたからといって、当局は報道統制強化の方針をゆるめるわけにはいかない、いやもっと押さえつけねば、とおもうものだ。報道の自由のもとに専制政治はありえない、から。現体制を維持するには、報道統制というタガは絶対はずせない。

 

 ■ただ、あまりにあからさまなやり方をすると、今回の「突発事件応対法」のように、激しい論争を引き起こして、国際社会の注目をひき、よけいにやりにくくなってしまう。「突発事件応対法」については、草案から57条の罰則規定がすでに削除された(第一財経日報、18日付)との報道が流れている。「突発事件応対法」より「政府情報公開法」を先に制定することにしたようで、とりあえず、表向き、当局が譲歩したかっこうになった。


 ■だが、報道の自由をめぐるメディアと当局の戦いは、これからだ。メディアの意識が変わってきたことに気づいてきた当局は、報道統制を強化するにも、より巧妙な作戦に転じつつある。どんな風に巧妙か、ということは、次回に紹介する。

Pocket
LINEで送る

「中国報道のあした その2」への3件のフィードバック

  1. 中国の報道について、メディア側の意識の変化に、私も期待しています。しかし、福島さんのおっしゃる当局の巧妙な戦略とは?次回が非常に気になります。
    私は最近、松花江公害事件や残留農薬問題などで、人民の環境への不安と、当局に対しての不信が高まっているように思います。環境問題が中国のアキレス腱になるような気がしてならないのですが。

  2. 民主化という政治じゃなく、環境汚染というテーマが報道やメディアの自由化を促進するような気がします。中央政府としても地方政府の行動規範を求め、監視するのに市民の声を利用する方が有効となるのではないでしょうか?
    早いところ環境汚染対策をとらないと、えらいことになる。風は西から吹くし、海はつながっていますから、その影響はもろに日本を襲うことになる。
    政治の民主化は中国国内の問題なのであれこれ口を挟んでも仕方のない部分があるが、環境問題は東アジア全体の問題です。
    政治、経済ではなかなか東アジアの歩調は揃わないでしょうが、環境問題を中心に新しい協力関係を築いていけばどうでしょうか。

  3. sakuratouさま、MAO@マチともの語りさま:読んでくださってありがとうございます。私も、環境問題、そして疫病が中国のアキレス腱であり、報道の自由が本当に必要な理由だと思います。中国の環境意識と衛生観念をみるにつけ、広域環境汚染と、新型インフルエンザの蔓延は、目にみえないけれど、すぐそこにありうる危機という気がしてなりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">