中国映画のあした

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 ■中国の放送・放映コンテンツ検閲の総元締め国家ラジオ映画テレビ総局(以下ラテ総局)はこのほど、婁燁(ロウ・イエ)監督(41)らに今後五年の映画制作禁止を言い渡した。彼の新作「サマー・パレス」(頤和園)が当局の許可なしに勝手にカンヌ映画祭コンペティション部門に出品したのが許せないというのだ。中国映画関係者らは「当局のセンスは10年遅れている!」と天を仰いで嘆いたとか。

 

 ■「頤和園」、実はまだ観ていない。海賊版DVDすら見つからないのだ。ふつう国内上映禁止にあってもDVDはちまたに出回るものだ。が、聞くところによると、今回の「頤和園」に関しては、国家ラジオ映画テレビ総局だけでなく、党中央宣伝部が相当激怒していて、取締りがすごく厳しいらしい。
 

 ■映画関係者によると、この映画、天安門事件(1989年)でゆれる北京を舞台に地方からきた女子大生とイケメン都会派青年の恋を描いたラヴ・ストーリー(悲恋もの)で、政治的メッセージは薄いという。しかし、2時間半の上演時間中、いわゆる天安門事件についての描写が当時のニュースフィルムを挟みながら20分間あるらしい。そのうえ、主演2人のアンダーヘアを露出した濡れ場など中国映画界の「セックス・レボリューション」とささやかれるほどの過激な性描写が盛り込まれている。

 

 ■この内容では党中央宣伝部にしてみれば「この野郎、ケンカうってんのか!」とも思うだろう。その激怒ぶりを示す証拠に、5月のカンヌ映画祭についての中国報道はほとんどなかった。映画関係者によれば、宣伝部から「カンヌ報道を一切禁ず」という通達が各メディアに出されたそうだ。「上海の映画雑誌は現地に2人も記者を派遣して大特集をやるつもりだったが、その通達を受けてあわてて記者を呼び戻した」と関係者はいう。

 ■ロウ・イエといえば、張芸謀、陳凱歌ら文革体験世代「第5世代」監督に続く「第6世代」監督の代表格。1998年に中国初のインディーズ映画制作会社(というより事務所レベルらしいが)「ドリーム・ファクトリー」を設立し、外国からの資金などを得て、確信犯的に中国の検閲に抵抗した映画制作を行っている。彼の映画は、私自身は好みではないが、こういう骨のある映画人は大好きである。

 

 ■同社が制作した『ふたりの人魚』(原題・蘇州河)は2000年、ロッテルダム国際映画祭でグランプリ受賞にもかかわらず、やはり無許可出品のカドで国内上映禁止、映画制作5年禁止の処分を受けたとされる。
もっとも、蘇州河の処分は途中でなし崩しになったようで、2003年には「パープル・バタフライ」(紫胡蝶)を制作、当局の許可を得て正式にカンヌに出品している。これは日本占領時代の上海を舞台にした諜報戦に翻弄される男女を仲村トオルとチャン・ツィイーが演じている。

 ■ラテ総局による発禁や制作禁止処分は一般に、当局から直接当事者や業界関係者に口頭などで通達されるだけで、文書で通達されるわけでも、広く告知されるわけでもない。また、公安権力で身の安全を犯されるわけでもなく、それなりのコネと実力があれば、解禁も早い。たとえば、2000年カンヌに無許可出品された「鬼が来た!」の姜文監督は当時、映画制作、出演ともに禁止を言い渡されたが、人気俳優の姜文を中国映画に出さないわけにはいかず、02年には「緑茶」(張元監督)の主演として出演している。

 

 ■だが党中央宣伝部がお怒り、となるとちょっとわけが違う。国務院(内閣)直属とはいえ一政府機関にすぎないラテ総局とちがい、党中央宣伝部は一党独裁の要であるイデオロギー統制の総本山でありその権力は絶大だ。気に入らないヤツは政治犯や経済犯に仕立て上げることだってできるのだ。実際、党中央宣伝部に逆らった報道で逮捕されたり起訴される記者、編集者は後をたたない。

 ■だから、ラテ総局の処分には「まあ、そのうち何とかするさ」と気楽に構えている業界人も、中央宣伝部が激怒していると聞くと顔色が変わる。ロウ・イエについても「中央宣伝部が激怒しているときけば、これまで彼に協力してきた人もやりにくくなのでは」という業界人もいる。

 

 ■こういう話を聞くと、本当に腹が立つというか、情けない気持ちになってくる。中国は映画一本の制作費が200万元から300万元。人口が多いだけに優れた俳優の卵も、才能ある監督も脚本家もそろっている。かれらはホステスをやったりテレビドラマ脚本の下書きをやったりして貧しい生活ながらも、いつか映画デビュー、と夢をもって前向きに暮らしている。

 ■もし、日本人サラリーマンが、当たり前の人生に飽き足りなくて、「よーしマンション買うのあきらめて、映画をつくるぞ!」と思いたったとき、中国にくれば、こういう映画人と協力して、格安の制作費で自分の映画をつくることのできる環境がある。しかし、その映画の理想郷の唯一にして最大の汚点が、この検閲制度なのだ。

 ■検閲により「ここカット」「ここの表現をこうなおして」と脚本やストーリーをずたずたにされ、できあがってみれば、箸にも棒にもかからない共産党礼賛のプロパガンダ映画になっていた、というケースは実際にままあることだ。(いつか、その具体例を紹介しよう)

 
 ■中国は、せっかく環境も才能も魅力的な市場もあるのに、ばかばかしい検閲制度で、映画大国となって国際社会から尊敬されるチャンスを自らつぶしている。そういう点をまったく反省せずに、映画・テレビ・アニメ市場が外国製品に席巻されている現状に、国産映画・テレビコンテンツ産業が衰退すると大騒ぎし、ハリウッド映画輸入規制やゴールデンタイム放送枠の外国番組締めだしなど、とんちんかんな方向の対策を打ち出しているわけである。ダメじゃん。

 

 ■というわけで、自称親中派として、そして中国映画好きとしては、検閲に抵抗しながらも自分の映画を作り続けようと奮闘する中国映画人の作品は外国から取り寄せてでも正規版DVDを買って応援しようと思っている。税関で没収されても何度でも買ってやる。もし、中国映画に投資しようと思っている日本企業や日本人資産家がいたら、当局推奨映画ではなく、独立系映画(地下映画ともいう)に出資してやってください。

 

 

「中国映画のあした」への11件のフィードバック

  1. ダメじゃん>
    まさに“ひとこと”ですね。それはまさしく映画というものは文化の一翼を担っているということを理解できないからではないでしょうか。
    最も、文化というものは“支那共産党を絶賛する言葉や活字や映像をさすものだ”としか教えられていない人々にとってはそうなのかも知れませんね。
    その支那のお先棒を担ごうとする“文化人”たちが日本にも多いことに愕然となる今日この頃です。まあ、ネットの普及によって急速に知ったわけですが。
    北京の天気予報を聞くと、ああ支局も暑いんだなとか埃臭いような雨降りなんだろなと妙に気に留めるようになってしまいました。

  2. nhac-toyotaさま:長くあまり推敲してもいない原稿を掲載してしまいました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。日本のリベラル派を自称する文化人には、やって検閲をかいくぐり、表現したいものを大衆に伝えようか、その苦労やジレンマと戦いつつ、表現の自由への欲求をあきらめない中国自由派文化人を応援してほしいものです。北京はきのうあたりから急にはだ寒くなりました。

  3. こんばんは。
    福島さん、しかしこの考えられぬくらいの検閲に対して13億の民の多数が黙認している現状も怖いものですが、いつになったら世界に通用する国になるのでしょう。というわが国も売国マスコミや商売人、政治化が「表現の自由」という理由でわけの分からんこと言っていますので大きな事は言えませんがね、特に福岡県人としては。気候の変りご自愛の程。

  4. くぼたさま:こんばんわ。13億のうち、過半数が本も読まない、映画もみない、ひょっとしたら字も読めない人も結構いるかもしれない農民、1日15時間くらい安い給料で働き、月2、3回の休みには泥のように眠る出稼ぎ労働者の境遇です。あと、海賊版という違法DVDコピーで、発禁映画なども、じつは見ようと思えば結構見ることができる環境はあります。ネットのおかげで、違法ダウンロードも、やろうと思えば可能です。ただ「表現の自由」がないと表現者が育たず、真の文化創造はありえないと思います。日本もけっして表現の自由も報道の自由も自慢できる環境ではないと思いますが、少なくとも「表現の自由」とは何か、という議論が許されるからいいのです。

  5. 福島様、こんばんは
    実は昨日から過去ログを最初から拝読させていただいています。現地にいる方ならでは、しかも記者の方ならではの情報満載で読み入ってしまっています。
    私は小学校の頃から祖父に論語の素読をやらされたりした影響で、ずっと中国という国に一種の憧れを持っていました。
    特に唐詩が大好きです。書ではとても一般的かもしれないですが王義之が好きです。自分自身が楷書が苦手なので一層そう思うのかもしれないですが。
    しかし、特に江沢民の時代以後の中共ははっきり言って嫌いです。ことに最近激しさを増している言論規制には心底腹立たしさを感じます。
    つらつら思うに、少なくとも共産党の指導部の人々の精神性って古代のままなんじゃないでしょうか?共産主義を標榜していますが、一皮むくと「清朝」に次ぐ「共産王朝」ではないかと思うようになってきました。
    私は父が商社マンでしたので海外生活もあったのですが、そこで知り合った中国大使館の人々との交際は実にエキサイティングなものでした。
    ですから中国には「普通に会話が成立する国」になってほしいのです。いつまでも虚偽と捏造に満ちた歴史観によって日本にたかることをやめてもらいたい。このままではどんどん中国を嫌いになっていきそうです。
    とりとめもない駄文を長々と書いてしまい失礼いたしました。
    これからまた福島様の過去ログを拝読するツアーに行ってきます。エントリーの更新も楽しみにしています!

  6. 福島さま。こんばんわ
    署名記事でお名前は存じております。
    このブログもそうですが、記事も他紙で取り上げないことが書かれていたりするので期待しております。
    最近は「無限道」しか観ていないので、よくわかりませんが、香港映画も元気ない気がします。香港でも当局の影響力はあるのでしょうか。
    ところで、福島さんの持病はミーハーだそうなので、調子に乗ってちょっと質問…
    中国映画と香港映画の作風の違いなどは感じますか?

  7. 小龍景光 さま:ぜひ、過去のログもみてやってください。紙面で日の目をみることもかなわず、ネットの広大な海にうもれてしまったかわいそうな原稿あるいはネタたちです。
     私も中国共産党政権は封建主義の王朝みたいなものだと感じています。でも、中国は嫌いにならないでほしいです。というより、一衣帯水の地政学的にも、文化、経済の結びつきの深さにおいても、好き嫌いを超越した切っても切れない仲なのですから、「あ~きらいきらいきらい」と思うだけで疲れます。それより、長い親密な付き合いなのですから、日本人はもっとずけずけと、「おまえ、そのままだったら、世界中のみんなから嫌われっぞ」と、愛あるアドバイスをしてあげた方が、よいかと思われます。

  8. hanabusa さま:はじめまして。香港映画、確かに元気がないですね。映画の活力は、経済や国の活力と直結していますから、やはり香港当局の実力や中国との関係性も影響しているのでしょう。中国映画と香港映画の作風の違いは、一昔前は比較的はっきりしていたと思います。中国映画の名作といえば、泥臭い農民の生命力や欲望、生々しさたくましさをどーんと全面に押し出した重厚なものが多かったのでは。香港映画は、カンフー、暴力、お笑い、荒唐無稽のエンタテインメントが多かった気がします。でも、最近は中国映画が香港映画を飲み込んでいるような気がします。あくまで、私の個人的な見方です。

  9. 福島様
    過去ログも興味深く拝読しています。
    >愛あるアドバイスをしてあげた方が、よいかと思われます。
    その通りだと思います。ちょっと前の拙ブログでもこのことには少しだけ触れています。TBさせていただきますので、もしも気が向いたらご高覧いただけると幸甚です。
    国を引越しさせるわけには行きません。好むと好まざるとに係わらず今後も付き合っていかなければならない国ですので、もしも真の友好を望むのであれば遠慮せずに言うべきことをしっかりと言うことが必要だと思います。
    表面的に相手に迎合して、腹の中で馬鹿にしているのは最悪ですから。

  10.  当局のお達しを無視して出品するなんて日本人なら考えられないことを中国人はやるんですねえ。
     たとえ検閲を受けることになっても、日本の文化人なら長いものには巻かれろで、言われたとおりにしますから。
     検閲前のを自分で保管しておけるなら、検閲されても日本人なら出しますよね。中国人は馬鹿だなあ。検閲してないのを海賊版にすればいいのに。えっ、ちょっと違うのか?

  11. To ブリオッシュ或いは出べその親方さん
    > 検閲前のを自分で保管しておけるなら、検閲されても日本人なら出しますよね。中国人は馬鹿だなあ。検閲してないのを海賊版にすればいいのに。えっ、ちょっと違うのか?
    それ、中国人、やっています。

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