時系列:チベットとその周辺で今まで何が起こったか。4月20日~22日

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■いよいよ、北京五輪まで100日となった。しかし、どうもうきうきお祭り気分にはなれません。自分と何らかの関わりをもった人の安否が、どうしても気になって、頭の片隅にこびりついている。一度でもチベット旅行をしたり、どこかでチベット族と友達になったりした人はやはり、同じ気持ちではないだろうか。

■29日、チベット騒乱(3・14事件)がらみで、30人が判決を受けた。3年から20年までの懲役刑、および無期懲役の判決で、死刑がいなかったことを喜ぶべきなのか、複雑な気持ちだ。彼らに弁護士はちゃんとついたのだろうか?彼らの弁護を名乗りでた良心的な弁護士らは、当局の警告を受けて介入を断念させられたと聞く。中国のネット掲示板では、この判決が甘い、みな極刑にすべきだ、という過激な意見が飛び交い、こういった意見をみるたびに、ずんと暗い気持ちになる。

■さて、今回のエントリーも、オーセルさんのブログの続き。飽きた方もいるかもしれないが、しつこくやります。

■オーセルさんのブログ(大事記の抄訳)

■4月20日

     訂正:当局がラサで発表した指名手配者の合計は169人ではなく、170人だった。

    
ラサ市公安局副局長の江再平は18日午前の記者会見で、3・14事件に参与した365人がすでに自首しているという。このほか、3・14事件に参与した証拠がある170人の容疑者が指名手配され、うち82人が逮捕ずみ、そのうち11人が自首してきた。江副局長は「指名手配の容疑者が打ち壊し略奪焼き討ちに参与した証拠がある」といい、チベット自治区高級人民法院、自治区人民検察院、自治区公安庁「連合コミュニケ」も、これらの僧侶が打ち壊し略奪焼き討ち犯罪活動に関与した、としている。

 新浪ネットで公布された指名手配犯の写真をみると、112号から170号(うち、143号、144号、155号から165号は写真がなく、121号と128号は同じ写真が重複)のうち、37人の指名手配犯が僧侶で、年齢は20才~40才の間。指名手配の時間をみると、4月11日のデプン寺で、工作チームによるダライ・ラマ批判強制に抗議したことで、指名手配を受けたと見られる僧侶たちだ。彼らの写真からみてとれる表情、様子をみると、どうみても言い訳、弁解でしかなく、一枚も打ち壊し壊し略奪焼き討ちに参加した僧侶の写真はない。これらの僧侶は、自分の寺院が工作チームの強制や完全武装の軍警の鎮圧にあった僧侶であり、3・14事件に関与した可能性の証拠がどうして有り得るだろうか?かれらは3月10日から寺院に軟禁状態にあった。

■しかも、  写真の僧侶たちは、今も指名手配中だ。しかし、かれらは大量の軍警の包囲の中にいた。殴られ逮捕される以外に、どうして逃げ出すことできたか?もっか、これらの僧侶の生死は不明だ。外界の関心を強くよびかける。

4月18日未明、40台の軍警を満載したトラックがラサ北郊のセラ寺にきて、400人以上の僧侶を連行した。セラ寺の僧侶はもともと700人あまりしかおらず、いま寺に残っているのは老人か年少の僧侶だけだ。単衣のうすい衣の僧侶は?県に投獄されている。ラサ市林周県の喝丹曲闊寺の大部分の僧侶が逮捕された。林周県の協蚌巴尼衆寺の多くの尼僧もつぎつぎ逮捕されている。

  チベット自治区および甘粛、青海、四川、雲南などのチベット地域の政府機関の職場では、つぎつぎと「ダライ集団を怒りの声で叩く」各種の会議が開かれている。これら文化大革命全盛期の元紅衛兵は、元造反派、元積極分子らは、文革中に寺院を破壊した「破四旧」(四つ旧習慣を打ち壊す)「闘牛鬼蛇神」の革命的激情を再燃させ、あらたな文革的言語で、ダライ・ラマと亡命チベット族に対する罵詈雑言、ひどい場合は身体への攻撃まで行っている。ラサの一部の退職離職幹部までが、居民連合防衛チームをつくった。これは文革中の「全民皆兵」の民兵組織と同じで、すなわち私服警察だ。

  もっか、ラサのダンスフロア、カラオケ、クラブ、喫茶店、スパセンター、足もみマッサージ店、美容院などの娯楽施設は営業を続けており、風俗業界も継続している。しかし、チベット式歌舞を中心としたチベット族の客を相手にする朗瑪庁は今にいたるまで営業が許されていない。なぜなら、チベット族が集まって何かたくらむといけないから。多くの人がラサから離れたいと思っている。商人や体制内のチベット族、体制内のチベット族の中でも兵役経験のないひとは不安をおぼえ、兵役経験のある人に対してさらに不安を覚えている。

     ラサの宇拓路からジョカン寺までの歩行者天国の通りは、沿道に盗聴設備がしかけてある

     今週金曜の18日、北京中央民族大学では、17日のろうそくをともした座り込み抗議に参加した140人の学生に自己批判書の提出を求めた。少数の学生は、圧力にまけて自己批判書にサインして提出した。4月2日、国務院新聞弁公室で記者会見があり、中央民族大学副校長の喜?瑪は、「3・14事件を指示する学生活動は発生していない」と話したが、「一部の学生は、ラサで発生した打ち壊し略奪焼き討ち事件のことを知って、不安を覚え、座り込みの形式で、安念を祈願した」ことを確認した。しかし、全てのチベット族と学生はチベットで発生した3・14事件に対し極めて大きな憤慨を表明している、とも言った。

■逮捕されたチベット族への法律的支援を提供すると申し出た21人の中国人弁護士の多くは、最近、警察から面談や電話で、介入を許さないとの警告を受けた。また得たばかりの情報によれば、今年から弁護士の年検(年に一回の資格検査)がはじまり、少なくとも二つの法律事務所は年検が先延ばしされ、約100人の弁護士が影響を受けているという。先延ばしの時間が長引けば、弁護士内部に矛盾が生じそうだ。極端な民族主義者が個別にこれら弁護士の公用メールアドレスに侮辱や威嚇のこんなメールを送りつけている。「われわれが、おまえら畜生を探し出して、目にものをみせてやるのを待ってろ。おまえらやってみるならやってみろ。チベット族テロリストの弁護なんかすれば、おまえらの命やおまえらの家族の命をうばってやる…」

 

■4月21日

      チベット日報の報道:ラサ市は正式に農牧区、都市社区(住宅区)で「分裂反対、安定維持、発展促進」テーマ教育活動を発動した。2カ月にわたって、三つのステップをすすめる。農牧居住民党員幹部と農牧居住民に対し硬軟とりまぜた洗脳教育を実施、経験を交えた訓戒、批判討論会などを行う。目的は「反分裂闘争を深化させ、ダライ集団の分裂の陰謀を迎え撃つ」という。ラサ市党委副書記で市長の多吉次珠は「活動中の発言などを、党員の昇進人事の判断材料とし、幹部の重要基準とする」との声明を出している。

■「反分裂」を主とした「愛国主義思想教育」活動はすでにチベット自治区の各地区各県に深く入り込んでいる。チベット日報の18日の報道によれば、山南地区桑日県で、二ヶ月集中して、全県と郷の広大な党員幹部職員、退職者、県人武部、県中隊の駐留軍人や武装警察、官兵、中学小学校生など青少年、農牧民と商店主、寺院の僧侶尼僧を中心とした宗教関係者に対し、愛国教育活動を展開するという。

■全県の教育対象は五つの階層に分けられ、五段階にわけて展開され、一人も見逃されることはないという。どの郷、どの県、どの地区も、同規模の政治運動が展開された。これはチベット地域を席巻し、チベット族の魂の「文化大革命」となっている。

     中国の一部公式メディアは香港のフェニックステレビのチベット自治区のシャンパ・プンツォク主席の取材を発表している。チベット「文革」の過程で、造反派の指令塔であるシャンパ・プンツォク主席の回答は分析の価値がある。

    ①彼は3月10日の平和デモを行ったデプン寺僧侶に対して取った措置にいついて、「一種の比較的適度な制御のやり方だった」という。なら、どのような制御のやり方が「比較的適度」なのか?穏やかに親しみをもって諫めることか?それとも情け無用の殴打、ひどい場合は武力行使なのか?

  ②彼は3月14日の事件発生当時、「我々は絶対に殺傷生のある武器を使用していない」といった。しかし、すでに一部の現場目撃者らは、文章や取材の中で、「銃声を聞いただけでなく、目の前で特別警察がバルコルで発砲し多くの人が死亡している」ということを明かにしている。

  ③彼は「域外のチベット独立分子と域内のチベット族が連絡をとっていた。その意図をわれわれはすべて知っている。また心づもりしてきたことだった」というが、一方で「今回は我々の予想を上回る長い画策の時間と十分な準備があった」という。予想はついていたが、制止の時が及ばず、事態の拡大を避けられなかった、ということだ。これは明らかに汚職行為があった、ということだ。

   ④彼は「法院、検察院、公安庁に出来るだけ早く連合コミュニケを出し、彼らに自首するよう要求した指名手配犯の多くはチベット族だが、その他の民族、漢族も含まれる」と言った。しかし、これはウソだ!なぜなら、指名手配された170人が全員チベット族だった。ひとりの漢族もいなかった。

  ⑤シャンパ・プンツォク主席は「最初、指名手配は40人くらいだったが、その後、50人以上になり、いままでに90人をこえた。なら90人のうち、きのうまでの段階で22人が自首し、あるいは捕まえられている。つまり現在70人余りが指名手配中だ」。といった。これはウソだ!18日のラサ市公安局副局長は記者会見で170人の指名手配を発表、うち82人がつかまり、その中で自首は11人。77人はまだ指名手配中だが、いったい逃げたのか撲殺されたのかはわからない。


 
4月17日、アムド熱貢(青海省黄南州同仁)の隆務寺の一部の僧侶が、当局にさきに拘束されていた僧侶の釈放を求めただけで、何の抗議活動もしておらず、まったく平和的な請願であったのに、当局を激怒させ、武器をもった軍警に狂ったように殴打され逮捕された。70才をこえた地元で人望の厚い?索活仏がやめるように諫めたところ、頭を殴られケガをおい、逮捕された。数人のチベット族の婦人たちが、活仏がひどい目にあっているのをみて、泣いて「私たちの活仏が殴り殺されてしまう」と命ごいをしたが、結果的に拘束された。付近の村民はあわててやってきて、止めようとしたが、彼らもすべて拘束された。一番若いものは15才、最も年長のものは75才だった。

■拘束された75才のこの老人は、軍警にやめてくれるよう哀願したが、警棒で殴り倒されたあと連行された。みんな、鉄線で両腕をくくられ、くくられ方がひどくて、肉に鉄線が食い込んでしまう人もいた。僧侶と民衆100人以上が4台のトラックにつめこまれて連行された。その後、大量の軍警が隆務寺に進入。数百人の僧侶を殴り捕らえ始めた。つづいて、僧坊を捜査し、ダライ・ラマの写真やDVDを没収、物品を手当たりしだい破壊し、僧侶の所持品を盗み、茶葉まで手当たり次第持ち去った。この熱貢僧侶民衆逮捕事件においては、430人の僧侶、民衆が拘束されたという

     ?索活仏と一緒に、活仏も拘束された。活仏たちが殴られて拘束されたことは、チベット族の大きな悲憤を引き起こした。ほとんどすべての村民が、拘束された活仏を帰してくれるよう陳情デモにいく準備をした。熱貢地区のもっとも人望の高いシャリツァン活仏は、黄南州の当局者に会って、激しくこう訴えた。「もう、われわれの活仏はこの種の事件の調停を手伝わない。われわれは調停活動に参加しないと決心した。もし、今後このようなことを続けるなら、いっそ寺院を封鎖してくれ。」シャリツァン活仏は、政府内における全ての公職を辞退した(民衆が信頼を寄せている活仏は政府から公職の肩書きを与えられ、村民の統治を手伝っている場合がある)、といううわさが民間にながれている。

  民衆の憤慨がさらに大きくなることをおそれたのか、当局は結局、?索活仏と一部の僧侶と民衆を釈放した。しかし、?索活仏は傷が重く、すでに青海省病院に移送され治療を受けている。もっか、隆寺は依然、大量の軍警の監視、コントロールをうけており、全ての仏事は停止させられている。多くのチベット族幹部も憤懣やるかたなく、一部のチベット族幹部は事務所で滂沱の涙を流している。「われわれは、季節の祭事でどの山の神のところにいき、どの神に加護を願えばいいのか?きょう、これほど多くの人が拘束されているのに、空はこんなに晴れ渡っている」といいながら。

 
   多くの当局機関の職場で、漢族とチベット族の関係は急速に悪化し、互いに罵り合うケンカが発生している。現地のチベット族は「体の傷は、体制内外のチベット族の心の傷の大きさにはるかに及ばない」「たとえ事件が終息しても、体制内外のチベット族がうけた心の傷がいやされることはかなり難しい」

 

 
これとは別に、アムド(甘省甘南チベット族自治州)の瑪曲県欧拉郷の念托寺で、今月14日、大量の軍警の突然の襲撃があり、僧坊を捜査、ダライ・ラマの写真とDVDを没収し、150人の僧侶が拘束された。

 

 
11日と16日、瑪曲県采日瑪郷の数十人のチベット族が拘束された。名前が分かっているのは18才の拉19才の洛桑傑、22才の次仁多傑、30才の擦里19才の33才の格桑傑、23?の克却、36才の恩扎とその息子の嘉托美ら。どこに拘束されているのかは不明。

 

■4月22日

 

■4月16日に四川省人事情報ネットによると、四川省政法委員会、人事庁、公安庁は2008年の公安機関の人員の採用試験に関する人民警察公告を発布した:①チベット地域の公安機関の基層派出所の採用は警務室民警付の689人、うち甘孜州443人、アバ州215人、凉山州木里県40人②また、甘孜州とアバ州では、公安機関の特殊専門職と民警をそれぞれ239人、102人募集。チベット語翻訳者をあわせて1039人を募集する。③また次のことを強調した。配偶者、直系の血縁、本人に対して重大な影響をもつ傍系の血縁、親戚、その他社会的関係において、死刑判決を受けた者や服役者、国外で国家政権転覆活動に従事している者がいる場合、受験申し込みは禁止する。

 


■チョモランマにあるシガツェ地区定日県で、昨日、シガツェ地区の五輪聖火チョモランマ安全保障決起動員大会が開かれ、政府司法機関各警備担当、各職能部門、武装警察辺境警備、消防、内衛部隊に対し、五輪の安全保障工作強化が要求された。

 

  中国国家体育総局チベット工作チームがすでにラサに入り、チョモランマの聖火リレー工作を高度に重視するよう要求。トーチがラサ入りする期間、ラサには戒厳体制が実行され、このときは、チベット族の巡礼活動(マニ車を回して寺院の回りを回るなど)は禁止される。ただし当局は対外的には戒厳体制をとっていることを認めないだろう。ラサの旅行社は自治区の批准をえて、トーチがラサについたあと、少なくとも2万人の漢族(多くが旅行社職員と観光客)を動員して、ポタラ宮広場で行われる「保聖火愛祖国」(聖火を保ち祖国を愛する)活動に参加させる。

 5月から、ラサの本籍ではなく、正式な仕事を持っていないチベット族(寺院にいる学経の外地の僧侶を含む)は、全員原籍地に帰らねばならない。チベット自治区の外にあるアムド、カムのチベット族は、一律にラサに行ってはならない。チベット自治区内でトーチが通る沿線の村もこれと同じ処置がとられる。

 

■チベット日報で「ダライ分裂集団の本質を暴き批判する一連の論評」が今日から発表された。この文章はダライ・ラマを声高に攻撃し、いわゆる「三禍一総」であると、ダライ・ラマの性質を決めつけた。すなわち、チベット人民の最も根本的な利益を損なった禍の張本人であり、チベット族人民にとって禍根であり、全国人民の禍の種であり、「チベット独立」の分裂主義政治集団の総頭目である。

 

■また文化大革命式の政治運動がチベット各地各県で全面的に展開されている。林芝(リンチー)区米林県では9つの工作チームが組織され、各郷鎮、寺院などに派遣され、「集中宣伝講話、集中批判討論、内情を調査し異論排斥、規定・制度の設立、しっかり実行」などの措置をとった。

 

 僧侶の大がかりな逮捕はまだ実行中だ。ラサのデプン寺付近の乃窮寺はもっか、4人しか僧侶はのこっていない。チベット族は互いに議論し、寺院の厳酷な鎮圧時について、憤慨するだけでなく恐怖を感じている。すべての寺院は封鎖をせまられ、おおくのチベット族は薬王山の摩崖石刻仏前で、バターろうそくを掲げて、鎮圧された僧侶と民衆のために祈祷するほかない。

ウ・ツァン(チベット自治区ラサ市林周)のサキャ派寺院ナーランダでは、17日、8人の僧侶が捕まった。アムド(甘省甘南チベット族自治州碌曲)西寺では15日と16日にあわせて32人の僧侶が拘束された。アムド(甘省甘南チベット族自治州卓尼)の多科曲拝扎西曲科寺では200人の僧侶が拘束された。アムド(四川省アバチベット族チャン族自治州若爾)の達倉拉姆格德寺、森多寺、和多却村では、僧侶の貢却塔克、丹、塔益、布達傑と村民のプンツォク(20才)、アト(19才)、プンツォク(19才)、看卓才14)が拘束された。4月19日夜、達倉拉姆格德寺の190人あまりの僧侶がこっそり寺を離れ山野に非難した。

   アムド(四川省アバ族チャン族自治区州アバ)の格爾登寺の僧侶、図松は今月16日夜、自殺した。29才だった。図松は目が見えず、自殺前に家族に次のように話していた。「このような日々に、目の見えるあなた方は絶えられないなどと言わないでください。目の見えない私も絶えられないのだから。」

■青海で拘束された数人のチベット芸人、教師、作家の状況は次ぎのとおり。:
3月31日、
青海省果洛州の民間芸人、ダバ(以前にダバイと表記)と卓瑪吉および、チベット語教育に従事していた巴千恰、恒周(倫珠)、桑南多吉が逮捕された。5人は、すべて西寧に連行され拘留され、目下の状況は不明。4月1日は青海テレビ曲の著名チベット族歌手で詩人の加羊吉が青海省の安全当局に呼び出され拘束されて今にいたる。

   ダバは、漢字表記で達貝Dabe)、またの名はダワタル、達瓦塔(Dawatar)。有名な語り部芸人で、チベットの人々は「ゴロクのダバ」(果洛達貝)と呼んでいる。彼は「瑪域格薩爾獅子芸術団」を2003年3月3日から地元政府の許可を得て創設していた。これは独立した芸術団で、いかなる外部の援助をもうけず、その主旨は地元の人々に教育や研修を行いチベット文化の発展に寄与するというものだ。研修プログラムには、舞踏科、チベット語科、漢語科があった。このような学習を通じて、一部の農牧民たちは就職の機会を得る可能性も獲得できた。彼は果洛の重要な文化人だった。彼は1990年に、「ライの恋歌」(拉伊情歌)を発表。彼の漫才は1996年と2001年に賞を得ている。また、彼は格薩爾の物語を語り歌い、《格薩爾歌語り芸術》のVCDをリリース。http://www.tibet3.com/chinese/shis/content/2007-02/02/content_196337.htmで、彼の漫才を見ることができる。

■卓瑪吉(Drolma kyi):果洛の著名歌手。彼女は、域格薩爾獅芸術団の一員で、彼女自身も「黒テント雪蓮華芸術団」を創設している。彼女は女性メンバーを募集したが、男性の参加希望者も多く、あとで、男性メンバーも受け入れた。彼女もダバの瑪域格薩爾獅芸術団から、数枚のVCDを発行し、主役も演じている。彼女は司会者としても有名で、「ライの恋歌」を歌ったテープも制作したことがある。

 

 
巴千恰(Palchenkyab):彼は“瑪瑪沁文化援助体”の責任者。これは放牧地区における識字率向上プログラムを支援する援助団体だ。つまり牧野学校の形式で、教師をはるか遠くの牧野に派遣し、農牧民にチベット語を教える。このプログラムの宣伝のために、過去数年、巴千恰とその他数人の教師らは教育的音楽VCD(「チベット族の家」など)を出版した。2007年夏、彼らは米国のNGO組織からこの教育プログラムに対し助成金を得ていた。

     恒周(またの名を珠,Lhundrup):彼は“沁文化援助体”の牧野学校のプログラムにおけるサブリーダー。彼は弾き語りの芸人でもあり、数枚のVCDに出演したこともある。彼の歌詞の内容の多くは教育宣伝か女性の生活環境改善の重要性を歌ったものだ。

  加羊吉(Jamyang Kyi)、ペンネームはmeng zhu。アムドの芒拉峡卉喇雑村にうまれ、今は青海省海南州貴南県に属する。1984年、青海省海南州民族師範専門学校を卒業し、同年,青海省テレビ局チベット語部に就職。編集翻訳などのニュース部門に08年4月まで在籍。1993年に、青海省教育学院函授大学専門班で3年間勉強した。彼女は、全チベット地域および国外のチベット族居住地域で名をはせるチベット語歌手で、少なくとも五枚のソロアルバム「黒テント」「香巴拉」「雪之韵」「遠方の恋人」「あなたとわたし」をリリース。また三枚のCD、VCD(《雪之韵》、《チベットへ》《えん》)などをリリースしてきた。彼女はまた、チベット女性・児童の権利を研究する数少ないチベット族のひとりで、女性権益方面の文章を発表したことがある。2006年3月、彼女は米国ニューヨーク市の図書館が行ったチベット歴新年会とコロンビア大学のチベット学研究討論会に招待されたことがある。彼女はまた、チベット語と中国語のブログを開設し、チベット族の若者からも人気があった。彼女の詩と文章は出版計画があった。

■ある情報によると、カム(四川省甘孜チベット族自治州色達)のある寺院で、僧侶らと付近の民衆が抗議デモ活動を行い、軍警の鎮圧を受けた。死傷者が出たという。具体的状況は不明。色達県城の人は知らない、といっている。もっかデマか本当かはわからない。

 

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