■1989年の天安門事件のときの学生指導者のひとり、ウーアルカイシさんが、天安門事件21周年の4日、東京の中国大使館に侵入しようとして、日本の警察に建造物侵入で現行犯逮捕された。結局不起訴処分になったけれど。このニュースを聞いて、日本の人は何を感じただろうか。天安門事件の記憶が風化するなか、体を張ったパフォーマンスと思った?あるいは、馮正虎さんの事件を思い出して、民主活動家がまた日本でトラブルを起こしたと思った?あるいはウーアルカイシってだれよ?とか。
■ウーアルカイシさんはウイグル族なので、正しい名前の発音はウルケシ。しかし、中国語で会話すると呼びかけはウーアルカイシさん、となるので、そのまま慣れている方で呼ばせていただく。本人はどっちでもいいそうだ。
■天安門事件当時は、まだ面影に幼さなさものこる青年で、ハンストで倒れて担ぎこまれた先で李鵬首相と会見した話とかは、日本でも報道されたから、ああ、あの人と、当時のニュースに関心をもっていた人は思いだすだろう。そういう人は、ウーアルカイシ、肥ったなあ、と思ったかもしれない。
■私はというと、彼が逮捕後、「劉暁波と一緒に監獄にはいりたい」「高齢の父母にどうしてもあいたい」と警察に語ったときいて、天安門事件の亡命学生指導者たちの心の奥底の悔恨と望郷の念にふれた気がした。彼は6月4日の鎮圧後、香港経由でフランスに亡命、曲折をへて、台湾にわたった。「反革命宣伝扇動罪」で指名手配を受けている。
■いまは中華民国籍を取得し、台湾人の奥さんもいる。ファンドマネージャーとして、政治評論家とし成功も収めている。民主化運動の闘志としての尊敬も得ている。その彼が今の暮らしをすてて、劉暁波さんと一緒に収監されたい、祖国の両親に会いたいと切に願っている、というのだ。
■ウーアルカイシさんが逮捕後に弁護士を通じて発表したメッセージ全文はこうだ。
■「私は、現在の中国情勢について、悲しく感じる。
原因は、中国政府が歴史と向き合わず、将来に向き合う気持ちもないことである。
中国市民も麻痺しているように見え、そのことも悲しく感じる。しかし、実は中国市民はそれほど麻痺しているわけではない。
劉暁波やフォン正虎などの維権人士や、数千数万のネット上で活動する人々は、中国政府の圧力に対して怖い気持ちはあるものの、それぞれの小さな力を尽くしている。
私たちは怖がる必要はない
今日私が中国大使館に乗り込んだということを、劉暁波にも知らせたい。本当は、私も彼と一緒に収監してほしいのだ。
村上春樹は、イスラエルの文学賞を受けた。スピーチで「二つの選択がある。すごく大きい壁と、壁にぶつかる卵とがある。どちらを選ぶかと言えば、私は卵の立場に立つ」というようなことを村上は言った。
私は、今日(東京で行われた天安門事件祈念)集会に行かれないが、私は卵として壁にぶつかろうとしているのだ
私が、今日収監された状態で送りたいメッセージは、「大きい壁を破る卵は、いつでも産まれてくる」ということだ。
皆さんに対するメッセージは、以下のとおりである
――強く生きること、そして、落ち込まないこと――」
■彼は逮捕前に共同通信にこう語っている。
■「帰って、裁判の過程で身の潔白を証明したい。また父母が高齢で、私が亡命してからあっていない。ものすごく会いたい。」
■この流浪の学生指導者にもっと話を聞きたい、と思っていたところ、7日に有楽町の外国人記者クラブのバーにいるから、会えるよと教えてもらったので、行ったのだった。結果からいうと、サシで会話できる時間はなくて、台湾記者の会見にまぜてもらった(しかも途中から)だけだった。でも、たぶん公式メディアで報道されているより、深いことが分かると思う。逐語訳じゃないし、ひょっとして意味を取り違えているところもあるかもしれないけれど、しかし言葉の端々から彼の望郷と悔恨と闘志が伝わってくるのではないだろうか。
■高齢の両親に今一度会いたい
流浪の学生指導者の望郷、闘志、悔恨…
日本の警察ってこういうときだけ優秀すぎる!
■ウーアルカイシ氏釈放後の記者会見(台湾メディア用 6月7日@有楽町の外国人記者クラブ、ところどころはしょってます)
■両親にあえるなら、投獄されてもいい
ウーアルカイシ:私はなんとか父母を国外から出そうといろいろ方法ためした。去年、中国政府に父母を国外にだすよう懇願したが、だめだった。それで去年から、むしろ私が中国に帰ろうと決意しました。去年マカオから入国しようとして失敗して台湾に飛行機で送還されて、台湾についたとき、私が言った一言は「家に帰る努力はぜったいやめない」ということ。
ことし、6月4日がめぐってきて、私はひとつの決心をした。実際、今回日本にきたのは日本経由で中国に戻ることが目的だった。
それで東京発北京経由バンコク行きの中国国際航空のチケットを買った。本来の計画では、トランジットのとき、中国当局に自首するつもりだった。父母にあえるなら、投獄されてもいい。監獄で面会する方法を望んだ。
■父母を監獄にまで来させて私と面会させるなんて、やはり非常に非常に残酷なことだとは思うが、ほかにどんな方法もないという気がした。それで成田空港で中国国際航空にチェックインしようとしたとき、搭乗名簿から私の名前が取り消されていることを告げられた。ネットで買った電子チケットでちゃんと確認済なのが取り消されているなんて、聞いたこともない。いったい何が原因なのか。それで、私は日本で行われる天安門事件21周年記念行事に参加することにしたのだが、その行事には中国大使館前で抗議活動をすることも含まれていた。
■鉄門がゆっくり開いて、チャンスだと思って
■大使館前にいくと、私は前で警備している日本の警官にきいた。「大使館のどこから中国の“領土”がはじまるのか」と。日本の警官は中国語で「この柵の内側から中国の領土だ」と答えた。なら、この中は中国の法治が及ぶところだね、と思ったよ。心の中ではこの柵をこえれば、21年ぶりに私の国に帰れるのだと思った。本当に柵を越えて帰ろうと決心したのは、一台の車が大使館に帰ってきたとき、警官が門を開いて車を進入させたとき。大使館の電動の鉄門がゆっくり開いていく。そのとき、チャンスだと思って。身をひるがえして門に走りこもうとした。
■もし、大使館内に入り込めれば、日本の警察もなにもできなかっただろう。でも実際どうなったかは、テレビでみなさん見たでしょ?二層の柵をこえたあと、5、6歩踏み込んで…。またもや大勢の警官にこんなに“お世話になった”よ、昨年(マカオ)とよく似ている。それで6月4日に逮捕されて、6日に釈放されたとき、門のところで私は、私を収監していた警官にこう言った。「日本政府が私に64(天安門事件)記念日このような独特な方法で過ごす機会を与えてくれたことに感謝します」。去年はマカオの留置所にいて、今年は日本の留置所にいた。もう私の伝統になったね。(笑)
■裁判で21年前の対話の続きをするんだ
■21年前の私のスローガンは「中国政府は学生と対話せよ」だ。対話とは、私には語る権利があるということ。政府と違う意見、立場を表現する権利があるとういこと。対話とは、民主、自由の象徴だ。天安門事件当時、私たちは対話をもとめ政府のところにいったが…。21年以来、中国政府はどのような対話も受け付けようとせず、六四の虐殺の事実にも向き合おうとしない。
■もし、私が中国に帰ったら、そして中国に(指名手配容疑と)同じ容疑で逮捕されたら、おそらく起訴状をつくるときに、私は21年前の対話の続きができるのではないか。この努力は今回失敗しても、今後もつづけていきます。がんばりつづけていきます。
(以下質疑応答)
■日本の警察は誠実で丁寧だった
Q:日本の警官があなたを逮捕したのは、中国大使館側が関与していると思うか?あるいはあなたがウイグル族なので、それが関係あるのか?ふつうなら柵をこえたくらいで逮捕しないでしょう。
ウ:今回の場合、柵をこえただけでなく、警察の包囲網を突破しようとしたから状況が違う。しかし、現場の警官は単純に法を執行しようとしただけだと思う。警官は私がウイグル族だということもしらないだろう。中国大使館が事前に日本警察と連絡を密にとっていたということは、私には信じられない。私が大使館前にいったのは午後一時半くらい、大使館に突入したのは二時半ぐらい。その一時間の間に、中国大使館が具体的な私個人の行動をつかんで対応するのに間に合わなかったのだと思う。もし策略をめぐらすことができるのであれば、もとハイレベルな対応をしている。策略をめぐらした、というような状況ではなかったと思う。
Q:釈放されたとき、起訴されなかったのか。送検されなかったのか。
ウ:警察に収監されたあと、起訴されずに釈放された。
Q:では、なぜ帰国(台湾に)できないのか。
ウ:別に帰るなとはいわれていない。ただ、私がここに残って、警察の調査に協力したいだけだ。私は自由だ。
Q:いつ帰るのか?
ウ:今回の訪日では、たくさんの友達とあった。収監されていた間も、いろんな機関、民族問題関係とか民主関係とかの職員との面会がアレンジされた。彼らもいろいろなイベントや人と会う機会を用意してくれているので、あと数日は日本に残るつもりだ。本当ならもっと早く帰るべきで、妻や息子には申し訳ないけれど。
Q警察との関係は。
ウ:もうないだろう。でも、もし捜査への協力を個人的に頼まれれば、もちろん協力する。本当なら、私の容疑には多くの保釈金(?)が必要なんだが、今回の警察の態度は、非常に誠実で丁寧だった。警察には、もし、日本政府が私の考えや立場を理解したいと思うなら、私の考えを通じて、私がやりたいことを理解したいなら、よろこんで協力したいと伝えた。警察と過ごした時間は非常に愉快な時間だった。通訳の人も「警察がこんなに礼儀をもって、お茶をいれたりする容疑者は今まで見たことがない。非常に珍しい状況だ」と言っていた。
■情報の開放が時代の潮流だ
Q今後は何するつもり。
ウ:やり遂げられたときにいうよ。マカオで失敗したとき、来年は日本でやるよといったら、今年成功するチャンスはもっと微妙だろう?
Q:中国は今後も六四に対して弾圧を続けていくと思うか?
ウ:今は六四のことを調べようにも、情報が開放されていないのが一番の問題だ。情報の開放は今の潮流だ。この潮流は逆流することはない。阻むこともできない。この数年、ネット上で天安門事件のことを討論することが増えている。09年の20周年にはグーグルの検索サーチで一番多い検索語は「六四事件20周」年だった。二番目に多かったのが「天安門事件」。
ツイッター上で私のフォロワーは1万以上で、天安門について議論しているが、ほとんどは国内のネットユーザーだ。天安門事件について長年弾圧されているから、話さないようになっているということはない。遅かれ早かれ、六四の事実はあきらかにされる。
そのとき中国政府が直面するのは、私を帰国させて父母に合わせないとかそういう簡単な問題ではない。
Q天安門の亡命者で帰国したいという人多い。今後はもっと団結、協力するつもりか。
ウ:去年、今年の活動は全部、われわれが団結してやったことだ。昨年のマカオの事件のとき、声明文を発表したのも、王丹とか海外の仲間たちだ。お互い連携しあっている。今年も、1、2カ月前に電話で柴玲や王丹と、帰国問題を話し合った。
■民主化運動は経済発展に埋没しているわけじゃない
Q:中国経済がこんなに発展したことで、海外の民主活動はマイナスの影響をうけているか。中国の発展は中国により大きな権力や自分の立場の発表の場を与えているが。
ウ:以前に私は原稿を書いたことがあるけれど、1992年から中国政府は庶民にある「教育」をしている。つまり、政府は庶民に金儲けを許可する、ということ。政府は、庶民に対して経済活動の制限を緩和するということ。しかし、これはけしからんことで、庶民のポケットのなかを政府が許すとか許さないとか、どうしていえるのか。
経済の自由と政治の自由はともに、天賦の人民がもっている自由だ。どうして、だれかがわれわれの経済の自由を認める、なんていう道理があるのか。そういう、むちゃくちゃな教育を庶民は受け入れさせられている。
経済発展後どうして、天安門事件が再び発生しなかったか。どうして天安門事件に対する抗争がおこならなかったか。自由というのは非常に微妙なものだ。われわれは過去、経済の自由がなかった。今あるから、今はそれだけを味わえばいい、と思う場合もある。しかし、それは情報が開放されれば、情報の自由が経済の自由に勝ることを知るはずだ。情報の自由がより経済の発展をもたらすと。
毎日新聞の取材を今朝(七日朝)うけたのだけれど、そのとき報道の自由についてきかれた。私は冗談っぽくいったよ。街中で報道の自由を叫んだり、報道封鎖を突破しようと叫ぶ大学生や知識分子はいない。数百の県、単位が批准した新聞雑誌の中に、民主の理想を掲げて情報統制に挑戦しようとするものはいない。彼らは利益のためにやっている。でも利益を求めれば、必然的により公平な利益をもとめ、より緩和された自由な公平な正義のある社会環境を求めるようになる。道理は簡単だ。金儲けをゆるす、といえば、もっと公平に金儲けができる環境をもとめるし、不公平に金儲けするやつは懲罰を受けるようになる。すくなくとも情報の開放、法治をさけぶようになる。これが経済発展が始まって以来、中国で起きている状況だ。
過去、中国は全面的に情報統制していた。しかし、四川大地震のとき、中国の小さな新聞社、テレビ局を統制しきることはできなかった。共産党がメディアをコントロールしようにも、しきれなかった。情報の統制はこんな風にして、突破されてきている。
法律の例をあげれば、経済上の法律は一流だ。数も台湾を超えている。中国は法治国家じゃぜんぜんないが、経済上の法律はなかなかいい。だから経済と政治が衝突したときたとき、少しずつ、政治の統制を突破していく。
民主運動は(自分たちのような)反対派の活動だけで進んでいくわけじゃない。現在の中国民主化運動は、けっして急速な経済発展に埋没しているわけじゃない、ということに気づいてほしい。
■馮正虎の影響は受けたよ、もちろん
Q馮正虎氏が成田空港に籠城したことが、今回、日本から帰ろうと考えるきっかけになったのでは?
ウ:もちろん、そういう面はある。しかし、馮正虎の要求も帰国。亡命者の帰国要求は相互に影響しあっている。もちろん馮氏の帰国努力も。
Q:でもあなたは台湾のパスポートで、馮さんは中国パスポートだからあなたの方が複雑だ。
ウ:そうだ。
Q:奥さんはあなたのそういう行動に賛成していますか。
ウ:彼女が私に嫁いだとき覚悟しているはず。結婚したとき、香港メディアも彼女にインタビューしている。女房は「結婚を決めたときから、監獄に送られることを覚悟している」と答えている。
民主活動家が何かすれば、必ず家族を傷つける。だから私は妻の支えに非常に感謝しています。台湾女性は大したもんだ。
■最後の自由な時間を美しい日本の寺で過ごそうと
Q:法律上は起訴されていないので、今後日本に来ることは問題ない?
ウ:法律上は問題ないけれど、入管は法律に従って判断するわけじゃないから。今回はビザなしで日本にきたけれど、この政策はあと数年前からはじまったばかり。私が最初に日本にきたのは1989年、二度目が1997年。二度ともビザが必要で、そのビザは非常にとるのが難しかった。中国側からの大きな圧力もあった。
このときの経験からいって、入国の許可がでない可能性はあると感じた。私は非常に日本がすきだから、また来たいよ。
最初にきたとき、日本の寺が気に入って。とてもきれいで、中国の寺と全然違った。中国も北方と南方では違うけどね。6月3日、本当なら飛行機で北京に向かうつもりだった。飛行機の時間は午後7時。その朝、起きて私の心は非常に複雑だった。きょう、飛行機で北京にいって自首するんだ、だから今日は最後の自由な一日だ、そう思った。では、最後の一日をどうやって過ごすかと考えて、成田山新勝寺に行ったよ。そこで書展をやっていたので、書展をみたり。それが最後の自由な時間の過ごし方としては悪くない。けど、翌日中国じゃなくて日本警察に収監されちゃったよ(笑)。
ウ:中国共産党はわれわれが六四を忘れればいいと思っているだろうけど、われわれの答えは明確だ。決して忘れない。忘れないことはわれわれの責任なのだ。
■指名手配しているのに自首を受けつないおかしさ
ウ:中国政府は指名手配の容疑者が自首しようというのにそれを許さないのはおかしい。六四の対話を求めているのに、メディアをコントロールして報道させない、これもおかしい。学生が街中ででもをして軍隊で鎮圧するのもおかしい。こういうおかしいこと(荒謬)に、われわれは抗議の声をあげてきた。しかし、中国共産党はこれを、道理にかなったことではないと言っている。だから、今回、私が中国大使館に突入しようした。
日本の一部の民衆は、この事件のおかしさに気づくだろう。私のおかしさではなく、中国政府のおかしさを。自ら指名手配をしている人間が自首しようとしているのに、これはどういうことだろうと考えてもらえるとしたら、私の目的は達成した。
■私は今も劉暁波の学生で親友だ
ウ:劉暁波と一緒に監獄にはいりたい。今の状況で監獄に入ることはひとつの抵抗であり、知識分子として、独立した精神を表明する方法の一つが、監獄に入ることだと思う。劉暁波はその精神を示している。私は劉暁波にあなた一人ではないと伝えたい。21年前、私は劉暁波の学生と親友だった。21年後、監獄にいるときも私は彼の学生で親友だ。共産党に、劉暁波は一人じゃないといいたい。彼に続きたい仲間は私以外にもいっぱいいる。
(以上)
■最後に別れ際に、私は連絡先をわたし、少しだけ会話した。
「あなたは、劉暁波と一緒に収監されたいというけれど、今の自由な暮らしは惜しくないの?」
すると彼はこう答えた。
「もちろんおしいよ。この体型をみれば、私がどれだけ自由を謳歌してきたかわかるだろう?」
■この最後の一言に、彼の罪悪感と悔恨を見た思いがした。彼は本気で自首して、今までの国外で天安門事件の元学生指導者という肩書でえた名声と富を清算したいのではないか。そうでないと、彼が本来望んでいた民主化の闘士の姿に戻れない、と。
■正直いうと、国内の中国人から、ウーアルカイシ氏は要領がいい、うまいことやりやがったと、ねたみ半分批判半分の声を聞かないこともなかった。でも、彼の中では、複雑な気持ちがずっと渦巻いていたのかもしれない。
■私は、心底、大使館警備にあたった日本の警察の優秀さを残念だと思うよ。セカンドチャンスがあるなら、ちょっとスキをつくって彼に中国大使館の鉄門の中に滑り込ませてやってくれ、といいたい。中国政府が指名手配している容疑者が大使館に自首しようというのを日本が妨害する必要もないんだし。それに、21年前の李鵬首相と学生の対話の続きが見ることは、一部中国共産党の当事者以外の中国人、そして当時の衝撃的映像の記憶をもつの多くの外国人が望んでいることじゃないだろうか。
天安門以後に対する疑問が一つ解けた気がします
学生活動家としてでなく、私の中で人間になった
良いインタビューありがとう
法律の例をあげれば、経済上の法律は一流だ。数も台湾を超えている。中国は法治国家じゃぜんぜんないが、経済上の法律はなかなかいい。だから経済と政治が衝突したときたとき、少しずつ、政治の統制を突破していく。
この発言は今の中国のスト多発を制御できていない
中国政府は既に突破されている
そのように思います
で有れば
その対策に外資系企業のみに組合を作ること許可した
この判断の結果は民主化に向かうか
漢民族覇権主義に向かうか
二つの選択しか無い
結果は9月にはハッキリ見えるでしょうね
香織師匠
> ああ、あの人と、当時のニュースに関心をもっていた人は思いだすだろう…
国外脱出に成功した所までは記憶してましたが、台湾で暮らしてたのは知らなかった…ウイグル系だけに現状に安坐する事は尚許されなかったのかなぁ…なんて勝手に想像してます。
> 彼が本来望んでいた民主化の闘志の姿に戻れない…
×:闘志
○:闘士
本来、生活基盤を確立した上で運動を再開するというのは寧ろ困難かも知れませんね。 本人も惜しいって言ってる訳で…私はそれでもやるんだという彼の意志に拍手を送りたいですけどね。
なぜなら、
> …利益を求めれば、必然的により公平な利益をもとめ、より緩和された自由な公平な正義のある社会環境を求めるようになる…
こういう言葉を吐ける「運動家」ってなかなかお目にかかれませんもの…学生が言えば「机上の理想論」だし、旗振り活動家が言っても説得力は無い…そういえば、ウイグル出身の運動家って経済的自立を前提にしている印象がありますね。 所謂「壮士風」って奴があんまり感じられないというか…
警官が情で仕事をしたらどこかみたいに袖の下が公然とまかり通るようになります。
かわいそうですが法律というものは厳しいものです。
人治主義の側にこそ非がある。
少し言い過ぎたかもですが現場のお巡りさんがいたたまれなかったので・・・。
人の組織がなぜピラミッドになっているのかというところに思いの行かない、警官への抗議のような文章が、ネット上のあちこちに書かれています(北京五輪の時の長野の件とかで)が、現場の警官自らが裁判官並みの法的判断で行動できるのだとしたら、何のために本部長だとか警部だとかを配置しているのか、無意味になってしまいますよね。
やれ長野県警は中国の回し者だとか、なんだとか、アホか!
警官は宮仕えだから日本政府には逆らえないの!
と何度書いたことやら…。
「日本は法治国家」「中国は人治国家」と日頃、勇ましく自慢している人が、どうして長野の一件の時に「人情行政」をもとめるのか?
答は「平和ボケ」、これに尽きるんじゃないですか?
東京を歩いて、エルケシュ氏は肌で感じていることでしょうね、「甘いなあこいつら」と。
とても共感できる記事でした。
私と天安門事件の学生たちは世代がとても近かったので、
彼らの今、が時々気になってました。
ウーアルカイシ氏は事件から20年ほど経て中年になり
親も歳を取ったので、己の人生をちょっと立ち止まって
考えているのでは。
そんな心情が解る気がします。人生が有限であることが
実感される年代だから。残りのこれからどう生きようか
真剣に考えていらっしゃるのでしょう。
福島氏のブログは大メディアが伝えない事実が書かれて
いるので本当にありがたいです。
色々困難なこともおありでしょうが報道が天職とこれから
も頑張って伝えてください。
(ただし保守に偏りすぎないで下さいね。)
強く降る
雨に紫陽花
耐えて咲く
…ここは下手でも何か詠まんとあかんのかいな?
えびすより
伝え来たる
牧の歌
響き覚ゆる
人よいずこに
…失敗。
人に家
人に郷あり
側人無(そばひとむ)
福島記者
人に家
人に郷あり
想人無(想うひとむ) ?
http://yosi29.iza.ne.jp/blog/entry/1642396/
福島香織さん
人に家
人に郷あり
想人有
?
遅ればせながら、この記事をみつけて、読ませていただきました。ウルケシ逮捕&釈放のあと、どうなったのかずっと気になっていたので、やっと彼の真意がわかり、納得しました。ありがとうございました。
私がパリに留学中、ウルケシと同じくフランスに亡命した学生活動家が2名、同じクラスにおりました。うちの近くの「中国民主之家」が活動拠点だったようです。私も地下鉄で偶然、ウルケシの姿を見かけたことがありますが、当時クラスメートは「ウルケシは堕落した」と語っていました。
日本に帰国後、仕事で来日したクラスメートに再会したとき、「ウルケシのような有名人なら、中国に帰って逮捕されても処刑されないだろうが、僕みたいな無名の活動家はすぐに処刑されておしまい。だから二度と中国には帰れないと覚悟している」と話していたのが忘れられません。彼も、エアコンもないような貧しい四川省の田舎に暮らす母親を案じていました。
同世代でありながら、こんなに違う人生もあるんだと愕然としながら、彼にかける言葉がみつかりませんでした。私にできることは何だろうと、それ以後、今もずっと考えています。
かおりん!
<奥底の悔恨と望郷の念。
なんとなくですが、共感します。で、飛びますが、、、
産経さんの世界も、いうまでもなく、ONE OF THEMのマスコミ社会. それはそれとして。かおりんさんが観察してきた「度肝をぬくような」中国論を、私は待望します。
中国さんのことは、30回(のべMAX 100日か)しか行ったことがない私のような異邦人(あほ?じんともいいますね)には、わからないことだらけです。
共著でもいいです!石平さんあたりと、中国サブカルシリーズ的に、ご負担のないところから、なんか書いてほしいなぁ。
P.S.私の友人某商社系のみんなは、かおりんに感謝してますよ。何しろ、現地じゃぜって?い、いんすたんとらうめん、食すのやめましたから。(まぁ、ぉれで長生きできるはずもないのですが)
そろそろ次の巻を・・・。
そもそもウーアルカイシという名前を見てわかるが、
彼は支那人ではなくウイグル人でしょう。
支那がウイグルやチベット、満洲を侵略したのが問題の根本では?
『文藝春秋』の中国での80后によるストライキに関する記事、面白く拝読いたしました。
昔の福島さんのエントリーを引用させていただきました。ご報告まで。< (_ _)>
香織師匠
折角新書出すなら是非ブログで宣伝を♪