映画「南京!南京!」の日本鬼子の小幡竜さんとあった。

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■今、北京におります。本当なら全人代のホットなニュースを、というところなのですが、私が注目していた農村戸籍統一への動きは、ほぼ完全にぽしゃりましたので、いまひとつ、関心が薄いです。中国のアパルトヘイトといわれたの農村戸籍の廃止を訴える地方紙13紙の合同社説(1日付)、あれは何だったんでしょうね?私は絶対、中央指導部のアドバルーンだと思ったんですが、編集責任者解任という事態になってしまいました。北京にいる間に、関係者に背景をきけたら、きいときますよ。

 

 

■今、北京のデニーズでお替わり自由の珈琲のみながら、無線LANが使えるので、ひさびさにブログ更新しようかと思いました。人待ちです。で、本日の話題は、きのう、とある店で、たまたまお会いした役者の木幡竜さんのことです。誰や、それ、とお思いの方は下をクリック。

http://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/M05-0355.html

 

■おや、このプロフィルはちょっと重要な点が抜けている。

こっちのインタビューも参考に。

http://j.peopledaily.com.cn/96507/97718/6715736.html

 

 

■そうです。このブログでも何度か取り上げている陸川監督の「南京!南京!」でいわゆる日本鬼子の伊田役を演じている俳優さんであります。私は役者という呼び方の方がぴったりくる気がしますが。現場でたたきあげって感じの人です。

 

 

■本当に偶然にあって、これ幸いと、もう記者でもないのにねほりはほりきいてしまいました。「南京!南京!」は4月にもいよいよ日本公開らしいですね。彼も、公開時には舞台挨拶などで日本にいくことになるでしょう。もう、その話題はいいわ、という方はあとはスルーでお願いします。

 

■私は個人的には「南京!南京!」の日本公開について、すごく気になっていました。このブログでも以前に紹介しましたように、なかなか手ごわい映画だと思うのです。何社かがアプローチしていたことは知っていました。日本のとある配給会社が行ったサンプル・ムービーの試写会にも言ったことがあるんですよ。

 

■ところで、配給会社に事前に渡されるサンプル・ムービーには南京事件で虐殺された人数として30万人ととか具体的な数字は全く出ていません。しかし、中国で一般上映されたり、国際映画祭で上映されたりした「南京!南京!」には最初にばーんと「30万人」という数字が出ているんです。それで、私はこの数字を加えたことで、この映画はやはりプロパガンダ映画だと思う、という考えを、木幡さんに言いました。

 

■以下、木幡さんとの会話です。ひさびさにICレコーダー、ノートを使わない記憶だけの書き起こしなので、細部はあやふやですが、こんな会話をしました。ネタばれ注意です!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■監督自身、「30万人」の数字は眉唾だと…

 

福島「とある配給会社の試写会で、『南京!南京!』を見ました。そのときは、『犠牲者30万人』という数字は一切でていませんでした。でも、中国国内で上映されたものも、国際映画祭でも、最初に犠牲者30万人という数字が事実として書かれている。

 私はそれを見たときに、この映画というのは非常にうまくできた、つまり今の国際社会が受け入れられる新しい形のプロパガンダ映画だと思いました。正直、ハリウッド映画も娯楽映画のようにみえて、かなり政治的な役割を果たしてきた。中国はそれを知っているので、今もハリウッド映画の国内上映について制限を設けているんです。

 日本の配給会社が『南京!南京!』を買うかどうか悩んだおもな点の一つに、サンプルムービーについていない30万人という数字が、現実の上映では付けられているということについて、どう解釈したらいいか、ということでした。つまり、監督の本当の意図としては、この30万人という数字をつけたくなかったのに、中国共産党の指導により、この数字を入れざるを得なかったのか。それとも、本当は30万人という数字を訴えたかったけれど、日本で上映を成功させるには、この数字はとった方がいいと思ったのか。それによって、配給会社としては、日本で上映する場合、この数字を入れない方がいいのか、入れた方がいいのか判断が難しい、と。

  戦争がからむ歴史認識の問題というのは、今の外交問題も左右するんです。だから、たかが映画だろ、とはいえ、国内外にどういう形で、ある戦争の歴史が発信されるか、というのはやっぱり国益にかかわってくる。特に、日本国内の場合、あんまり、戦争の歴史についてつきつめて考える人が多くないので、映画のような印象に左右されやすいと思うんですね。そういう意味では気になる映画です」

 

 

木幡「陸川監督は30万人という数字は、映画に出すつもりはありませんでした。南京テレビのインタビューで、おそらくカットされたと思うんですけれど、陸川監督自身『30万人という数字は眉唾だ』と答えたんです。そばで聞いていて、そんなことを言っていいのか、と驚きました。さらに『これは戦争なんだ。戦争とは日中双方に犠牲者がでている。その中で行われた虐殺だ』とも言いました」

 

 

福島「え~!そんなことまで、いったんですか。でも、実は私は映画がクランクインする前に陸監督にインタビューしたことがあって、確かに30万人という数字を入れるつもりはないということや、撮りたいのは戦争という極限の中で、普通の善良な人間がどういう風に狂気に染まっていくかだ、みたいなことを言っていました。南京攻略戦の戦略的な問題についても言及していて、この人、けっこう冷静に見ているなあ、とも感じた。でも、出来上がった映画をみれば、やはりプロパガンダだったな、と感じましたよ」

 

 

木幡「僕は、今までにないフラット(公平)な映画だと思いました。ただ、30万人という数字を入れたことで、プロパガンダっぽくなった。そういう30万人にこだわるとこが中国がだめなところだと思いましたけど」

 

 

福島「映画だけをみると、ちょっと、うるっとくるところもあるんです。たとえば、女性の描き方。ラーベのところにかくまわれている女性たちの中から、売春婦を提供しなければならない状況に迫られて、一人の女性が手をすっと上げるシーン。あれは、うるっとくる。あと主人公の日本兵士の角川が日本人売春婦に惚れて、本当に喜ばせたくて、お菓子とかお土産を持っていくのだけれど、彼女はお菓子をもらったあと、はい、どうぞ、と足をひらくんですね。最後まで売春婦としてしか角川に向き合わないシーンとか、ちゃんとせつない感じが描写できているなあ、と思いますよ。でも、映画に関する陸監督のインタビューや発言の中には、『南京大虐殺の事実を世界に知らしめることが目的』みたいなものもある。そういうインタビューをみると、やはりプロパガンダだなあ、と。映画としての、感動させるツボもあるし、政治的な意図もあるから、なかなか手ごわい映画だと」

 

 

 

木幡「それなら、映画だけをみて評価してほしいと思います。正直、陸監督のインタビューや発言というのは、だいたい本気じゃない。たとえば外国メディアのインタビューには、これは戦争映画だ、というけれど、中国メディアのインタビューでは、これは愛国映画だ、と言っています。映画をみて、それをどう受け取るかは観客の問題なんですね。でも、そういう質問をするということは、観てわからないのですから、それなら、相手が理解しやすい説明する。正直、インタビューの答え方はその日その日、ぜんぜん違う」

 

 

 ■福島「正直、映画全体としての完成度自体は陸川監督の実力からいって凡作だと思いました。劉イエという人気俳優がやっていた国民党軍兵士は、主人公といわれながら、前半で死んで退場して、なんじゃこりゃ、と思いました」

 

小幡「劉イエが早々に死んでしまったのは、撮影のおわりの方で決まったんです。こいつ、日本軍に捕まっているのに、生きているのへんだな、ころしてしまおうって。中泉君(主人公の角川役)ふくめ日本側の役者が結構がんばっていたので、日本軍兵士側をもっとフィーチャーしようということになった。台本なんて、ないのと同じですよ。伊田の最後も、どういう風にすればいいか、提案して、って監督に言われて。8カ月もフィルムまわし続けているんで、いろんなシーンを撮っているんです。劉イエの恋愛シーンとかもあります。あのフィルムだけで違うストーリーの映画が四本くらい作れますよ」

 

 

■リアリティのなさも演出?現代日本人風の演技に

 

福島「日本軍の描写も違和感がありました。南京戦というのは上海から兵站も整わないまま追撃追撃で、ものすごく激しい戦をしてきた。南京入城の時点で、日本軍は激しい戦を戦いぬいていたのだから、生死の境目を知っている面構えになっているはずなのに、現代の日本の大学生がコスプレしているような、生ぬるい顔なんですね。日中戦争映画では、『鬼が来た!』に出演して、今NHKなんかでひっぱりだこの香川照之さんという役者が、迫力ある演技をしていたので、戦争の現場ってあんなかんじだよな、戦争で人を殺してきた人の顔って、必死で生き残ろうとする人間って、あんな感じだよなと、思うのですけれど、『南京!南京!』にはそういうリアリティがなかった。あと、当時の背景説明が一切ない。国民党軍の命令系統の問題とかも指摘されていなくて、虐殺、強姦シーンが延々と続く。だから逆に作りものくささ、プロパガンダ臭を感じたのだと思います」

 

 

木幡「陸監督からの演技上の要求は、最初から人を殺したことのある人間の顔をしないでくれ、ということでした。普通の人間が、極限状態で狂気に陥ってくゆく、という変化を描きたい、というのが趣旨でしたから。リアリティということを言いだすと、角川の自殺だとか、全部ありえない話ですから」

 

 

福島「なるほど。映画に出てくる日本兵の顔は、北京でも見かける普通の日本人と同じ顔という風にして、普通の人たちが戦争の極限に陥れば、鬼畜のようになる、という表現を強めたかったんですか。あと、違和感を感じたのは、英霊のための祭を現地で執り行うシーンがあるですが、そのとき英霊にささげる舞が、なぜかどじょうすくい。それはないでしょう、と思いました」

 

木幡「それは、実は監督なりの意図があるんですが、映画というのはいちいち説明するものではないですから」

 

福島「実は、試写会は東大文学部の藤井省三教授と一緒に見たんです。そのとき藤井教授のこの映画への評価はけっこう高かったんです。祭のシーンも、おそらく監督は周作人の書いた、日本人と祭の論考などを参考にしたのだろうと。日本人は祭を通じて団結を強化し一体化する、その祭のトランス状態のなかで主人公の角川だけが一体になれない。そのシーンが、彼が最後に自殺する伏線になっている、と。

 陸監督はおそらく靖国神社と祭のイメージ、その祭によるトランス状態と軍国主義の狂気を関連づけたかったんでしょう。私はどじょうすくいや和太鼓などで、そこを表現されると、靖国神社に対するとらえ方も、祭の解釈もずれていると思うんですけど、ひょっとすると欧米人には納得しやすかったのかもしれません」。

 

 

■今の表現統制下であそこまで表現できたのは奇跡

 

木幡「あの映画は、正直、いろんな制限、プレッシャーの中で作られました。それはものすごいプレッシャーですよ。その中で、陸監督が表現したいものをすべて完ぺきに表現できたかと、いわれるとそうではないかもしれない。しかし、今の中国の状況下で、あそこまで、表現できたのは奇跡に近い。そこをもっと評価してほしいですね。

 陸監督は検閲を通すため、今の制限の中で自分の撮りたいものを撮るために、メディア上でいろいろ発言するし、それが中国側が納得しやすいものであったり、欧米メディアに受けるものであったりするけれど、監督のメディア上の発言には何一つ本心はない。監督は僕たちにも、メディアに質問されたら、好きに答えていい、と言っています。批判もバッシングも宣伝活動の一環と考えればいいんだ、とも言っています。本当の答えは映画の中だけに見つけてもらえればいい。見つけてもらえなかったのなら、それは力が足りなかったわけで。

 陸監督は、検閲やいろんな統制の枠組みの中で、自分が撮りたいものを撮っていくための立ち回りは非常にうまい監督の一人だと思います。中国では、そういう監督でないと映画がとれない。だけど、現場の人間の気持ちとしては、プロパガンダを作ったというのではなく、ただ映画を作った、という気持ちです」

 

 

福島「木幡さん自身は、南京事件について、どういう理解なんですか」

 

木幡「僕は、中国についても、歴史についても、ほとんど白紙でオーディションを受けました。採用が決まってから、図書館にこもって南京事件について資料を読み漁りましたね。それこそ、南京事件はなかったというものから、30万人説まで。正直、あったかなかったか、どのくらいの規模のものであったかなんて、わかりません。だから、自分がこういう戦場にいたら、どういう風に感じるか、この極限状態のとき、どういう心理になるか、想像することに徹しました。

 ただ、南京には、家族が虐殺されたと訴えるお爺さんなんかもいるわけです。その人たちを前にして、虐殺はなかったとは言えなかった。日本人が、南京映画に日本兵士役で出演するために中国に乗り込むことが、どれほどきつい経験だったかはわかってほしい」

 

福島「何が一番きつかったですか」

 

木幡「上海での記者会見とか。中国メディアの取材ですね」

 

福島「バッシングもありましたね。日本で上映されると、右翼のみなさんとかから、嫌がらせとかあるかもしれませんよ」

 

木幡「それは、僕に直接来てくれる分にはかまいませんよ。僕は、間違った仕事はしていないと思っていますから。家族とか部外者に迷惑をかける行為だけはやめてほしいですね」

 

福島「結果からみれば、国際賞もとって、木幡さんにとっては代表作となりましたね。以降、いい仕事が続いて、香港映画にも筆頭助演で出演したそうで」

 

木幡「今年の終わりくらいに公開でしょうか。アンドリュー・ラウ監督のクンフー映画で、ドニー・イエンと女優のスー・チーを獲りあう役なんです。上海で撮影しました」

 

福島「クンフー映画ですか。私、ドニー兄さんの大ファンなんですよ。最近ドーランが濃いって、注意してあげてください。ところでクンフーできるんですか」

 

木幡「やったことありません。僕が映画中でやるのは空手なんですけど。もともとボクサーなんで、体はまあできている、ということで。でも、ゲロはくほど、体つくりなおしましたよ」

 

福島「ひょっとして時代もの?クンフーVS空手で上海が舞台って、ひょっとして『ドラゴン怒りの鉄拳』のオマージュですか」

 

木幡「『精武風雲』という映画です」

 

福島「おお、では陳真がドニー兄さんですね。これは観なくては。若づくりしなくてもいいから、ドーラン薄めにしてほしい。日本にはブルース・リーのファンが今も多いですから、ヒットしそうな感じですね。おまけに、インファナル・アフェアのアンドリュー・ラウ監督とあれば、期待が高まります。ところでブルース・リー好き?」

 

 

木幡「実はブルース・リー見たことないんです」

福島「えーっっ!クンフー映画にでるのに、ブルース・リーしらないの??

 『ドラゴン怒りの鉄拳』って、実は反日映画なんですよね。あまりに娯楽映画として完成されていたので、プロパガンダ色がふっとんじゃった。あの映画から感じられるのはあくまでクンフーアクションの素晴らしさとブルース・リーの個性であって、『日本人の悪者イメージ』じゃなくなっちゃっているんですね。

 映画は時代と場所によって政治性を担うことを迫られますが、監督や役者さんたちの本心は、やはり、観客を魅了するいい映画を作りたいというところにあると思います。そういう情熱が政治性を超える映画を、中国の監督さんにはつくってほしいなあ」

(以上)

 

■てな、感じで、あとはいろいろと映画談議に華がさきました。木幡さんは元ボクサーなので、ボクシング映画に出たいといってましたよ。「明日のジョー」実写版の出演のお声もかかったそうですが、次の作品の出演とバッティングしたので断ったそうです。聞くところによると日本は、本格的アクションが撮れる監督がいないそうです。ボクシング映画って、撮影難しそうですよね。本気で殴りあって顔とか腫れたら、撮り直しってできなさそうだし。

 

 

 

「映画「南京!南京!」の日本鬼子の小幡竜さんとあった。」への31件のフィードバック

  1. こんばんはぁ。
    印象に残ったのが後半の福島さんのミーハーぶりwww ドーラン薄くしてくれるといいですねぇw
    確かに中共監視下で映画製作を行うと言うのは大変でしょう。でも、演劇にしても文学にしても、時の権力に刃向かいながら、また馴れ合いながら、苦労して表現を模索してきた歴史がありますでしょう?そう考えると、いまの中共支配下の中国映画にこそ、映画内容そのものにメッセージ性が込められたロングランの名品が生まれる可能性があるのかも知れないですね。

  2. こんにちは
    実は私もこの映画を観ています。日本向けのものではなく、トップに「南京で30万人同胞屠殺」と出て来るやつです。
    確かに判断の難しい映画でした。中国で言うところの、いわゆる虐殺を示唆する画面は、このトップと広場にいる数百人の中国人を数台の機関銃で殺すシーンぐらいでした。陸監督はプロパガンダの映画を作ろうという意図ではなく、仕方なしに、この2シーンを入れたのだろうとも感じました。
    会話の半分以上は日本語で、映画の作り自体が日本兵の視線で作られています。ラストで中国女性を逃がし角川は自害しますが、こんなシーンは、今までの反日中国映画のように残虐極まりない日本兵を描いているわけでは有ませんでした。福島さんが説明された内容も含め、ここら当りが複雑な感想となった原因でしょう。不思議と不快感はありませんでした。
    もう一つ感じたのは、南京陥落直後から1938年正月にかけて、日本側で映像記録された映画「南京 戦争記録映画」を、陸監督が見て参考にしたであろう事も感じました。
    http://tsuki4202000.iza.ne.jp/blog/entry/1479442/
    私は間違いなく保守側の人間ですが、是非とも日本で上映されるべきだと思います。
    中国での戦争による中国民間人の悲惨な実態は、こんなものではない。
    40年ほど前のことでした。恩人である元兵士が、自らが中国で行ったことを、天を向き眉間にしわ歩寄せ、涙ながらに独白した話を聞きました。私達に言うのではなく、独り言のように吐露した、懺悔だったのかもしれません。その最後にこう言いました「戦争なんてこんなもんだよ」と。
    その内ブログに書こうと思っています。

  3. 香織師匠
    上海だけかと思ったら、北京もですかい…
    木幡> だけど、現場の人間の気持ちとしては、プロパガンダを作ったというのではなく、ただ映画を作った、という気持ちです
    編集作業の上で中共のプロパガンダ映画になっていたとしても、出演者からこの言葉が出て来るのであれば期待してもいいのかなぁ…でも舞台が南京戦だと私の様な日本人には辛いと言うか…複雑な気分です。
    > えーっっ!クンフー映画にでるのに、ブルース・リーしらないの??
    木幡さんあたりの世代なら、多分ジャッキー・チェンでしょう。
    恥ずかしながら、小生も物心ついた頃にゃあ既に故人だったし…♪

  4. えっと、夏達さんと言う北京の可愛らしい漫画家さんの「誰も知らない~子不語」と言う作品が、日本国内で連載されていて、たまたま書店で1巻を手にとって読んだところ、良くって買っちゃいましたw
    北京をお寄りの時に、若いクリエーターの一人としてお会いになっては如何でしょう?「子不語」などの作品は恐らく中国の書店でも手には入りやすいと思います。是非w

  5. TBのうち【オレの時代きたこれ!! [じゅんぺい]】はエロトラバです。上の二件のコメントならびに、このコメントともに削除した方が良いですよw(週末はほぼ必ずizablogへエロトラバが付きますのでご注意を)

  6. 昔、ラジオ講座でお世話になった藤井先生が高く評価されている映
    画だとのことなので、某大陸の動画サイトで見てみました。
    実に良くできたプロパガンダ映画ではありますね。感心しました。
    たしかに、日本人が見ると、首をかしげたくなある場面が多々あり
    ますが、イケメンの日本人俳優が出てきて、しかも犠牲になるのは、
    自己犠牲の精神に満ち溢れた中国美女ばかり。
    中国人が演じるブサイクで丸メガネちょび髭の日本鬼子が、インチ
    キくさい日本語を話しながら暴虐の限りを尽くし、それを無敵の八
    路軍が駆逐する。そんな、ミシミシスラスラの国策映画からは、格
    段に進歩しています。それだけに、こういう映画が出てくることに
    は、何とも言えない恐ろしさを感じます。
    しかも、人民日報などが制作にまつわる美談を持ち出して中日友好
    を強調するのは当然のこととして、日本語版ウィキペディアの記事
    は、ほぼ人民日報の丸写しで、大陸のIPから編集した記録が残っ
    ています。今さらながら、中国の情報戦略は徹底していますね。
    かくいう私も、「あたし羊羹好きなの」というセリフには、思わず
    じーんときました。そんなふうに、映画としてのツボを手堅く押さ
    えているところが、この映画の難儀なところですね。
    いや、やはり、中国様を甘く見てはいけません。

  7. 三十万人という数があてにならないのは中国人も知っています。(いまだに共産党を本気で信じている農民などを除けば)この数字が流布したのは、江沢民のせいだけじゃなくて、言いやすいからではないでしょうか。
    李白は白髪三千丈、楊貴妃は三千の寵愛を一身に受け、仏教では三千世界、ついでに京都大原三千院、母を訪ねて三千里ってわけで、三っていう数字は何か言いやすいのだと思います。
    日本は国民政府の首都だった南京を落とせば蒋介石は交渉のテーブルにつくと思い、そこでドイツからの武器供与を止める交渉を切り出そうと思っていました。でも飛行機から南京市を爆撃したり、散々苦労して陥落させてみたら、蒋介石は重慶へ移って徹底抗戦という、日本の全く考えなかったことをやりました。だから日本陸軍の現地部隊が逆上して、蒋介石への見せしめを兼ねてかなりの数の中国人を殺したのは事実でしょう。また空爆による死者もかなりの数に上ったようです。
    日本人は、数字があるとまずそれにこだわってしまい、そこから出られなくなる癖があります。また「虐殺」というような主観的な言葉を言われると、そこにこだわって思考停止したりするみたいです。木幡さんの現地へ入っての感想は、黒白ハッキリしませんが、それだけに自然だと思います。映画が楽しみです。
    趙秋瑾

  8. To  Cosplayのおりこうさん
    >三十万人という数があてにならないのは中国人も知っています。
    ------
    >日本人は、そんなことで中国人と揉めているじゃないぐらいを読め
    ------
    日本人は「そんなこと」で中国人と揉めてるのよ~。だから言ってるんじゃない。「南京 30万人」なんて入れてグーグルででも検索してご覧なさい。この点が私たち中国人の感覚と違うって言ってるじゃないの。
    >李白は白髪三千丈、
    ------
    >バカだな、そんなことと関係がないよ
    ------
    そうかしら・・・? 私は2.2とか2.3以上だったら「3」ですね・・ってつい言っちゃうけどな。
    >IQは平均以下のお前が黙れ
    じゃあ、おりこうさんも黙らなきゃね!
    >おらの祖国に恥を掻けるなあよ
    あなただけの祖国じゃないわよ~だ。

  9. プロパガンダには、映画制作者や役者の意図や手法は全く関係ないと思います。支那共産党の意図は単純だと思いますね。 見ていないので分りませんが、ご説明にある通り、映画の中の数シーンの「三十万人虐殺」のタイトルや「暗示的大量虐殺シーン」さえあれば、視聴者の潜在意識に強力に埋め込む事ができるからです。 疑似歴史に基づいた映画というのは、そのような政治利用の背景や歴史の詳細、争点を十分に認識している立場以外の人には、「歴史の映画=歴史的事実」と受止める(洗脳される)のが自然だからです。 現代人は、映画、テレビのフィクションで歴史を学ぶという、ある意味では厄介な習慣がある事を忘れないようにしたいですね。

  10. >プロパガンダには、映画制作者や役者の意図や手法は全く関係ないと思います。
    あなたはリーフェンシュタールの「民族の祭典」を今もう一度見ても、ナチスのプロパガンダしか見て取れないのでしょうか? それなら要するに、制作者の意図を体現する映画の手法を理解できない、映像の撮り方や編集というものがわかっていないというだけの話じゃないですか。
    ミロのビーナス像を見て、何だ、所詮手のない裸の女じゃないかと言っているのと同じことです。これも現代人の病なのでしょうか?

  11. 福島様
    監督は陸さんでしょうか、陸川さんなんでしょうか。
    知識がないのでよくわかりませんが、日本人、中国人?
    木幡さんはしっかりした俳優さんだという印象ですね。
    中国のプロパガンダにも負けず、逆にそれに過剰反応しないで冷静に演じている。
    中国では政治が絡む映画、TV、小説からプロパガンダを排除するのは八百屋で魚を求めるようなものだと思います。
    本来、政治的自由や思想表現自由を要求する存在であるべき大学生の大半が
    拝金主義に陥っているのですから先は長いです。

  12. 冷静なインタビュー内容の公開をありがとうございます。
    これはあくまでも原石状態のレポートだと思いますので今後のいろんな「取材」とともに炊きこまれたらどんな練りあがった文章になるのか楽しみです。
    (※異国の言語で言い争う一部コメンターもインパクトあり←独り言:レス不要)

  13. >制作者の意図を体現する映画の手法を理解できない、映像の撮り方や
    >編集というものがわかっていないというだけの話じゃないですか。
    >ミロのビーナス像を見て、何だ、所詮手のない裸の女じゃないかと
    >言っているのと同じことです。これも現代人の病なのでしょうか
    何故映画や芸術についてここまで主観的かつ一面的なものの見方しか出来ないのでしょうか?
    感じ方、捉え方は全員同じでなくてはならないという決まりなどないのに。
    映像は説明がなければ観客が自由に解釈してゆくのが当たり前の表現媒体です。だから自分の意図と乖離した解釈をされても良しとする覚悟が、作家には必要なのです。乖離なきように徹頭徹尾説明を尽くすと平凡なドキュメンタリー映像になるだけの事です。
    人には「手のない裸の女」と見る人を「現代病」呼ばわりする自由があるのと同様に、そういう見方をした人が別段病人扱いされない自由もあります。
    むろん別の何かを読み取る自由もあります。
    あなたが作品をどう解釈しようと自由ですが、あなたが他人の解釈を無理解と簡単に言い切る事に違和感を覚えます。

  14. >roselica さん
    >何故映画や芸術についてここまで主観的かつ一面的なものの見方しか出来ないのでしょうか?
    このコメントは私に対してですか、それとも私が反論した「プロパガンダには、映画制作者や役者の意図や手法は全く関係ないと思う」とおっしゃった方にでしょうか?
    >あなたが他人の解釈を無理解と簡単に言い切る事に違和感を覚えます
    つまりあなたは、人は「プロパガンダには、映画制作者や役者の意図や手法は全く関係ない」と言い切る自由もあるとおっしゃりたいのですね。それはそういう自由もあるでしょう。だからこそこの方はここでそう言い切っておられるのでしょう。
    人には常識(Common Sense)と言うものが自然に備わっています。おいしい料理と不味い料理の差は、常識によって厳然とあるのです。人が味をどう感じようが、あなたの言うように「自由」ですが、好き嫌いとは別に、おいしいと不味いの差は存在します。なぜミケランジェリのピアノは上手くて私が弾くと下手なのでしょうか?それも人に備わった常識のおかげで判断できるのでしょう。
    これはある意味でスポーツのルールと似たものです。あなたの言うことは、サッカーでオフサイドフラッグが上がっても「オフサイドなんてルールは誰かが勝手に作ったものだ」と主張して無視し、「そういう見方をした人が別段病人扱いされない自由もある」と強弁しているのと同じことです。
    あなたはルールとか常識とかの意味を真剣に考えた事がないんじゃありませんか?だから違和感を持つのでしょうね。

  15. To zhaoさん
    あなたの言いたい事がよく理解できてないのでおかしな返答になるかもしれませんがお許しください。
    私は映画や芸術についての話をしました。
    サッカーの厳格なオフサイドルールの話などしていませんしスポーツのルールは例えとして的外れではないでしょうか。
    日常生活や政治経済そしてスポーツなどには当然ありますが、映画や芸術に「ルールや常識」???
    制作手法にはそれなりにありますが(カメラ数、サイズ、撮影・制作方法、時間、素材等)、個人が他人の完成作品を批評するのに「ルールや常識」を持ち込むのですか?それは誰のものですか?結局あなた個人のものでしょう?
    かりに偉大な作家や国家がそのようなものを取り決めたら、あなたは「これぞルール!」とか言ってそれに従って芸術を見ているのですか?
    もしそうなら、それは偉大な作家と国家のルールや常識に乗っかっただけであなたのルールではない。
    過去の名作はmassの支持で名作と見做されたのであって、その当時や現代にある「ルールや常識」に合致しているからではないし、その支持は永遠不変という保証もない、移ろうものです。ゴッホのひまわりが58億ですが10年後に同じ価格を保つ保証はありません。生前は評価されず1枚も売れず、彼は裕福でない中で死に、58億を手にしたわけでもありません。
    私の理解力がないせいでしょうが、
    あなたは「『プロパガンダには、映画制作者や役者の意図や手法は全く関係ない』と言い切る自由もあるとおっしゃりたいのですね。それはそういう自由もあるでしょう」と言いながら、「(あなた自身の)ピアノが下手と思うのは常識が備わっているから」という例えを持ち出して、一体なにをおっしゃりたいのか分かりません。
    映画や芸術の世界でとくに感じますが、私は、自分の見た感想をあたかも万人の「常識」かのように言い切り、それを他者に押し付ける人を、しんどいなーと思うだけです。

  16. >roselica さん
    >自分の見た感想をあたかも万人の「常識」かのように言い切り、それを他者に押し付ける人を、しんどいなーと思う
    >完成作品を批評するのに「ルールや常識」を持ち込むのですか?それは誰のものですか?結局あなた個人のものでしょう
    というコメントへのコメントです。
    1)あなたは「常識」をいう言葉の意味を、私の言う意味から引き剥がしてしまい、意味を(よく言えば)誤解してるし(悪く言えば)すり替えています。
    2)「常識」は、私個人だけのものではないから「常識」として成立しているわけですから、あなたは全く逆のことをおっしゃっています。「好き嫌いとは別に存在する」と私が言っている意味を理解されていないのではないでしょうか。
    これについては、私がここで千言万語を費やすより、あなたが小林秀雄の「常識について」を読まれることをお勧めします。
    趙秋瑾

  17. To zhaoさん
    だから常識の一般論なんかを言ってんじゃないんだってば。「映画や芸術」となんども言っている。
    そして私は見た映画がプロパガンダだと思った瞬間から芸術作品としての評価はしない。
    あなたの「常識」とは全く違う感覚を持っているわけです。
    私は作り手の超端くれとして、芸術に常識を持つまいとつねにギリギリしているので、あなた個人の芸術に対する「常識」にとくに興味はありません。
    >2)「常識」は、私個人だけのものではないから「常識」として
    成立しているわけですから、
    ここであなたのおっしゃる映画や芸術の「常識」って、単なる多数派意見か習熟度の事ではないですか?過去の他人の出した評価にあなた個人が同調してるだけの事です。
    これはあなたが他者の見解や知識を借りて、混合して、身に付けた末の、あなた「個人の常識」であって万人の常識ではないんですよ、芸術表現の世界「限定」では。話がどんどんそれるのでやめますが。
    >福島様
    2回ルールがあったと思うので削除して下さい。すみませんでした。
    一般的な「ルールや常識」はつねに真剣に考えているつもりですw

  18. 福島香織さんも、この「地溝油」をたっぷり使った料理を、堪能しておられるのでしょうか。 南朝鮮にも少し趣が違いますが、人糞入りのお酒があるとの事、支那料理と朝鮮酒、なんとなく特アの趣があって、お酒も食事もすすむのではないでしょうか。
    福島さんと同業の方がこんな報告をされています。
    下水から作る「再生食用油」
    http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100326/213635/

  19. 元気です。今北京。19日にはもどるよ!いまだに地溝油も毒野菜もなくなりませんなあ。

  20. 中国からツイッターは見られませんが、福島さんのツイッターを追跡してアップしてくれるページから福島さんのツイッターを間接的に見ることができます。地震について本当に報道のテンションは低いですね。西部の渇水は大々的に愛国心を煽る政府広告を繰り返していますが。。。
    5月初めに上海にいらっしゃると書いておられましたが、上海の街角でお目にかかりたいものです~~>< 個人的に福島さんに連絡先を教えられる方法はないのでしょうか。

  21. インタビュー興味深く拝読しました。映画時代はたいしたことないと思いましたが最後のパレードの踊りには畏怖を感じました。小幡さんのお話を読み、陸川監督を見直しました。でもこのインタビューも含めてプロパガンダの一環だとしたら怖い。

  22. ツイ・ジェン(崔健)の15年振りの来日コンサートが、川口で5月7日に行われるそうで、(なぜに川口?)チケットを申し込みました。8千円は高いけれど・・・

  23. To 福島香織さん
    >元気です。今北京。19日にはもどるよ!いまだに地溝油も毒野菜もなくなりませんなあ。
    初めまして、コンニチハ。
    貴女の「北京コネタブログ」はずいぶん前から楽しく読んでおりました。
    新聞社は御卒業? されたようですが、ジャーナリストとしては現役と
    お見受けしますので、中国と日本他に対する鮮やかな斬り込み、期待
    致します。
    さて、南京問題ですが、プロパガンダによる特定意図の事実としての
    刷り込みという他に、受け止める一般の方々や知識階層の日中間の違い
    という観点も必要ではないかと。
    小生の感想としては、日本人の方がプロパガンダによる刷り込みへの
    疑問を持たない人が多く、耐性が強くないものと推測致します。

  24. ブルース・リーの『唐山大兄』と『精武門』は、悪役への怒りより、貧しい虐げられたものへのいたわりの目が、素晴らしいと感じさせた作品でした。
    ちょうど、同時期の加藤泰の『緋牡丹博徒 花札勝負』などの東映作品に共通したものがあったと思います。
    精武門関連では、日本人柔術家と実際に試合をした霍 元甲を主人公にした『霍 元甲』というそのものズバリのタイトルの映画もあるんですね。2006年にジェット・リーが主演で、日本人柔術家を中村獅童が演じたという・・・
    それにしても、今のようなスタイルの映画を作った最初の巨匠、エイゼンシュタインの映画はある意味すべて最強のプロパガンダ映画ですし、1960年代にゴダールをはじめとするヌーヴェルヴァーグの監督や批評家たちが、「あらゆる映画はプロパガンダである」という意味のことを言って、それが以後、常識になっていると思っていましたが。

  25. 福島香織さん、こんにちは。
    『南京!南京!』は観ていないのですが、映画『狙った恋の落とし方。』を観て、買ってみたガイドブックに『南京!南京!』試写会での中泉英雄さんの様子が書いてありました。
    舞台挨拶で最初は罵声を浴びせられていたけれど、途中から「よく出演してくれた」と励ましの言葉を拍手と共にいただいていたそうですね。
    後から通訳の方にその事を教えられて号泣したという中泉さんの気持ちが分かった気がしました。
    ご存知の方には失礼ですが、『狙った恋の落とし方。(原題:非誠勿擾 フェイチェンウーラオ)』は2008年中国の大ヒット作。
    もともと高倉健さんの映画のおかげで知名度のあった北海道を観て、ますます行きたくなった中国の方が多い様です(中国人観光客が07年の約27,000人に対し08年は約47,400人)。
    そんなに北海道を良く思ってくれていたなんて、全然知らずビックリしました。
    この映画では、時間の経過とともに変化する北海道の自然と、どんなに山奥でも手を抜いていない舗装道路の曲線の「様式美」と自然が織りなす景観。
    この二つにスポットが当たっている様に見えました。
    勘違いかもしれませんが、自分たちが美しいと思っているものを同じ様に美しいと感じてもらって、なんだか自分が褒められたような気持ちです(笑)。
    自分の中の「中国人像」が崩れて、グッと自分に近づいたような気がしました。
    二つの映画は題材は全く異なりますが、今までの「日本人」像には無い視点が与えられたのだと思います。
    僕には新たな「中国人像」が加わりました。

  26. 今日、川口のツイ・ジェンのコンサートに行ってきました。
    素晴らしかったです。
    現役バリバリ・・・でした。
    会場の漢人も、モンゴル人も、そして数少ない日本人も一緒になっての『一無所有』の大合唱。きっと会場を見はっていたはずの中国公安や駐日大使館の関係者はどのようにみたのでしょうか?

  27.  とても貴重なインタビューで、勉強になりました。まず、殺害された犠牲者の数ですが、時間(いつからいつまで)と空間(市内だけか、作戦全域か)の区切り方で、様々になります。さらに、発掘された「骨」には誰が殺したか書かれていません。記憶が風化し、リアルな認識がないのは、日本も中国も同じで、三〇万人にせよ、二万数千人にせよ、真摯に数字に向き合うことだと自戒しています。次に「角川の自殺だとか、全部ありえない話」とありましたが、偕行社の資料集などで、憲兵が不法行為を働く兵士を捕まえても放免され、逆に憲兵隊の中心的な大尉は東京に飛ばされ、そして戦後、全ての責任を自分で負って自決したことを学びました。これは時間的に離れていますが、私は重く受けとめ、この観点で自決のシーンを観ました。なお、安全区で難民救済していたボートリンの日記では、兵士が女性を求めて家に侵入したとき、そこの老婆が憲兵を探そうとしてやられたとあり、憲兵に着目すれば、中国人も頼りにしていたことを安全区の宣教師が記録しています。もちろん、これらは少数例で、全体にこじつけられないかもしれません。でも、参考として留意すべきと思っています。そして、あくまでもことの重大さを自覚して真摯に向き合うことに努めています。

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