■先日、大紀元をチェックしたとき、おもしろい写真をみかけた。
http://img.epochtimes.com/i6/701142122131002.jpg
写真をはりつけたいところですが、いちおう著作権に配慮して、アドレスだけ。はい、ケロロ軍曹の北京五輪版であります!
この写真が使われた記事がこれ、
http://epochtimes.com/gb/7/1/15/n1590328.htm
簡単に内容をいうと、五輪のエンブレムやマスコットの「パロディ」がネット上に氾濫しており、けしからん!!という記事で、中国紙「法制日報」からの転載。北京五輪のエンブレム(「京」の字を篆刻文字風にデフォルメしたマーク)にスカートをつけて、トイレの女性用と男性用のマークにしたのも、「エンブレムのデザイナーがエンブレムに込めた五輪精神が完全に失われている!!」とお怒りなのである。とういわけ、きょうは中国のパロディ問題を紹介。昨年2006年は中国「パロディ元年」と呼ばれた一年だった。そして中国ネット愛好者、若手芸術家やクリエイターらは「パロディは草の根文化だ!」という。しかし、当局はパロディをものすごく警戒、敵視している。パロディとは何か?中国におけるパロディとは?当局はパロディの何を警戒しているのか??考えてみたい。
■著作権侵害か 文化破壊か?中国パロディの本質
■中国語でパロディは「悪?」という。その言葉に表れるように、「悪ふざけ」というイメージがあり、ネット上にある「パロディ表現」への批判が最近急激に強まっている。上の記事しかり。昨年12月に発表された「中国の古典のパロディゲームをネットで紹介することは許さない」といった当局のお触れしかり。「ネットパロディを防止する座談会」などが光明日報主催で開かれたりもした。また、最近ではロシアのガムの広告で中国国家の替え歌を流したことに、中国が激怒、駐ロ大使館が抗議し、やめさせた事件もあった。まあ、国家の替え歌をコマーシャルで流すというのは、確かにやりすぎだが、北京のモーターショーに平気で、日本車そっくりの車を独自開発だといって出品するような国で、ネット市民が非営利で楽しむパロディごときに目くじらをたてる必要があるのだろうか?
■中国で本格的にパロディの是非が論争になったきっかけが、音響作家の胡戈(フーゴー)による、映画「無極」(陳凱歌監督)の映像を使用したパロディムービー「饅頭殺人事件」(2005年12月28日制作)である。もし中国語がおわかりで、無極を見たことがあるなら、バカウケ間違いなしなので、アドレスをはっておく。
http://forum.bn.sina.com.cn/cgi-bin/viewone.cgiωgid=59&fid=5780&itemid=3182
■陳凱歌の映画自体が駄作だったため、パロディムービーのおもしろさがきわだち、大評判になった。胡戈は一躍、パロディムービーの草分け、と称されるように。ところが、陳凱歌監督がこれに、「著作権侵害!」とかみつき、「法的措置にうったえる」といいだした。これにネット世論が一斉に胡戈を擁護。結局、その世論の強さに陳凱歌監督は法的措置に訴えることを断念した。まあ、胡戈のおかげで、当時「無極」DVDが飛ぶように売れてしまったという背景もあるが。パロディみると、「本家」も見たくなるのが人情だからね。
■当時、胡戈からメールでいくつかの質問に答えてもらったが、彼は楽しみにしていた「無極」の出来が悪かったたのが残念だったから、と制作意図を語り、もともと陳凱歌は大好きな監督、という。営利目的でなく、自分のサイトで仲間にみせるために楽しみに創っていただけだという。
■その後、胡戈のパロディムービーの水準の高さを認めた別の映画制作会社から、映画の広告用にパロディムービーを創ってくれ、といったオファーがくるようになった。ここまでくると、パロディ作家もクリエイターの仲間入りである。
■こういった事例から、ネット市民を中心とした若者の間では、パロディがひとつの「草の根文化」という認識もできてきた。今中国のネットでは、おもしろいパロディムービーがいっぱいあり、そこから映像や音響のクリエイターが生まれてくるのではないか、という予感もある。
■しかし、中国当局はこのパロディ文化への警戒心をつよめ、敵視している。なぜか。ひとつは、「饅頭殺人事件」で問題になったように、著作権の問題があるかもしれない。パロディは果たして著作権侵害か?
■私は法律に詳しくないので、よくわからないが、正面から法的に争えば、知財権侵害になる可能性は低くはないかもしれない。しかし、知財権侵害は、侵害された当事者が告訴し、裁判で法律に照らして裁かれるもので、少なくともネット上の非営利活動について、当局がどうのこうの言う問題ではないかもしれない。とういか、非営利パロディが著作権問題というなら、市場にあまたあふれる、海賊版は??そっちへの対応が先でしょ、となる。そもそも、著作権侵害は、「本家」の利益を損なうが、パロディは本家の宣伝になるケースも多い。
■違うのである。中国当局や公式メディアが、パロディを敵視するのは知財権問題が本当の理由ではない。
そこで、光明日報が昨年夏に開いた「ネット上のパロディが一般的になるのを防ぐための専門家座談会」なるものをみてみよう。
http://www.gmw.cn/content/wseg.htm
ここで主張されているのは、ネット上に多い「革命古典劇・文学(紅色経典)のパロディ」が、「優秀な民族の伝統文化を破壊している」という点である。当局および公式メディアがパロディ批判をする理由として真っ先にあげるのはこれである。
■北京五輪のエンブレムやマスコットのパロディは、北京五輪の崇高な精神をばかにしたことになる。三国志や紅楼夢などの設定を借りた日本のエロゲー(お色気ゲーム)は中国の優れた伝統文化の侵略だ。中国四大名著(水滸伝、西遊記、三国志演義、金瓶梅)など古典のパロディは、中国のネット上にあふれているが、これらも伝統文化を貶める行為と批判の対象だ。でも、孔子や詩経のパロディなんて、私からみれば文化破壊どころか、パロディにできるだけ古典を愛読するなんて、すごいヤツ、と舌をまいてしまうが。そうそう、孔子のパロディといえば、「孔子の泣き顔象」を創った彫塑家が、「尊い孔子さまをパロディにした」「いやネット上で孔子パロディが横行していることへの嘆きを表現している」と、論争になった。
http://www.xiashanet.com/life/xszx/news_all/20061113/105719.htm
■文化大革命で伝統文化をさんざん破壊してきた中国が今、優秀な民族文化、伝統文化を破壊するとパロディ批判するのは、少々こっけいな気がするが、果たして本当にそれだけが問題なのか。
■ここで、もう一歩深く考えてみると、このパロディ論争の背景に、昨年中国当局が打ち出した、文化発展計画綱要があると思われる。これは以前、このブログでも紹介したが、一種の文化統制号令である。この中には、中国独自の文化擁護のために、外国のアニメ、漫画、映画、音楽の流入防止も盛りこまれている。この背景は、国内コンテンツ産業の育成という純粋な産業発展上の狙いと、思想統制という政治的狙いがあるとみられrている。外国の文化コンテンツは、自由主義、民主主義、資本主義の価値観に基づいており、知らず知らずのうちに西側の思想に毒されてしまう可能性あるからだ。
■おなじように、中国のパロディ警戒、敵視の背景にも、政治的問題があるとおもわれる。例えば紅色経典のパロディは、共産党の権威落としにつながると警戒されている。古典パロディの中で、しばしば表現されているのは、中国政治・社会の矛盾への皮肉、風刺だったりする。そもそも、パロディとは、原作をいじり倒して、風刺し、茶化し、笑いたい衝動からくる創作なのだと私は理解しているから、その行為事態が、既存の権威への抵抗なのかもしれない。権威の足下が揺らぎつつある中国共産党にとっては、パロディ精神そのものが脅威、と見るのはうがちすぎだろうか?
■ところで日本は非常に「パロディ文化」の旺盛な国のひとつだと思う。ただ、日本の「パロディ」は、批判精神、風刺より、原作への愛着、リスペクトが創作意欲につながっているので、パロディといっていのかどうかは、異論があろう。だからあえて、「パロディ」とカギ括弧つきにしておく。日本の「パロディ」作品は、「同人」という特殊な呼び方をするものもある。これは俳句の同人や、小説家の卵である同人のことをさすのではなく、同じ漫画、アニメ、ゲームが好きな仲間同士が、「本家・原作」のキャラクターや世界観、設定をつかって漫画や小説、アニメを創る行為をさす。これは、非営利活動の趣味か、というとまったくそうでもなく、人気同人作家になるとけっこうもうけるらしい。市場はけっして小さくない、ときく。また、同人作品の中には、みようによっては原作の品位をおとしめかねない「お色気同人パロディ」も多い、というか圧倒的にお色気ものが多い。
■だがこういった「同人パロディ」を著作権侵害とか、原作のイメージを破壊する、とかいって司法に訴える状況はない、ようだ。むしろ、同人パロディにされること狙うような、漫画やアニメ、ゲームもあるくらいだ。同人パロディにされると、市場的に成功する。つまり、パロディの宣伝効果を認めている。また、本家・原作の作者自身がこういう同人界、パロディ作家出身、というケースも多い。つまり、同人界は、クリエイターの揺籃の役割も果たしている。
■こういう、「パロディ」に対する寛容さは、日本特有のような気がする。知財権意識が高い米国なら、日本のような同人市場は容認されないだろう。だからこそ、日本の漫画、アニメ、ゲームなどのサブカルチャーが異様に発展し、「cool Japan(かっこいい日本)」と世界に発信される。
「パロディ(同人)」の広告塔とクリエイター養成機能の結果、ではないか。ちなみに、日本の同人サイトは、ネットを通して中国でもひろまっており、それを読みたいがために、日本語を学ぶ中国人(台湾人、香港人含む)もいるくらいだ。
■というわけで、中国が、クリエイターを育成し、コンテンツ産業を発展させ、独自のサブカルチャーを形成し世界に発信したいという野望を持っているのなら、パロディを否定するのは、百害あって一利なし、ということになる。中国はもっと、パロディに寛容になるべきだ。
■「紅色娘子軍」をハーレクインロマンス風に書き直したっていいじゃないか。三国志の英雄がみんなお色気美少女って、笑えるじゃないか。諸葛亮孔明と周瑜がデキていったて、目くじら立てる必要はない。いずれもパロディでいじり倒され、萌えられ、笑われたくらいで、品位や輝きがかげるようなレベルの低い原作ではない。そもそも、パロディでちゃかされたくらいで、貶められ傷つく程度の原作など、作品としての魅力がない、逝ってよし、ということではないか。
■日本のまんが文化の礎を築いた手塚治虫氏は、若かりしころ繰り返し見たディズニー・アニメのバンビやピノキオを自己流に漫画化していた。やがて、手塚治虫氏没後、ディズニーアニメは、手塚治虫の代表作のジャングル大帝とそっくりな「ライオン・キング」を創り世界的ヒットを飛ばす。ライオン・キングがジャングル大帝の知財権侵害ではないか、という問題が出たとき、手塚プロが「仮にディズニー社が『ジャングル大帝』を参考にしていたとしても、ディズニー作品を敬っていた手塚は天国で光栄に思っていることでしょう」とコメントした。
かの手塚治虫氏も「パロディ(この場合模倣か)」していた。ディズニーアニメも「パロディ(同)」していた?しかし、それでバンビやジャングル大帝の輝きが曇ったか。いや、ますます原作のすごさにしびれた。そして、「パロディ」が新しい創造を生む力であることを実感するのである。
補足)手塚治虫氏の漫画バンビは復刻版がでている。でも版権をディズニーがとっちゃうなんて。やはり米国は著作権にうるさい保護意識の高い国だ。
http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88-%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%BC%AB%E7%94%BB-%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%93-%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%AD%E3%82%AA-%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB/dp/4069355464
注)中国の「悪?」は訳がよく分からなかったのであえて、パロディとしました。ただ、皮肉、風刺を意図した模倣だけでなく、先行作品からインスピレーションを受けたり、先行作品に愛着をもった創作も「悪?」として批判されていおり、日本の同人パロディに近い部分もあると思われます。
おまけ)これは北海道の「熊出没注意」ステッカーのパロディ?飲酒運転に注意してくれ、という意味らしい。
福島さん。
おっしゃるとおり、権力の側に立つ者は、風刺や皮肉に過剰に反応してしまいますね。著作権侵害は野放しなのに、当局がパロディー対策に躍起になるのも解かります。
>>権威の足下が揺らぎつつある中国共産党にとっては、パロディ精神そのものが脅威、と見るのはうがちすぎだろうか?
全然「うがちすぎ」じゃありませんってば。まさにその通りじゃないでしょうか?正鵠を射ていると思います。
言論統制、言論封殺の圧力が高ければパロデイで戦うのは理にかなったことです。魯迅の「阿Q」だって「悪ふざけ」の一種といえなくもありません。
たった一文字で一族の首が飛ぶ「文字の獄」の伝統を持つ国ですが、
今度ばかりは権力側の敗北で終わるような気がします。
>こういう、「パロディ」に対する寛容さは、日本特有のような気がする。知財権意識が高い米国なら、日本のような同人市場は容認されないだろう。
放送とか大きくやる以外はそうでもない気がします。
特にドラゴンボールとか米人が米国でそれなりの規模でパロディーを売ってます。
これは作品が日本だからでしょうか??
香織さんすごい中国通!
コスメ記事から確か10年経ってないのに。その他も博覧強記。
この中で知ってるのは、いま陳凱歌の自伝とインタビューが
NHKのラジオ講座応用編のテキストになってることくらい。
安能務の中国物は全部読んだけど、周瑜って誰だっけのレベル。
やる奴はやるんだね。
福島様、おはようございます。
>こういう、「パロディ」に対する寛容さは、日本特有のような気がする。
同感です。日本では、本歌取りや、同じテーマで絵を描く(例:風神雷神図)ことなど、「パロディ」は伝統です。
そして、福島さんが書かれているように、原作に対する愛着やリスペクトが根底にあるからだと思います。
海外でもてはやされるクール・ジャパンは、まさにご指摘の通り、
パロディ文化の土壌に咲いた大輪だと思います。
著作権侵害の問題をいうのであれば、パロディよりも、オリジナルを
冒涜するような悪質な海賊版だと思うのですが・・・(笑)
To sakuratouさん
中国人の皮肉や風刺は、磨きがかかっていますよ。饅頭殺人事件も、ちょっと政治批判がはいっているんですよね。
To マルコおいちゃんさん
確かに
言論統制をユーモアでくぐり抜ける、それがパロディの醍醐味ですよね。
To yigossoさん
私も、中国パロディに未来は、あるのではないか、と希望的観測です。これもネットのおかげだと思いますが。
To bitterさん
え??そうなんですか。でも、ディズニーアニメのパロディとかは難しそうですよね。
To tomochan2002さん
周瑜は、三国志の英雄で、呉の孫策の軍師です。すごい美男子という設定で、孔明のライバル?安能務さんの本では封神演義にはまりました。ジャンプで漫画になるずっと前からです。考えてみれば、中国の古典の封神演義は、日本で漫画になり、同人界を通じて世界に発信され、中国や香港、台湾のコスプレで、あのキャラクターの姿を見かけるほどに。
To seedsさん
>同感です。日本では、本歌取りや、同じテーマで絵を描く(例:風神雷神図)ことなど、「パロディ」は伝統です。
そうですね。宗達の風神雷神図は当時もずいぶんパロディされてきましたが、今でもアーチストたちが好んでパロディに使ってますよね。あんまり、著作権と知財権とかこだわり出すと、おもしろくないですよね。(新聞記者にあるまじき発言か?)
>
>そして、福島さんが書かれているように、原作に対する愛着やリスペクトが根底にあるからだと思います。
To 猪谷千香さん
ブンカブのイガヤ記者、さすがにこういった方面(同人界)に詳しそうですね。まあ、中国の場合、海賊版を完全否定するのも、結構難しい問題があるのです。というのも、外国の音楽や映像の正規版が簡単に手に入らない状況下で海賊版だけが、若いクリエイターたちの外に開かれた窓、という状況もあるわけです。中国の映像作家の中には北野武や深作欣二をリスペクトしている人もいますが、彼らの作品は暴力的という理由で中国では禁止です。
「無極「のパロディーは紹介されたページでは音声のみで画像が開きません(ほかのみなさんは開いたようですが私のパソコンがわるいんでしょうね)。
百度で検索していま見ている途中(半分ぐらい見ました)。
おもしろいですね。
真田さんもこれをみたらわらうでしょう。苦笑かな?
ところで大紀元はどうやって見ているんですか?
To nhatnhan625さん
アク禁ページにはAOLのソフトつかっています。でも、AOLも今後、中国当局におもねるようになってくると、使えなくなるかもしれませんね。そろそろ別の手段を準備せねば。
>「無極「のパロディーは紹介されたページでは音声のみで画像が開きません(ほかのみなさんは開いたようですが私のパソコンがわるいんでしょうね)。
>百度で検索していま見ている途中(半分ぐらい見ました)。
>おもしろいですね。
>真田さんもこれをみたらわらうでしょう。苦笑かな?
>
>ところで大紀元はどうやって見ているんですか?
福島様、こんにちは!
私も日本の「パロディ」文化は素晴らしいと思います。著作権との絡みは難しいですが、荒野の七人が七人の侍に影響を受けたりしているのを著作権侵害だと言う人はいないでしょう。様々な文化圏同士で相互に影響を与え合いながら文化の伝播が起こるのだと思います。
それは置いておいて、やはり中国のような思想統制をする国に真の発展はあり得ないというのが正直な感想です。広く受け入れられるパロディをつくるのはとても難しいはずです。高度なセンスも求められるでしょう。福島様のご指摘にあるような「Cool Japan」は、厳しいユーザの目によって揉まれながら発達したサブカルチャーの精華だと思います。
こうした下地がなくてアニメや映像文化を発展させようとしても無理な話でしょう。
>例えば紅色経典のパロディは、共産党の権威落としにつながると警戒されている。
そういば「海瑞罷官」も、毛沢東の大躍進政策を批判した彭徳懐が罷免されたことを暗に非難してると、難クセをつけられたことが文化大革命のきっかけになるんだよな。そう考えると共産党が古典のパロディの弾圧に目の色を変えて狂奔するのも理解できるかな。
To hiroponさん
おお、いいところに気づかれました。そのとおりですよね。
To 小龍景光さん
おっしゃるとおりだと思います。中国は今、一部で外国文化排除=伝統文化保護=独自の文化創造、という論調が強まっていますが、本当の独自の文化創造は、外国の文化との衝突、融合などを通した、自由な思想の発展が下地となるはずだと思います。
福島様、こんにちは!
私は福島さんの台湾人ファンです。
大げさに言うと、あの有名な映画”ET”も結局、竹取物語のパロディになるのではないかと思わせてしまうよね。。。
パロディを言えば、我々はすぐに西洋文学にある”風刺”や”詼かい”などを思いつき、やはり”本家”に次ぐ”模倣作”だと思われますね。特に古より科挙の競争が激しい中国(或いは漢文化)でより一層ですよ。ただし、それはまた日本のパロディ発想とは大層に相違しています。日本のパロディは独特な柔軟性があって、また西洋文学のあれとは多少違いますが、私も本当に好きですよ。日本のパロディ文化!!(ちなみに、台湾では”悪?”とは言わず、”抄襲”と言った方が多いかもね。)
<本当の独自の文化創造は、外国の文化との衝突、融合などを通した、自由な思想の発展が下地となるはずだ>とのご見解は本当に素晴らしいです。現在の台湾は、ちょうどその独自の文化(勿論、政治なども含め)を創造する真っ最中なんです。もっともっと努力しないと、と時々思ってます。