■4月6日に発表された中国初の臓器移植医療に関する法規「人体臓器移植条例」について記事でとりあげようかどうか迷った末、ブログで書くことにした。というのも、人の生死にかかわる非常にデリケートな問題な上、私自身はどちらかというと臓器移植医療に疑問をもっている。そういう観点がにじみでた原稿って新聞にはふさわしくないだろう。産経新聞は移植医療推進派だし。実際、4年ほど前に、中国の移植医療について書いた原稿は「おどろおどろしい」という理由でボツでした。
■移植医療については、健康で病気の人の気持ちが本当にわからないであろう私が何かいえた立場では、もちろんない。ただ私は祖母が昏睡状態になり死にゆく場面にも立ち会い、大切な人の死を迎える瞬間の痛みや厳粛さを思い返すたび、息を引き取ってすぐ、さあ移植だ、なんて遺体をもっていかれたら、たまらないなあと、そちらのつらさの方にさきに思いがいってしまうのだ。人は自分の経験と立場に照らし合わせてしか、なかなか想像力が働かないものなのだ。
■キリスト教的博愛精神から喜んで臓器を提供しようという方と患者の方をつなげるシステムは大切だと思っている。また、日本で移植医療を推進しようという動きをあえて妨害しようと思っているわけではない。ただ、お隣の中国にいって移植医療を受けようとされるなら、ちょっと中国の事情というものを考えてほしい。
というわけで、中国の移植医療事情とはどんな感じか、そして5月から施行される移植条例でどうなるか、ということをまとめてみたい。
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■臓器ブラックマーケット撲滅なるか、移植条例
でも、抜け穴ありそう?
ちょっとこわい、中国臓器移植事情
■天津に知る人ぞ知るアジア有数の臓器移植専門医療機関がある。3年ほど前、知人の知人(日本人)がその病院に別件で行ったときのこと。「特別病室があって、黒服金バッチのいかにもスジ者という出で立ちの男が入り口のところで立っているんだ。ありゃどっかの組の幹部が移植医療にきているんだよ。すごいな、中国にきても、舎弟を入り口で見張りにたたせているんだよ。病院にカチコミなんてあるわけないのに?」という。
■実際に見たわけではないが、中国の移植医療に日本のヤクザが結構、関わっていることはよく聞く。別の知人から「移植医療の取材したいの?私、日本からきた医療コーディネータっていう人知っているよ」といわれたことがあったが、「ひょっとして、その人、小指ないんじゃない?顔に傷痕ない?」と聞くと、「え~どうしてわかるの?」と返されて、取材断念。そういうスジの人から情報提供を受けてタダなわけがない。高額の情報提供料要求されて払った場合、その金は不法活動に使われるわけで、記者倫理が問われかねないではないか。
■ちなみにこういう医療コーディネーターと日本の患者家族とのトラブルもやたら多いそうだ。手術後すぐに死亡したときの「金を払え」「払わない」というやつで、知人も「いつももめている」と。でも、相手がヤクザだと、ふつう患者家族側が泣き寝入りで金をはらうのだろう。
■中国に移植医療を受けにくる外国人がなぜ多いか。それは中国が年間1万件前後の手術をこなす移植医療大国だからだ。そして、5月1日に人体臓器移植条例が施行される前までは、移植に関する法規はほとんど整備されておらず、日本や米国のようにシステムも統一されておらず、コネのある人間に金さえつめば、優先的にドナーを見つけてもらえる。特に金払いのよい外国人は歓迎されてきたのだ。
■ちなみに中国の移植医療のドナーとは①死刑囚②〝善意〟の生体移植ドナー③どこから現れたかわらかない謎のドナー。①については、事実上のブラックマーケットが存在することは、昨年のBBC記者の病院潜入取材などで明るみになっている。
■中国では、死刑囚が最後の罪滅ぼしとして、臓器を提供することで社会貢献することは認められている。この死刑囚ドナーは病気で死亡するわけでもなく、年齢も若いため、一番上等な臓器、ということで大手病院に優先的にまわされ、大抵は金払いのよい外国人患者に提供される。このドナーと患者をつなぐ交渉にあたる自称・医療コーディネーターは病院と組んで、患者側から法外な仲介料をとるわけだ。
■よく、死刑囚に金が払われたのか(払われたとしたら臓器売買にあたると非難される)、合意の上のドナーなのか、ということが問題点として指摘されているが、私は、コーディネーターが仲介料をつり上げる時点で、これはブラックマーケット化しているのと同じだと思う。死刑囚には無償の善意、社会貢献を求めているのに、病院と仲介者が高額の利益を得る。中国人の中には、これを臓器搾取とよぶ人もいる。
■中国では昨年、死刑判決の許可権が最高裁(最高人民法院)のもとに統一されたが、それまでは地方裁判所にゆだねられていた。むかしは、地方裁判所、地方監獄の幹部とコネをもつコーディネーターが、死刑囚ドナーを調達し、地方の病院で手術させるケースもあったとか。最高裁が死刑の許可権・再審権を統一的にもつようになったのは冤罪による死刑を防ぐためだが、結果的に死刑囚ドナーブラックマーケットにもけっこう影響を与えたとみられている。そして、このマーケットを完全にたたくために、5月1日から「人体臓器移植条例」(32条)が施行される。
■この条例の3条で、「いかなる組織、個人もいかなる形式の臓器売買を行ってはならず、また臓器売買に関わる活動に従事してはならない」と明確に規定された。また移植については衛生省が主管、管理監督し、移植にかかわる宣伝、推進活動、レシピエントリストの作成、そのコーディネートは専門の移植工作システムを通じて行われることも明記(6条)。ドナーは無償が原則。自分でドナーになるかならないかを決める権利があり、いかなるものも強制したり、騙してドナー登録させてはならない。またドナーは書面で自発的希望によってドナーとなることを示し、あとで取り消す権利もある。18歳未満のドナーも禁止。
■さらに移植実施医療機関は、手術や保存、医薬品の実費以外の費用を受け取ってはならず、その費用の基準は、のちに行政法規に従って確定、公開される。
もし、移植に関わり違法に収入を得た場合、これを臓器売買とみなし、違法所得を没収、その8倍から10倍の罰金を科し、臓器売買に加担した医療機関は移植医療科の登記を抹消、その後3年間は移植医療登記の申請ができず、事実上移植医療に携われないことになる。
■ほんとうに、この条例がきっちり施行されれば、少なくとも、医療機関と外部の医療コーディネーターが結託して暴利をむさぼる死刑囚ドナー臓器ブラックマーケットへの打撃は大きそうだ。
■だが、ちょっと気になる条文もあった。
「生体移植ドナーは、配偶者、直系の血縁、三代内の傍系の血縁、あるいは特別な扶助関係により親しい情が芽生えていることを証明するものがある人間に限る」(10条)。
以前から中国では生体移植は美談を交えて報道されることが多かった。中国人のメンタリティでは、キリスト教的博愛精神からくる無償の臓器提供は信じがたいが、夫婦や兄弟、義兄弟の情からくる臓器提供は納得できるし、世間は寛容なのだ。だから、ニセの結婚証明書などをつくって地方の病院でこっそり移植手術、というケースもあったようだ。
■条例では移植実施医療機関の認定と管理監督のシステムが規定され、これまでのように医療機関がニセの人間関係をわかっていながら執刀するケースは少なくなるかもしれないが、たとえば、かつて多額の借金を肩代わりしてくれた恩人が、移植手術が必要になり、こんどは自分が恩返しと、臓器提供をもうし出たドナーの場合、美談か臓器売買か?
■さて、この条例施行後、外国人が中国で移植を受けることはできるのか。以前の報道では、この条例に、外国人の中国への移植医療旅行を原則禁止する条文が含まれるということだった。だが、公布された全文をみるとそういった条文はなかった。だから、禁止、というわけではないようだ。
■ただ、この条例では移植の実費以上に必要な金の受け取りはいかなる組織、個人も禁止されているわけで、これまでのように外国人が金にものを言わせて中国150万人の移植希望者をさしおいて優先的に移植をうけることは、難しくなったのではないかな?外国人は中国の移植医療を臓器売買だと批判するくせに、金にものを言わせ中国人の臓器を買いあさる、といわれていたが、この条例をみるかぎり、外国人を含め金にものを言わせるやり方は、建前上難しくなりそうだ。
■しかし、である。ここでやはり気になるのが第10条。この条文の曖昧さが、抜け穴になりそうな予感。当局も死刑囚ドナーの管理は厳しくできても、民間の人間関係までは管理しきれない。移植を受けたいがために、あるいは家族に移植を受けさせたいがために、中国人と結婚するケース、それを仲介するケース…なんてありえそうでコワイ。もっとも、臓器を提供しても金が欲しい人と、いくら金を積んでも臓器を欲しい人をマッチングして、双方が納得し、さらに人情話でメンツをつくろえば、いったい何が問題なのか、というのは極めて中国人的発想ではある。
■医療の進歩が未熟だったころは、あきらめることができた命も、そこに治療法があるとわかれば助かりたいと思う。それはしごく当前のこと。しかし、風邪や営養不足からくる下痢で死んでしまう子供は世界にごまんとおり、一本十何円のワクチンで救えるのに失われる命もたくさんある。そう考えると、医療というのは金持ちの命を救い貧乏人の命を切り捨てるシステムのことかもしれない、と思ったりする。中国の移植医療実態は、その医療の本質をものすごくわかりやすい形で示しているのではないかと。。
■臓器移植が医療として確立したものとするならば、それが医療サービスとして市場化されるのも当たり前。先進国の金持ちが貧しい国に臓器を求めるのも自然の成り行き?そう割り切れれば、中国にいって移植医療を受けることも矛盾はないかもしれない。でもね、そんな医療の進歩に私は気持ちがついていけないんだ。
■まあ、インフルエンザにかかっても、お湯とハチミツのんでりゃ、そのうち治ると思い、実際なおしてしまうような人間のたわごとですから、さらっと読み流してやってください。
フィリピンで腎臓の売買を合法化しようか、という動きと合わせ、考えさせられます。
どうせ、大金持ちはアンダーグラウンドで罰せられず、そのドナーは貧乏人だという事を考えると、合法化で幾ばくかの金がドナーの家族に回ることを否定もできない自分がいます。
本当に難しい問題だと思います。
私は、移植医療には反対なのですけれど、自分がその立場に立ったらどうなのか。
黙って死んでいける自信はありません。
>キリスト教的博愛精神
そうだよね。日本には博愛精神がないから移植学会は「移植しない学会」になってるんだよ。日本人の倫理の基本は「自分の物は自分の物」だから、むつかしい。
>知人の知人
出た、前にも見たっけ、「友達の知人の知人の知人の知人で」
記者の基本だね。
>どっかの組の幹部が移植医療にきているんだよ。
禁酒法と同じで人の切実な欲望を禁じるとヤクザが出てくるのだ。
>医療というのは金持ちの命を救い貧乏人の命を切り捨てるシステム
金儲けの出来る奴が偉いという価値観を否定しないと、このシ
ステムはなくならないね。
ドナーカードってのは、自分の死の予約みたいでやだな。あんなの書くと交通事故に遭いそうで。
To oguogu2006さん
私は自分(や家族)が、見知らぬ誰かのために臓器を提供できるかドナーになれるか(させることができるか)、と考えた場合、できる自信がありません。だから、臓器移植は推進すべきだ、ドナーは増やすべきだ主張するのも躊躇してしまいます。自分が嫌なのに、人にせよ、とは言いにくい。でも、もし、自分がドナーになることで、残された家族に何か見返りがくるとなれば、やはり考えてしまうかも。あるいは、自分の大切な人が移植を求めている場合、自分の臓器を提供したいという気持ちになるかもしれない。
見知らぬ誰かへの無償の提供、というのはやはり、自分には難しい。もし提供する相手のことを知っていれば、また違ってくるのだと思います。
To ブリオッシュ或いは出べその親方さん
>>知人の知人
>出た、前にも見たっけ、「友達の知人の知人の知人の知人で」
>記者の基本だね。
記者の基本というより、中国の基本。中国の情報とり、取材は、人間関係をたどっていくことからはじまります。新聞記者です、といって名刺を切っても何も教えてもらえないけれど、誰それのトモダチ、おれの小妹、オレのアニキ、という関係の中では意外な事実にせまれたりします。
http://diablo.web.infoseek.co.jp/movie2/video.html
ここのビデオでも見て、すっきり寝てください。
医療に関する倫理というはあるようでないから難しいですね。
倫理があっても破る人はいるもんですし。
代理母なんてのも、考え出したら難しいものです。
考えるのやめてますw。
なかなか重たい問題をさらりと(実際は“ざらり”くらいか)書ききるプロの筆力胆力に心底羨望を覚えます(笑)。生物学とくに細胞の分子生物学をちょこっとお勉強すると、どうにも臓器を移植するなんてのは、高等生物の免疫システムが許しはしないのだなとわかるのですが、それを知らないと、機械の部品を交換するような感覚で可能なものだと錯覚してしまうようです。まるで「あるある移植医療」なのにと思ってしまうのですが。藁にもすがる思いでいる患者とその家族を食い物にする野師稼業な人々の双方の欲になんともいえずいや~な感じを抱きます。昔の奴隷商と基本的にはなんら変わりがないのでは。ともあれ、生物学の見地からいって、移植医療というのは、どんなに免疫抑制剤や療法技術が改良されたとしても、どうやら無謀な所業には変わりがないようです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4044070016/
http://www.amazon.co.jp/dp/4140019484/
To kokuさん
ありがとう!! 探偵ナイトスクープ、こころあたたまるお話しでした。
To ニッポニア・ニッポンさん
五臓六腑のそれぞれが七情(感情)と密接な関係をもつという考えは、中国医学には昔からありますよね。私も、内蔵や器官が取り替えのきくパーツであるとの考えにはなじめません。