■衆院が解散して、ようやくひといきついたところです。でも、きょうは院内記者クラブのおひっこしがあるんですけど。国会が終わるたびに引っ越しするんだ、平河の記者たちって。一部選挙班にうつったり野党に応援にいったり組替えもあります。
■ということで、すこし余裕ができましたので、先日から懸案でありましたエントリーの入れ直しをしておきます。RAMさんから、内容の危険性について指摘されたので、いったんひっこめさせていただきました。確かにご指摘のとおり、記事に誤った内容があり、人の命にかかわるものであったで、応急措置として。すでにコメントもいくつかついていたので、削除はしていないです。
■改めて読み直すと、感傷が先にきて、冷静な内容とは言えません。お恥ずかしい限りですが、訂正させていただきます。ようするに、「山は登り始めれば、自分の足で引き返すか登り切って下山するしかない」、というような表現があったのですが当然のことながらビバークすることも、救助を呼ぶことも、選択肢の中にあります。私自身も簡単なビバークの仕方も無線を使って救援を呼ぶやりかたも、煙筒の使い方も一応習ったんですけど。感傷におぼれるあまり、書き過ごしていましたというところが本当のところです。というわけで、もう一度考えなおして、書き直して再エントリーいたします。もとの原稿を見たい方はグーグルのキャッシュなどに残っていると思うので、そちらを。
(以下、入れ直し)
■先々週あたりから、政治部は「政局が緊迫」しているということで、新米政治部記者(といってももう9カ月)も、否応なく巻き込まれている。勤務時間朝8時から25時まで、中国の汗血工場か、ガレー船かという忙しさである。当然私だけでなく、私以上に同僚、そして他社の記者たちが働いていて、平河の記者クラブでは「血反吐吐く」とかいううめき声が他社のブースから聞こえてくる…。もっとも負けると分かっていても、炎天下の戦場に行かねばならない議員の先生方の苦悩とストレスに比べれば新聞記者の方がだいぶんと気楽だが。といった内輪話は、今度にして、今回は、産経以外は一面に記事を掲載していた大雪山系の遭難記事についてである。
■私の学生時代のアルバムに、ガスで真っ白になったトムラウシ山頂でポーズをとっている写真がある。いやあったはず。アルバムは奈良の実家にある。とにかく寒く、吹きすさぶ風の中で亀の子のように首を縮めているような写真ではなかったか。アルバムにはルートも状況も全部メモしてはさんでいるはずなので、実家に帰れば、記憶ももっと蘇ると思うが、当時はとにかくリーダーの後ろをついていくのに必死で実は、頭の中もガスがかかったように真っ白だった。寒くずぶぬれの、山登りを始めて4カ月目の19歳の夏。
■18日、夕刊デスク当番(福島は隔週で土曜夕刊担当もやるようになりました)なので、午前7時半から本社編集局で、久しぶりに体を休めながらゆっくり新聞を読んだ。産経は夕刊は大阪エリアだけなので、土曜夕刊デスクというのは、風呂屋の番台のように妙に時間がある。
■大雪山系の遭難記事をよみながら、断片的に、あ、この地形、この地名知っている、と少しずつ思い出し、私と同じ場所を歩いた人たちが亡くなったんだなあ、と思うと急に旧友の死を知らされたような気持ちになった。土曜夕刊時間帯の編集局がひまでよかった。こいつ、なんで泣いているのかと奇異に見とがめる人もいない。
■各紙とも、ツアー会社やガイドの判断力を批判しつつ責任論や中高年登山の危険性とか問題点を指摘、亡くなった方々の登山歴や家族に残した言葉などを紹介するという構成。これはオーソドックスで当たり前なのだが、おそらく記事を書いている記者の中には同じようにトムラウシを強い風の中、のぼった人もいるのではないかと思う。映画になった「クライマーズ・ハイ」に出てくる主人公の新聞記者も山好きだったが、新聞記者のワンゲル、山岳部出身率は意外に高いから。
■そういう記者は、定番の記事を書きながらも、いろいろなことを考えたかもしれない。たとえば、自分の一瞬の判断ミスで多くの人の命を心ならずも失わせてしまったガイドさんの背負う十字架の重さとか。幸いにも命を取り留めた人たちも、もう二度と愛した山々に登ることができないかもしれないトラウマだとか。
■高校卒業時には受験勉強で甘やかされた体重が60㌔をこえ(今は52㌔、念のため)、到底、山登りや苛酷な運動に耐えられるような根性のないと思われた私が大学でワンダーフォーゲル部に入ったときは、当然、両親は大反対だった。大雪山系を10日かけて縦走する夏合宿のときも、親は、引率者(パーティリーダー)が弱冠22歳の大学の先輩であることに青ざめたものだった。親があまりにもうるさいので、「万が一の場合があっても、山で死ぬことは本望です。リーダーや生き残った人たちを決して責めないようにお願いします」と一筆したためて出かけたのを覚えている。
■そう書いたのは夏山登山で事故なんておこるわけがない、と思っていたからなのだろうが、今思えば、22歳のパーリーなんて、人の命に対する責任を負える年齢じゃないし、毎週末に山を登っていたとしても、けっして十分な山岳経験だとはいえないかもしれない。しかも連れて行くのが、山を始めて数カ月、というひよこばかり。ついでにいうと、あの頃の阪大ワンゲルは前年か前々年に部から遭難死者を出して、部存亡の危機を漸くクリアして本格的活動再開に入ったころではなかったっけ?記憶がどうも定かではないが、ひょっとしたら、事故が起これば、新聞に厳しく批判記事がでるケースのひとつであったかもしれない。
■事故を検証し、その責任を追及し、負うべき責任は負い、反省し事故再発を防ぐように世論を喚起するのが新聞の使命なのだから、一連の記事の書き方も社説も正論である。ひょっとしたら、捜査が進むにつれてツアー会社やガイド側にさらに重大な過失があらわれるかもしれない。
■ただ、新聞記者という立場をはなれて、未熟ながらも山が好きだった、という一個人の思いをいえば、どんなに注意してもどんなにベテランでも、簡単な夏山でも、山岳事故はおこるときはおこる。それが大自然を相手にするということなのだと思う。だからといって、高齢者だから、技術不足、経験不足だからといって、山への門戸を閉ざしてほしくもない。そういう未熟者にも山を教えてくれるトレッキングツアーはありがたい。
■山登りの基本は、自分の足で登り降りること。どんなに苦しくとも自分で登らなくてはならず、そして降りなくてはならない。自分がダメだ、と思っても、リーダーや周囲の仲間に必死になってついていくと、ときどき、自分が想定してた限界を思わず超えて、実はそれ以上の能力が自分に備わっていたことを発見することがある。それが自信につながるし、面白い。
■しかし、超えられる限界と、超えられない限界を見極めることは難しいのだと思う。このくらいの天候の悪さなら乗り越えられる、このくらいの荷重なら耐えられる、と言う判断。自分一人ならダメだと音を上げてしまう肉体的苦痛に、集団なら耐えられる場合もある。 だから、無事に下りてきたとき、そういう試練を与えてくれた自然に感謝できるし、自分を凄いと思える。50、60歳代から、そういう挑戦と成長の世界に入り、少しずつ自分を鍛えて楽しめる中高年登山愛好家には、私は素直に敬意を表したい。
■限界を超えられる、超えられないという見極めは、経験を積んだパーティリーダーなりサブリーダーなりが判断を最終的に下すのだろうが、その判断はとてつもなく難しく重い。20年余り前の19歳のひよこワンゲラーの私たちは何事もなく下山してきたが、たとえば、同じ状況にあったとき22歳のパーティリーダーはどういった判断をくだしたのだろうか、とふと思う。経験がたりないぶん慎重になって出発を見送ったか、若さゆえの自信から悪天候を押して出発したか。
■今回、お亡くなりになった方々は、新聞記事で読む限り、本当に山を愛し、経験も豊富で、「安易な中高年ツアー登山に警鐘」などという言葉を使うことすらはばかられるような人たちばかりだ。今度のルートを「難しい、それでも」と自覚する方もいたし、心配する家族に「最後にするから行かせて」とせがんで行った方もいた。きっとどなたも、そんな山を見くびる気持ちはなかっただろう。
■昨今の新聞記事は、とにかく責任の所在を探して追及するというパターンに陥りがちだ。責任の所在はここだ、誰の責任だと決めてしまえば、遺族の方たちの悲しみも多少いき場をみつけるかもしれない。ツアー料金を払っての登山参加だから、参加者の安全に万全の対策をあらかじめとっているのがツアー会社の責任、というのも正しいのだが、自然相手に万全の安全対策がとれないというのも事実で、本当は責任論だけで割り切れないものも沢山あるのではないかとも思う。
■結局、こういうニュースに接したあと、いろいろ考えて、いろいろ思いをはせて、それでも「私は山が好き。また、のぼる」とひとり、ひとりが覚悟するかどうかが、一番大事なところではないかと思う。家族に、危ないから行くな、といわれたとき、万が一のことがあっても、誰も悲しまないで、山で死ぬことは本望だから、と言い切ってでも行きたいほど、山が好きか、というところに帰ってくるのだと思う。
■山に登りたい人に比べ、ベテランガイドが少ないという点が大きな問題とする声もある。だけどパーフェクトなベテランガイドになるまで経験をつむ以前は誰もが未熟だろう。自分はベテランとなったと自信を持つ人も、実はパニックに陥ったときは判断ミスをするかもしれない。
■だから、トレッキングツアーの参加者は、ベテランガイドがついているから絶対安心なんてことも、露ほどに思うべきではないだろうし、ツアー側も、初心者でも安心です、などと宣伝をすべきではない。「山では何が起こるかわかりません。しかしその危険を上回る魅力と出会えます」と正直に山の怖さと魅力を伝えて、ともに責任と覚悟をもって登山に参加できるツアーを選ぶこと、そういう参加メンバー、ガイドらが信頼感をきちんと醸成できるツアーを組むことが大切ではないだろうか。
■学生時代の大雪縦走のときに、私が必死に追っていたリーダーの若い背中は今思うと、本当はすごく頼りないものだったかもしれないけれど、あのときは全幅の信頼を置いていた。
きっと、彼もそのときの信頼に応えるべく、年齢に似合わぬ忍耐と気配りを自分の中で総動員していたのだろう。
■今回の事故は、参加者から不安の声や中止の要請があったにもかかわらず、ガイドの独断が先行したという報道があった。ひょっとするガイドが参加者から不安を訴えられて、ムキになり、感情的になって自分の判断をあやまたせるような、信頼関係の欠如があったかもしれない、とふと想像したりした。でないと、職業ガイドの立場で、参加者の意見やうったえを無視してまで、強行軍をすすめる心理が理解できない。
■いろいろ考えても、亡くなった方はもどってこられないけれど。でも、やはりいろいろと考えてしまう。
亡くなった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、残された方々の心がいつの日か、癒されんことを祈ります。
こんにちは、福島さん
今日のエントリーは、元ワンゲル娘の真骨頂ともいえる素晴らしい内容です。
数年前、7月中旬に大雪山旭岳ロープウエーで姿見ノ池まで行き、その後、裾合い平から中岳へと計画を立てましたが、途中、雨が降り始め、裾合い平手前で引き返しました。雨・風が強くなり雷鳴もとどろく中、ロープウエーが再開するまで約2時間濡れた体を温めながら、これが、山の斜面に居たら「低体温で死んでいたね」と話し合った記憶があります。北海道の2000メートル級の山は、本州の3000メートルに相当する装備が必要といわれるのは尤もです。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすることしかできません。
亡くなられた岡山のご婦人は、取引先の奥さんでした。驚きました。
ワンダーフォーゲル部ですか
懐かしい言葉ですね
横長のザック担いだ集団が
掛け声掛けながら登っていく
なぜ彼らは縦長のザックにしないのか
なんて、思ったことを思い出しました
自然を相手にする、スポーツは一歩間違えれば
命を失う危険がありますね
人が命を失うような環境では他人にできる手助けは知れていますね
海や山では、状況は急変する
穏やかな時は何の危険も無くできることが
できなくなり、命にかかわる事もある
ガイドと事故の問題は難しい
スキューバーダイビングなどはいつもこの問題がネットを賑わしている
結論の出る事は少ないですね
>山は登り始めれば自分の足で引き返すか、登り切って下山するしかない。
こんなことを書いては、また死ぬ人が出ます。
後半が、絶対にだめなことであることをご存じありませんか?
今回の遭難の原因も、これですよ。
「やばい」と思えば、じっと動かないのが、正解です。
そして、状況が少しでも好転すれば、すぐにその場から「下山」です。
「登り切って」という欲を出すと、死にます。
今回のツアーの人たちも、あなたと同じ程度の考えだったのでしょうね。
少なくとも、あなたよりは経験があり、実際に山で
何度も人命救助をしている私からみれば、
今回の遭難は、そのような「先へ進みたい」という欲が招いた、
無駄な遭難でしかありません。
悪いですが、参加者も、ガイドも、本当の意味でのベテランなど、
誰もいなかったようです。
ベテランとは、周りが死んでいくような状況でも、
生き延びられてきた人を言います。
それは「引き返す勇気」を持っている人のことです。
遭難しても「無事全員帰還」を果たすパーティもあれば「死者を出すtour」もありますね。何が違ったのでしょう?
もう6年ぐらい前になりますか、関学ワンゲルのパーティーが2月の始め福井・石川県境の大長山で遭難しましたが、天候悪化で数日間閉じ込められたにもかかわらず全員が福井・石川・富山の3県警察ヘリ部隊と空自小松救難隊に救助されたことがありました。
今でもこの経験は実地訓練として受け継がれているそうです。
http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/0001522379.shtml
今回のトムラウス遭難の教訓は、今後に活かされることがあるのでしょうか?
【北京。。】記者さま
≪大雪でお亡くなりになった方々の冥福を祈り再掲 ≫
このエントリーのタイトルは、やや紛らわしいですネ~。
≪大雪山系でお亡くなりになった方々の冥福を祈り再掲 ≫
が適当かと思います。思わず〝大雪(おおゆき)?〟とばかりに読んでしまいました。詐欺にひっかったとは申しませぬが、省いた語句が〝山系〟とは、〝産経〟に掛けての意図はなくとも深層心理は窺がえます。申し開きをするのなら、早めの方が良いと思います、ヨ。
復活した「ゴシップ」と
[ゴシップ」に対して
書かれた「ゴシップコメント」に
拍手
福島さんは阪大ワンゲルでっか。
遭難現場の写真をみて感じたことは、
テントやツエルトを持っているようなパティーであれば携行火器、防寒着、乾いた下着の替え、非常食も持参しているはずなのになんで10人も疲労凍死せなあかんねん。天候が悪化し、10人以上も力量の判らない人達を引率しているのであれば濡れて弱った者がでたら即刻テン場作ってビバークやろ。
詳しい事情も判らない者が軽々しくPLを非難できませんがもっと早期にビバーク、いや天候悪化が予想されていたのですから沈澱の決断をしていれば助かったのでは思われるだけに、残念でなりません。
なんか記事のシズル感が死んでしまったような・・・。前回の記事のあとに追記するとかという形式のほうが、内容が生きるのではなかったか。山の体験を持っている人の現場の判断の働き方を、体験のない人にいくらか伝える役割はあったと思うんですけどね。なんか残念です。いろいろコマーシャリズムにも引っかかる事件ではあったようで・・・。実際、事件のあと、少なからず山登りツアーのキャンセルも相次いだとか。商売に影響することは極力議論が盛り上がらないような暗黙的な配慮もあるのかな? ちょいと勝手に場外乱闘しちゃったようで(笑)。一人相撲みたいなものですけどね。
■大雪でお亡くなりになった方々の冥福を祈り/北京・平河趣聞博客(ぺきん・ひらかわこねたぶろぐ)
http://www.iza.ne.jp/bookmark/538272/
To starbeastさん
濡れたらやたら重い三角テントを7分とか、ストップウォッチをもって立てる訓練とかもしました。風雨にさらされる時間を短縮するための訓練(笑)それなら、ばっと立つ軽いドーム天にすればいいのにと、文句をいってましたが、今思えば、そういうことをやっているうちに、山で風雨に体を去らす危険とか、教えられていたのかもしれません。
便利に手軽になると、それだけ身に染みる危険とか少なくなって、天候などが予測を上回る変化をみせると、正常な判断ができなくなるのかもしれません。
一番体力がなくてみんなに迷惑をかけていた(ペースを乱すなど)自分のことを思いかえすと、もし自分が参加していたパーティがこういう風になったら、私が一番最初に動けなくなるんだろうなあ、とか思いました。
福島記者
唐突に非公開になった訳は得心致しました。
> 自分がダメだ、と思っても、リーダーや周囲の仲間に必死になってついていくと..
> しかし、超えられる限界と、超えられない限界を見極めることは難しい…
登山やワンゲルは経験が無いのでどうとも言えませんが、私的趣味のオートバイで考えるとマスツーリングとかサーキットの体験走行の感覚に近いものがありますね。 参加者層に合わせてペース配分やコース設定・旅程等々考慮しないと転倒者(車)が出る…被害拡大の果てには人命に関わる…なまじ機械力頼りなだけに厄介と言うか…
> 昨今の新聞記事は、とにかく責任の所在を探して追及するというパターンに陥り
> がちだ…自然相手に万全の安全対策がとれないというのも事実で、本当は責任論
> だけで割り切れないものも沢山あるのではないかとも思う
TVもね…NHKニュースの山口土石流災害報道でも「自然の驚異」より「行政の対応不全」に焦点を当ててアナウンサーがコメントしているのを観て、辟易しましたよ。
リードする人間により多くの責任が課せられる事は当然なのですが、昨今の大手マスメディアによる「善悪二元論」的論調の中では責任追及というより「糾弾」と言った方が適当な事例が余りに多すぎて、肝心な「状況説明」を蔑ろにしていないだろうか?と、痛ましい災害・事故報道を観る度に考えてしまいます。 無論、それを読者・視聴者が望んでいると彼等が判断しているのであれば「正しい」のでしょうが…
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
風速が1m増すごとに体温が1度低くなる。
今回の風速20メートルだと、20度体温低下ですよね。
新田次郎氏の小説をほとんど昔読んでいて、一番記憶に残る言葉です。氏も何度も何度も使われていた。警鐘でしょうね。
「風が死んだ」って表現も好きでしたが。
それと、別に、
綿の特に下着は危険ですよね。濡れたら体温を奪ってしまう。昔ならウール系だし、今ならサーモウエアを一番下ですよね。
もし、ガイド会社が、こういう下着を支持していなければ、ちょっとと思います。
それに、幾つか記事を読んだところ、地元のガイドではなかったようですね。これが事実なら信じられないですね。
日帰りハイキングならともかく、その土地、気候を知らずに一泊なり連泊のガイドなどやって良いわけないです。ど素人や年配の人が混じる場合、特にありえないです。
はじめまして。以前からブログは読ませて頂いていましたがコメントは今回が初めてとなります。
今回の遭難、過去の遭難事例が教訓として生かせなかった遭難ではないでしょうか。
過去の遭難事例とは2002年のそれです。
今回の遭難とは細部が異なりますが、同時期、ほぼ同じ場所で同じ死因によるものでした。
南沼キャンプ指定地に避難小屋がもしもあったのなら遭難死は避けられたのでは・・・
と私は思っています。(2002年の遭難も同じです)
もちろん、今回の遭難はガイドの判断ミスが重なったためです。避難小屋を設置すべき主体の無作為によるものではありません。
ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ温泉下山口までは距離も長く、非常時以外でも有用なのではと思います。
なにより、今までの遭難傾向から考えるにこれからも数年に一回は同様の死者が出るだろうと予測されます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/279297/
にも書かれていますが、恐らく川越氏も同様の見解をお持ちなのではと思います。
今回の遭難、この視点で書かれている報道は上記のもののみ(見落としはあるかもしれません)で再発防止の観点から有用な提言を行っているところは見当たりません。
残念な事です。
>あの頃の阪大ワンゲルは
「あの頃の阪大ワンゲルが」としたら、人の事になったのに、「あの頃の阪大ワンゲルは」としたので、自分の事になってしまっています。
日本語は不思議ですね。
tenyou
上の訂正で、君の言っている事は、珍しく、概ね正しい。しかし、トムラの北沼付近ならば、まず、ツェルトでもかぶってビバークがベターだろう。ベストは、朝、小屋から出発しなかった事だが。
問題の一つに、「フリースとウインドブレーカだけ」という、装備の貧弱さがあるので、ツェルトも、予備の食料なども、持っていなかっただろうという事がある。
遭難場所付近は海面気温から12℃程度気温低下している事すら、知らなかったのではないだろうか?と言うほどの服装は、救助の自衛隊員も呆れていたらしい。
本来は、入山前に、ガイド(旅行会社)が装備チェックをし、不十分な者には「買いに行かせる」か、「同行を断る」必要があったであろうが、君も日野原ブログで書いていたように、中高年登山者は、あきれ果てるほどひどい連中がいるのも事実なので、今回に関しては、生き残った者も含めて、皆が、何らかの問題を持っていた、と言う事だろう。
gouta さん
>今回の風速20メートルだと、20度体温低下ですよね。
「体感気温」と「体温」の区別も付かないのか?
人気の低いブログでの討論はイヤだとか言っている割に、
人気の高い所で、恥をさらすのが趣味かい?
コスプレ、
私に構うな、と何度も言っている。
以前、私が前穂高岳で救助した中年3人組は、山頂から奥穂へ向かう吊り尾根に降りる時に道を間違え、岩場で、登りも下りも出来ない状態だった。通りがかった私が、そのうち一番弱っている人のザックも担ぎ、ザイルでアンザイレンし、一歩ずつ手の位置、足の位置を支持して、何とか登山道まで降りさせてから聞いた言葉は、「自分たちは、昨年富士山に登った。だから、日本中の山は、どこへでも登れると思っていた」と言う事だった。(本気だったので、助けた事を少し後悔した)
・・・この程度の頭の連中が、毎年、山に来ている。
盆休みの涸沢カールなど、おばちゃんの団体の話し声で「ワ~ン」と鳴っている。当然、話に夢中だから、足許の小石を踏み落とす事などに注意も払わない。
何度か、落石事故に巻き込まれかけ、私は「素人が来る夏山」に行くのは、止めた。
これからも、遭難者は増え続けるのだろう・・・。
コメンテーターのみなさ~ん
ん~、さながら登山経験者による犠牲者たる熟年初心者バッシング。
お客様と売り上げの板ばさみになるガイドも大変だけれど、バッシングは容赦なし。ここまでは決して悪い傾向ではない。ツアー会社の〝すべては現場責任〟の〝親会社無責任ぶり〟にはバッシングも少ない。これが現代の〝名ばかり店長〟の登山版であるか否かは、アルバイターの〝意気込み〟にもよるのか? 売上げ至上の登山ツアー市場の過熱によるか?
別エントリーにして口角泡を飛ばしたいくらい。ダネ~
To brappi-oggyさん
会社の責任は、法に従って問われることになると思いますよ。民事上も多額の賠償請求訴訟が行われることは間違いないと思われます。
ガイドに現場判断を一任とはいえ、個人が背負える範囲をこえていますから。会社組織というのは、こういう場合に全面的に責任を負うものだと思います。
事故の発生は自己責任で終わらない
山で起これば救助隊は地元の山岳会や消防団などのボランティア
海であれば、漁師さん
経済的側面は、観光業への風評被害
ガイド問題は、コストと直結している
安全対策で手を抜いたほうが目先の利益は増える
ガイド随伴のレジャーとしてはダイビングが普及しているが
問題は常に発生している
To 福島香織さん
>To starbeastさん
> 一番体力がなくてみんなに迷惑をかけていた(ペースを乱すなど)自分のことを思いかえすと、もし自分が参加していたパーティがこういう風になったら、私が一番最初に動けなくなるんだろうなあ、とか思いました。
福島様
もし冬期間であったら今回の遭難事故は起こりえなかったのかも知れませんね。厳しい冬であればガイドのツアーコントロールも「より安全な」コントロール法になったかも知れませんね。
「7月」「夏山」という先入観がガイドの目を曇らせた様にも思えます。
To 福島香織さん
>> 一番体力がなくてみんなに迷惑をかけていた(ペースを乱すなど)自分のことを思いかえすと、もし自分が参加していたパーティがこういう風になったら、私が一番最初に動けなくなるんだろうなあ、とか思いました。
えらくセンチなものいいですね。阪大ワンゲルのPLであれば貴女の体力などは日頃の訓練のなかで把握済みですよ。
天候や体力の消耗度を勘案して動けなくなる前に不時露営してますって。
二人のガイドで10人以上の装備、経験、体力が異なる人達を連れての山行は本当に危険ですよね。
北海道は旅行業界の団体に対し、予備日の設定などツアー登山に関する要望書を送った。要望内容は、ほかに事前の現地調査実施、参加者の装備品や健康状態の点検徹底などで、日本旅行行協会と全国旅行業協会合わせて7000社に送り、会員企業への周知を求めた。道内アウトドア事業者にも同様の要望書を送った。(北海道新聞7月24日付け朝刊より)
今回の遭難の原因の一つに、17日午後2時台の広島・名古屋便を予約していた参加者がいたことが揚げられます。18日から運賃が高くなるため、予約の変更がきかない運賃での予約をしていたからです。無理がたたりましたね。
To 福島香織さん
仰る意味は良く解ります。当然ながら≪会社組織というのは、こういう場合に全面的に責任を負うものだと思います。≫は正論です。ボクも同意します。また、巴さろん仰っているツアー客の下山後の個人的な予定も、昨日のTVでは話題になっていました。こう言う〝登山ツアー客〟は、別名〝ピーク・ハンター〟とも呼ばれる熟年同好会者たちでもあるらしいです。何でも、ガイドはお客さんの〝頂上に立つ〟ご要望と安全、およびツアー会社さんの〝売上げ〟関係との板挟みになることは往々にしてあるらしいです。ガイド側から、たとえ安全のためにであっても、登攀を打ち切ったりすると、ツアー客から〝料金の値引き〟請求が発せられ、ツアー客が自ら登攀を断念したりするとツアー会社から〝キャンセル料〟の請求が発生する。このような事情もあるらしい。さらにまた、装備品などのメーカーさんから言わせると、高性能、高機能の製品をご提供しても、使う側が用法に熟れていなかったり誤用をされるケースは後を絶たないのだそうであるし、何より道具に頼って貰っても危険は危険。高性能の道具は提供できても、体力や判断までは
提供できないのだそうであります。登山ツアー客の中には、必須の装備品はすべてツアーコンダクターが用意、携行・運搬し、自らは個人的な装備品や嗜好物を携帯して、身一つで〝頂上に立つ〟と思い込んでおられる傾向にあるとか。ツアコンとしても、現地専門のガイドは、委託するのにそうは居らず、結構、大変なものらしい。
会社側の責任は、今後金銭面での代償として議論に上るのでしょうが、現在感じる〝罪の意識〟とか社会的、同義的謝罪感とかは、会社全体が感じているだろうか?については確証があげられない。〝へま〟の槍玉は、このエントリでの議論の通り、ガイドに集中する。事情的には当然と言えば当然。マスコミも法的責任論に関しては、正論を語る。今後の防止策としての一計には、何があるだろうか? 加熱する〝登山ツアー〟に水を差す事も出来ない。〝ブン屋〟としては、いま突っ込む議論もなし、ただただ、犠牲者さんたちの冥福を祈るばかり。マスコミとしてこの先出来ることは、やはり何もないか………。ん~。
〝巴さろんさんが〟ですネ。スミマセン書き損じました。
コメンテーターのみなさ~ん
さながら皆様方の避難・防難〝腕〟自慢めいてきましたが、どうもこれは登山家連中の〝遭難〟事故ではなくて、今深く静かに流行が熱を帯びてきた〝少子化反面急増中の引退直後熟年〟のおばはん・おじちゃん達のお気楽でお楽しみ中心の〝頂上〟ツアーの〝ヘマ〟なんじゃ~ないか~と言われている(気がする)。ある種の社会警告めいて来てるんじゃないか? とも思えるんですが・・・・・・・・、-----考え過ぎかな?