■上野の森美術館で1月11日まで催されている「聖地チベット展」に、チベット亡命政府オフィシャルプレスの記者のシェーラップ・ウーセルさんと、法王庁所属カメラマンのテンジン・チョジュルさんと一緒にいって感想をいいあう、という催しが11月8日にあったのだけれど、そのリポートをまだ載せていなかった。遅ればせながら、紹介する。
■ちなみに、あす日曜、12月6日13:40から、第7回「チベットの歴史と文化学習会」(小野田俊蔵/渡辺一枝/テンジン・タシ/福島香織他)というのを文京区民センター(3-A会議室)でやるよ。よかったら来てください。詳しくはhttp://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2009/11/1267-9140.html
で。
■プロパガンダか冒涜か?聖地チベット展
でも、チベット人記者は大感激
■今回のエントリーは、『殺劫』を読んで上野の森美術館「聖地チベット展」に行く(社告ではない) の続編。この展覧会は、実はチベットサポーターから、中国のプロパガンダだ!としばしば批判されており、展覧会場前では抗議のちらしが配られたりしている。では、チベット人にこの展示をみせたら、どう反応するだろうか?
というわけで、10月のダライ・ラマ14世 訪日に随行してきた亡命2世のチベット人記者とカメラマン2人に、そして
SFT(スチューデント・フォー・フリーチベット)ジャパン代表のツェリン・ドルジェさん、そしてブログ「チベット式」などでチベット通としても知られる長田幸康さんらと一緒に11月8日、この展覧会を観たのだった。
■同展について、さらっと紹介しておくと、これはフジ・産経グループに属する上野の森美術館、朝日新聞、TBS、大広とメディア大手が主催する展覧会で、チベット仏教美術展としては日本最大規模とかいうふれこみだ。そのわりには展示数すくないんだけれど、それほどあの天空の地から宝物を持ち出すことは大変だということだ。
■あくまで仏教美術展なので、展示の解説にはチベットと中国共産党との複雑な歴史や、文革でチベット仏教美術がどんな目にあったかとか、ダライ・ラマ14世のことなども触れておらず、この法衣の表現が優美だ~とか、そういう美術史的な視点しか書かれていない。
■しかも後援が中国国家文物協会、中国大使館の名前が並んでいるので、一部のチベット・サポーターは「チベット仏教の仏像はチベットのものなのに、なんで文革のとき、仏教美術を破壊した中国共産党が、中国の宝みたいな顔して貸し出して金儲けるんだ」「ポタラ宮の宝物はダライ・ラマ法王の私物だろう!勝手に持ち出すなんてけしからん」などと不満をくすぶらせており、展覧会に対して抗議活動をしたりしているわけだ。
■で、私がみたところ、確かに不自然なくらい、チベット近代史をさけた解説がしてあって、正直ものたりない。たとえばミンドゥリン寺の仏像も出品されているが、この寺は文化大革命のとき徹底的に破壊された寺の一つだ。しかし、いくつかの仏像は地域の信者にこっそり持ち出され隠されて、文革の嵐からまもられていた。文革が終わったあと仏像は寺にもどされ、仏像の安置している場所のところには、その信者の写真が置いてあって、「この方が仏像を守ってくれました」みたいな説明も添えられているとか。
■それって、ドラマだ。ひとつの仏像が歴史的災難を奇しくも逃れて時をへて、日本で展示され目の前にある。その一言を解説に書き添えるだけで、チベットの信仰の一端を理解できるし、観る者はまた違ったロマンにふれることができるじゃないか。文革というのはすでに、中国共産党も過ちと認めているのだから、当然解説に書いてもいいはずなのに、それを書かないのは、たぶん過剰な中国当局への気遣いによる自主規制ではないか、と思う。仏教美術の専門家だけでなくてチベット史の専門家、たとえば率直なものいいで定評のある石濱裕美子・早稲田大学育・総合科学学術院教授が解説などかいたら、同じ展示でも、もっと見ごたえのある充実感ある展示になっただろう。
■私は解説があっさりしすぎだ、と思ってさっさと一巡見終わった。が、ふとチベット人ジャーナリストたちはどんな風にみているかなと、姿を探してみると、なんとまだ最初の展示物の前にはりついている!
■カメラマンのチョジュルさんは比較的早く観終わっていたのだが、シェーラップ・ウーセルさんとツェリンさんはもう、舐めるようにつぶさに観察して、ときにはかがんで、仏像の足の裏までみようとしていた。で、メモをとり、小声で解説を聞き、うなづいたり考え込んだり。私が30分で見終わったものを、2時間以上かけて見ていた。
■あとで二人に何をあんなにゆっくりみていたのか、と聞くと、「これらの仏像が本当に開眼供養したものなのか、最初は信じられなくて。開眼供養したものなら中に経典が入っているはずだから、それがあるか足の裏から確かめようとしていた」という。
■チベット亡命政府には、実は本物の仏像はない。本物の仏像というと変だけれど、熟練した仏師が作り上げた歴史を経た美術的にも信仰的にも貴い価値のある仏像のことだ。お坊さんも亡命のときは命ひとつで逃げてくるわけだから、歴史的に価値ある仏像はみんなチベット自治区に置いてこられたのだ。で、亡命政府では、お坊さんたちが昔の記憶にたよって、自分の寺に置いてきた仏像に似せたものを造ったり造らせたりしたのをかわりに安置しているのだが、それは美術的にはかなり水準の落ちるものだという。
■だから、有名寺院の有名な仏像は、亡命チベット人2世の彼らにすれば、話にはきけど実物はみたことのない幻の仏像。で、本来ならそんなに仏像をじろじろみたりするのは仏教徒しては大変恐れ多いことなのだ。だが、美術品として展示された仏像には、衣も着せられず(チベット寺院で仏像は衣をきせている)丸裸で、お香もたかれず、御供え物もなく、日本の参観客が息もふれんばかりに顔をよせて見ている(チベット寺院で信者たちは口を押さえていることが多い。濁った自分の息が仏様にかかることを恐れているのだ)。
■で、普段は信仰深い彼らも、日本人参観客の雰囲気にのまれ、異国にきた気楽さも手伝って信仰心より好奇心が勝ってしまったというわけだ。でも、魂の入った仏像(開眼供養して中に経典を入れた仏像)が、こんなに無造作に扱われているわけはないと思って、足の裏とかをついつい見てしまう二人。「初めて(仏像の)顔をみた!(普段は頭を垂れているので、仏像の顔を見たことがない)」と興奮する様子が、信仰の深い人たちってこうなのか、と私には新鮮だった。
■私たちが美術館からでると、一足先に出ていたチョジュルさんが美術館前で抗議活動している在日チベット族や日本人のチベットサポーターに向かって「君たちも一度見るべきだ」と力説していた(笑)。チベット人たちの感想は共通して、「見られてよかった」というものだった。しかし展示の仕方については「仏像には衣を着せるべきだ」「お香をたくべきだ」「僧侶がいないのはおかしい」という厳しい意見(?)も寄せていた。
■そういうわけで、あの展覧会はチベット人と見に行くといろんなことがわかって面白い。
■さて、彼らと美術館をみて、ディスカッションをやったあと、みんなで食事をしたのだが、私はここぞとばかり、チベット亡命政府の今後について聞いてみた。以下、ウーセルさんとのやり取りを紹介しよう。
■シェーラップ・ウーセル記者に聞いてみました!
亡命政府の将来、ダライ・ラマ15世のこと
金髪女性のダライ・ラマが誕生してもいいって本当?
■福島:日本が民主党政権になったことで、チベット亡命政府としてはなにか影響をうけますか?民主党にはチベット議連に入っている政治家もたくさんいらしゃいますが、今回お会いしたのでしょう?
ウーセル:日本にきてから、議員さんも取材しました。いい、わるいという話は別にして、彼ら(民主党の親チベット議員)も、チベットを応援したい気持ちはあるのですが、それが表で言えない状況だといっていました。つまり、今は経済的な面からも政治的な面からも中国と非常に密接な関係になっているから、動きたくても動けない状況になっているそうです。次の選挙のことを考えると、自由にはできないそうです。
福島:個人レベルでは応援したくても、政党としては公に動けないということですか。
ウーセル:少なくとも政権をとって今すぐ動き出すことはできない、ということでした。しかし、私たちチベット人が一番注目しているのは鳩山首相の座右の銘である「友愛」です。その言葉に、ひょっとすると日本はアジアをリードしてチベット問題の平和的解決もリードしてくれるんじゃないかなあ、という期待をもっているんです。
福島:日本とアメリカの関係が今悪くなるんじゃないかと心配されていますけれど、日米の同盟関係が変わることはチベット人にとって関心はありますか。
ウーセル:日米は緊密な関係じゃないですか。いくら悪くなるといっても、同盟がめちゃくちゃになることはあり得ない。いろんな面で依存しあっているから、簡単には悪くなりえないと思っています。しかし、もし日米関係が本当に悪くなれば、これはチベットだけでなく、世界各国に大きな影響を与えてしまいますね。
福島:いきなり、不謹慎なことをききますが、ダライ・ラマ14世はすでに高齢でらっしゃる。もしポタラ宮にお帰りになる前に入寂されたら、チベットはどうなると思いますか?
ウーセル:ダライ・ラマ法王が入寂されたとき、亡命政府がどのようになるかは、すでに決まってあって、亡命政府が樹立したときから、ダライ・ラマ法王がいなくてもきちんと運営されるように、ご自身が仕組みをととのえてあります。ですから心配はしていません。
ミニストリー(大臣)たちがきちんと運営できます。
福島:きちんと民主主義に基づいた政府もあるし、法律もあるし、議会もあるし、政権のシステムとしては安定しているということですか。
ウーセル:そうです。
福島:では、ダライ・ラマ14世にかわる法王の存在はどうなりますか?
ウーセル:それは新しい法王が輪廻転生(リインカネーション)で誕生します。しばらく時間がかかりますが。かならず、私たちが見つけるので、そのときまた私たちはダライ・ラマ法王を得るのです。
福島:昔はダライ・ラマが子供のときはパンチェン・ラマが大人でダライ・ラマを教育でき、パンチェン・ラマが子供のときはダライ・ラマが大人でパンチェン・ラマを教え導くことができたとききます。でも今、パンチェン・ラマは亡命政府にいらっしゃらない。ダライ・ラマ15世を見つけだしても、誰が教育し指導するのでしょう。中国共産党が先にダライ・ラマ15世を見つけ出してしまうとどうなるのでしょう。それとも、今のパンチェン・ラマ11世のように二人のダライ・ラマ15世が存在するようになることもあるのでしょうか。
ウーセル:中国は近年、新しい法律をつくりましたね。活仏は中国政府から許可を得なければ認められないという。このいう活仏をめぐる状況の混乱をみてダライ・ラマ14世自身は、もうダライ・ラマは14世で終わるかもしれない、といっています。つまり15世は誕生しないと。あるいは、もし人々がどうしてもダライ・ラマ15世を望むなら、私(14世)は絶対、自由のない国に転生はしないと言っておられます。
福島:入寂される前に、14世がそう宣言すれば、15世が中国国内に転生するはずはないと。
ウーセル:そうです。
福島:転生のことはよく知らないのですが、民族がちがったり、性別がちがったりすることもありうるのですか。たとえば金髪の米国の女の子に転生したり。
ウーセル:あります。人種に差別なく、黒人であろうと白人であろうと女性であろうと。そういうインスピレーションはダライ・ラマ14世自身が何度となく受けていると。
福島:では金髪女性のダライ・ラマが誕生したとしたら、ウーセルさんやチェジュルさんは、チベット人としてそれを受け入れられるんですか。
ウーセル:もちろん受け入れられます。ただ、今のダライ・ラマ法王に対するリスペクトと同じものが、将来のダライ・ラマ法王に向けられるかは、将来のダライ・ラマ法王の活動の在り方できまるでしょう。
福島:では、その新しいダライ・ラマを亡命政府が見つけることができたあと、誰が教育者になるんですか。パンチェン・ラマはいらっしゃらないのですから。
ウーセル:それはえらいお坊さんたちが決めることですから。でも、パンチェン・ラマしかダライ・ラマを教育できない、ということはないです。えらい見識のあるお坊さんたちはたくさん亡命政府にいらっしゃいますから。
福島:カルマパ17世ではないんですか?
ウーセル:そのへんは私たちにはわかりません。
福島:ダライ・ラマ14世はチベットは独立しなくても高度の自治が与えられればいいとおっしゃっています。もし、そうなって、14世がラサにお帰りになることができたとき、亡命政府はどうなるんですか?なくなっちゃうんですか?
ウーセル:ダライ・ラマ14世が戻る条件としては、中国の三つの部分、ウ・ツァン、アムド、カムでの高度の自治の実現です。中国が高度の自治を認める可能性を示しているのはウ・ツァン(チベット自治区部分)だけですから、じつは双方の主張にはまだ大きな隔たりがあります。でも、かりにその全チベット地域で高度の自治が認められてダライ・ラマ14世がお帰りになることができれば、亡命政府は存在しなくなります。
福島:なかには、高度の自治よりも、中国の一部となるよりも、自由な亡命政府であり続けた方がいいと思う人もいるんじゃないですか。
ウーセル:そういう人はいます。実は私もその一人です。
(以上)
■ちなみに通訳してくれたのは日本人と結婚して日本語ぺらぺらの在日亡命2世のチベット人。子供もいる。彼は「僕自身は、正直、チベットに帰りたいとはもう思わないんですね。生活の基盤が日本にできちゃったから。そりゃ独立したら戻りたいと思うかもしれないけれど、あり得ないでしょう。独立、独立って言っている人たちには悪いけれど、自分の生活とか家庭とかそっちを大事にしたいっていうか…」と話していた。
■ウーセルさんへのインタビューと、通訳さんのこの最後の述懐をきいて、一度もチベットの地を見たことのない亡命2世たちの複雑な心情を垣間見た。チベット問題って難しい。
インタビューに答えてくれるシェーラップ・ウーセル記者(左)
インタビューというより、焼き肉屋でだべっていたというか。
チェジュル・カメラマン
リンクのサイトなおしました。いやあ、すごいだましサイトつくるんですね。誰がつくるんだろう?
亡命2世の反応、非常に興味深い記事でした。
本土のチベット人が見たらまた違う反応であったでしょう。別件で本土チベット友人の招聘を画策したのですが、この時期民間レベルでは困難でした。
また、重箱の隅をほじるようで恐縮ですが、ミンドゥリン寺は青海省ではなく、ロカ(山南)でしょう。ニンマ派南流の総本山です。文革中は爆破されてことごとく壊されたと聞いていますが、本堂だけは倉庫として利用され破壊を逃れたとのことです。
展示されていた等身大の祖師像群はサキャ派のラムデー(道果説)の、ほぼ相承順に並んでいましたよ。
ニンマ派の寺になぜサキャ派の祖師が?と思ったのですが、無住となったサキャ派のダタン寺から移されたとのことでした。
こんにちは。記者時代から時々訪問させていただいてます。
当日愛知から、早稲田のディスカッションに参加した者です。
こういう動きが、あの前後にあったのですね。今更ですが、流れとして、よく理解することができました。
肝心の展覧会は、年内にやっと行ける流れになってきました。個人的には「観覧と見学と参拝のはざま」を彷徨いながら展示文物と接するつもりですが、我ながらどのように感じるか楽しみでもあります。
今後も、意表を突く!?ご活躍を期待しております。
To PANALIさん
わざわざ愛知からいらしてたんですか。自分の古巣の会社がかかわっているから、というわけではないですが、見れば、いままで考えなかったことを、いろいkろ考えさせられると思います。
日曜、12月6日13:40から、第7回「チベットの歴史と文化学習会」との案内を書かれていましたね。
11月の初旬に開催が決まっていたのに、その12時間前にブログで発表とは遅すぎますよ。それに事前申込者が優先のようで、当日参加は入場すら危ぶまれるそうだ。どういう意図があるのか知りませんが、学集会参加者のとった行動としては、如何なものでしょうか。
こんばんわ。本日初参加でした(^o^)ノシ
うろ覚えで申し訳ないのですが、08憲章からみで12.10にtwitterで何かされるとかおっしゃってませんでした?
mixiのチベット関連コミュニティでも見つけられなかったので聞き間違いでしたでしょうか…
昨日(1月2日)やっと、聖地チベット展、拝観(?)してまいりました。
素人としては全般に日本の仏像よりリアルで艶っぽいな、と感じました。
しかし、私も不謹慎とは思いつつも父母仏立像は、どうなっているのか下から一生懸命覗き込んでしまいました。
ヤマーンタカ父母仏立像は結構太かったような・・・
しかし、チベットというところは、7世紀前後からインドと中国の双方から文化的にも政治的にも大きな波を受けてきたんですね。
ポーランドがドイツとロシアの狭間で苦労したように。
ダライ・ラマとはまた別にポーランドのワレサのような庶民階級出身の独立指導者はチベットにいるんですかね。