被災地からもどってきて⑤哀悼のきもちが中国を変える

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■日本の岩手・宮城地震を知ったのは、家のテレビでNHKの週刊ブックレビューをみていたときだった。速報があり、おお日本でも地震だ、これは大きいと、釘付けになった。しかし、本当にびっくりしたのは、本震のあとの地震警報で、NHKのアナウンサーが、「まもなく強い地震がきます。身の安全確保をしてください。時間がありません。身の安全確保をしてください」(うるおぼえ)と言い出したことだった。そして、本当にまもなく、大きな余震があった。しかし、じゅうぶん、机の下にかくれるくらいの時間はあった。

■この国にNHKを見ることのできる人はどのくらいいるかは知らないが、これをみた知人の中国人は「日本ってすごい!」と驚いていた。実際、翌日からの中国メディアは岩手・宮城地震の死傷者の少なさ、倒壊建物の少なさを感嘆し、日本を見習え!と、一時おさまりかけていた日本賛美が再燃しかけている(東シナ海ガス田開発合意でまた揺り戻すかもしれないが?)。新潟・中越地震のときは、ざまあみろ、天罰だ、とかインターネットの掲示板には悪態をつく人も結構いたが、自分たちが大地震の恐怖を知ったあとだと、やはり日本の地震防災技術に対して敬意をいだかずにはいられないのだ。中国はさっそくこの日本のシステムを導入することを決めたようだ。

■さて、今回の四川大地震関連で、中国人が社交辞令でなく本当に「日本ってすごい!」と思った点は、この地震速報のなど技術面のほか、日本救援チームがかいまみせたような「死者に対する敬意」がある。新華社がながした、日本の救援チームが震災の犠牲者の遺体に黙祷する写真には、中国の普通の人々は本当に感動したのだ(と私は感じている)。愛する人を失った悲しみは、国籍が違っても同じということである。このあたりを今回は考えてみよう。

■哀悼のきもち、それが「普遍的価値」
五輪では変われない中国を
大地震が変える可能性

■中国に「死者にむち打つ」という故事があるものだから、中国人は遺体の扱いがぞんざいで、死者に敬意を払わないのではないか、と思われているようだが、日本人と若干表現のしかたが違うだけで、実は死者に対する哀悼の念や、遺体を大切にする思いはなかなかつよい人々であると、私は思う。

■たとえば張楊監督の「落葉帰根」という映画は、比較的最近の事実をモデルにしている。これは東北の出稼ぎ農民が出稼ぎ先の深センで死亡して、同郷の同僚がその遺体を背負って故郷に連れて帰るというちょっと奇妙なロードムービーである。このように、被災者が遺体を背負う姿は今回の四川大地震でもしばしばみられた。私が直接目にしたわけではないが、家族の遺体を背負って避難する被災者の様子は写真や記事を通じて中国で報道されている。それは珍しいことではないのだ。

■農村にのこる「陰婚(昏婚)」(未婚男性が死んだ場合、あの世で結婚させるため、女性の遺体を買って一緒に埋める)という習慣は、女性蔑視であり、私は許せないが、見方をかえれば、死者への哀悼のひとつの形である。

■私が初めて被災地・都江堰入りしたのは地震発生日から7日目の18日。つまり初七日。午後8時ごろ、日の暮れるのが遅い四川で、ようよう空がスミレ色にかわりはじめるなか最初に目にした印象深い光景は、瓦礫のはたで、もくもくと紙銭を焼く人々の姿と、ゆらめく炎だった。ある男女が紙銭を焼いているところに近づいた。

↓18日夜、被災地・都江堰市の倒壊アパートの前で紙銭を焼く母子。夫がこの場で無くなった。

■私「誰が亡くなったのですか?私も哀悼をささげていいですか?」
女性「夫です。(この倒壊)マンションの3階にいました。私は外にいたのですが」
私「…」
女性「電気工だったんです。世界一いい人でした。夫としても、父親としても。そこにいるのは私たちの息子よ」
息子(34歳)「あんた、どこの人?」
私「北京からきました。日本の記者です」
息子「ああ、日本、救援隊がきたね。ありがとう。本当に関心をよせてくれて感謝しています」(すでに、日本の救援隊の黙祷写真は全国の新聞、テレビで報道済み)
このとき、紙銭がもえる炎を見詰めていた二人は、初めて顔をあげ私のほうをじっと見詰めて、少しだけ表情をゆるませた。
女性「初めて会った人なのに、主人のこと悼んでくれて本当にありがとう」

■見知らぬ人が、哀悼の意を示してくれる、実はそういう行為が、意外に遺族の琴線にふれるのではないか。そして身内や隣人が冷淡であったと感じるとき、そういう見知らぬ人からの哀悼が、なおさら身にしみるのだと思う。私は救援チームの哀悼写真への熱烈な賞賛の裏側には、軍の救援や遺体の扱いのあり方への不満もあったと思う。

■本来、身内の遺体にこだわり、哀悼の気持ちの強い国民性なのに、今回の地震で、救援に当たった解放軍の遺体の扱い方は、正直ぞんざいであった。年端もいかぬ少年のような兵士たちが、昼夜を徹して疲労困憊のなか、瓦礫からざくざく何万もの腐乱しかけた遺体を掘り出さねばならないのである。枕経や黙祷を捧げる余裕どころか、身元確認もろくにしないまま、穴に放り込んで、石灰、土、消毒薬、土とまるで汚物を埋めるように埋めていた。

↓震源地・?川県映秀鎮のとうもろこし畑の真ん中に遺体が埋められた溝があった。何人埋められたのかは村人すらはっきり分かっていない。白くみえるのは、悪臭を防ぐ石灰。消毒薬のたちこめるなか、畑では喪服をきたようなモンシロチョウがやたらたくさん舞っていた。

■いや、いまだ1万7000人以上の遺体が瓦礫のしたに放置されていることを思えば、掘り出されて土に帰されたのはまだましというべきか。さらにいえば、学校の倒壊現場で犠牲になった多くは子供たちである。一人っ子政策で、原則一人しか子供をもてない親たちは、この一人の子供に一家のすべての未来と希望をたくして大事に育ててきたのだ。この心の傷をどうやっていやすか、その哀悼のあり方は、本来はもっと心をくだかれるべき問題だろう。しかし、中国という図体の重い独裁国家においては、国民個々人の心の傷に気を回す前に、防疫や社会の安定や、五輪の成功、神舟7号の打ち上げといった国威発揚を優先させねばならなかった。

■子供たちの遺体がまだ埋まっているという聚源中学(都江堰)の倒壊現場では5月27日、追悼集会が開かれた。我が子の写真をかかえて泣き崩れる親たち。双子の娘を失った母親が、「お骨は私の部屋においてある。まだ墓地も見つけられない。政府は墓地を見つけてくれるのか」と、その正式な弔いがいつになるか、非常にこだわっていた。

■6月1日に開かれた新建小学校の追悼集会。悲しみの余り呼吸困難におちいり倒れる親が続出した。ある女性は昏倒しながらも「あなたには罪はないのに、罪はないのに」とうわごとのように言い続ける。↓


↑新建小学校(都江堰市)の追悼会(6月1日)。亡くなった子供の写真を抱える親の目には、脆弱な学校をつくった当局への怒が燃えている。しかし、親たちの言論は、今当局によって統制されている。

↓瓦礫の上に伏して失われた小さい命のために嘆く新建小学校の遺族。

■新建小学校の追悼式で、ある父親は何かに憑かれたような目つきでこういった。「賠償金がほしいとか、そういうのじゃないのだ。せめて、責任のある政府のトップは、おれの息子に謝ってくれ。でなければ、息子も心やすらかになれない。もし謝らないというのなら、オレはもう決めている。必ず政府のやつらに思い知らせてやる。それがたとえ違法行為になろうともかまわない」。別の母親は、携帯電話のカメラで写した我が子の遺体写真をみせながら、「袋にいれられて、まるで物みたいに扱われていたのよ」と涙をぼろぼろ落としていた。

■哀悼や弔いが、納得のいくように行えれば、残された人の傷はいくばくかいやされる。回復は多少はやくなる。復興・復旧とは、そういう心の回復もふくめて行われるべきものだろう。しかし、今回の大地震は静かに死者を弔う時間も余裕もなく、遺族の心も瓦礫の下に押しつぶされたままだ。その心を遺体と同じように放置しておいて、本当に街や暮らしが復興できるのだろうか。

■押しつぶされた心は、当局や社会に対する恨みや報復心に変わってゆき、社会の不安定化の原因となるだろう。この恨みの声をうまく昇華できれば、それは政治や社会制度の変革を促すプラス向きの動力となるだろうが、今懸念されていることは、当局が遺族の不満や抗議の声を報道・言論統制(最後には武力)で圧殺するという方法をとりかけているということだ。すでに、学校倒壊で死亡した子供たちの親たちは、統制と子供ひとり4万元の慰謝料という形で、その発言を封殺されかけている。これら遺族の不満を抑え込もうとして抑え込めない場合、予期せぬ抵抗のエネルギーが爆発するのではないか、と老婆心ながら、心配してさしあげる。

■いやいや、19日から3日間、中国全国民は喪に服したじゃないか。もう、喪は明けたのだ。あれで中国人は悲しみを昇華させたのだ。いまは復興と五輪に向かってレッツゴー!と、もし当局が思っているとしたら、それは脳天気すぎるといわざるをえない。

■19日午後2時28分から3分間、全国の人々が黙祷をささげる姿は確かに、外国人の私には衝撃であった。その瞬間、ビデオの一時停止ボタンをおしたように、すべての時がとまり、永遠に続くかのようなクラクションとサイレンの音の中、通りを歩く人、車を運転している人、スタンドで新聞を買ってお金を渡しかけている人、そういう誰もがピタリと立ち止まり、真剣に黙祷をささげ、涙を落とした。もし、この瞬間、ひったくりにあっても、誰も追いかけずに、黙祷を続けていたのではないか、と思うほどだった。

■あとで、中国人の知人から「日本人は阪神大震災のとき、あんな風に全国民が哀悼を捧げたのか?」ときかれたので、「日本人はそんなことはしない。日本人にそこまでの一体感は醸成できない」と正直に答えたら、なぜか満足したようすだった。しかし、である。哀悼とは、政府や党の指導のもと、一斉に行うべきものなのか。

■全国哀悼日の光景は、素直に感動的だったとは思うが、あの哀悼日にまだ、家族の生死が確認できず、生きていると信じたい人も大勢いた。あの日に家族が病院で亡くなって、心の整理がつかぬ人もいただろう。哀悼とは残された人の回復のために行うものだと考えれば、実は極めて個人差があり、デリケートなもので、政府の号令ではい、1,2,3、ブーとやって癒されるようなものではないのではないと思う。

■しかも、その哀悼日に文句を言う人に対しては、「ネット紅衛兵」と呼ばれる若いネチズンらが、嬉々として「人肉調査(家の電話番号などプライバシーをネットでさらす)」といったつるし上げを行った。ならば、本気の哀悼の気持ちがない人も、哀悼するふりをせざるをえない。そうすると、感動的な全国民一斉の哀悼も、大躍進や文化大革命同様、党の逆らえぬ指導のもとの統一行動にすぎない、ということになる。

■哀悼の形にはいろいろある。同じ倒壊学校の遺族らが集会して無くなった子供のことを語り合うことも、それを見知らぬ外国の記者に訴えることも、子供の死の責任を追及し明らかにすることも、重要な癒しであり、哀悼である。これを妨害するのは単なる言論の自由の問題ではなく、人道的問題であることを当局は知るべきだろう。

■五輪開幕まで50日に迫ったが、私個人には、国際的スポーツの祭典を迎えるハレの気分にはまだなれない。テレビ画面で見る限り、国内をめぐる聖火リレーは相変わらず「平和の祭典」という五輪精神を感じさせるものではなく、厳しい報道統制のもと中華民族の団結・融和とを前面にアピールし中国の虚栄心を満足させるだけの「中華民族大運動会」に見えてしまう。

■一方、四川ではいまだ厳しい震災の現場がそこにあり、今でも入れ替わり立ち替わり外国のボランティアや復旧の専門家、研究者が入っては、現地で支援、交流を行っている。震災救援のほうが、五輪よりよっぽど、平和や友愛、国際協調を体現している気がした。それは、愛する人を失う痛み、死者を悼む気持ちが、世界共通だからだろう。

■胡錦濤国家主席訪日のおりに、日中首脳が共同で発表した「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」に盛り込まれた「国際社会がともに認める基本的かつ普遍的価値」というのは、一般に人道、人権と理解されているが、具体的にいえば、こういう哀悼のきもちなのだ、と改めて思う。

■北京のある日中関係筋によれば、「五輪が失敗すれば、国際協調を推し進めようという胡錦濤路線が失敗することとなり、中国で反国際主義的な愛国民族主義が反動で広がりかねない。そんな恐ろしい中国は見たくない」という。そういう意味では五輪の成功を心から願うのだが、今の五輪聖火リレーの盛り上げ方をみると、必ずしも国際協調路線にそったものだとは思えない。五輪が近づくにつれて報道統制、ネット統制は厳しくなり、民主活動家は捕まり、チベット騒乱にかかわった1000人以上がいまだ拘束されている。

■だから、五輪で中国が変わる、などというのはちょっと夢みすぎだった、と今は反省している。五輪は五輪で、このまま無難に開催すればいい。喪中だからちょっと控えめにね。だが、震災後のさまざまな動き、世論の変化をみると、震災こそ、中国と中国人は変わるきっかけになるかもしれない、と思いはじめている。

■中国は震災復興について、学校倒壊問題など言論統制する一方で、昔の毛沢東路線風に、救援の解放軍らを英雄にしたて、美談で大衆の感動をよびながら、、「自力更生」を呼びかる宣伝を行っているが、今のやり方ではうまく行かないと、わたしは思う。あまりに不条理に命を落とした人が多く、失われた財産や家屋の権利や補償のにしろ、義援金の分配や使用方法にしろ、複雑で処理の難しい問題が多すぎる。言論統制を行っても、インターネットなどによる綻びが日々拡大するなか、昔のように強権を発動できる大物指導者も見あたらない。私は、スローガンで一部国民に無理や犠牲をしいて乗り切るというやり方はそろそろ限界だろう、と思っている。

■復興は、「哀悼」という普遍的価値でまとまった国民が主動的に公民としての権利・私権を行使し義務と責任を負い、やはり人道という普遍的価値観で結ばれた国際社会の協力をあおいで、やっと可能になるのではないか。その過程で、中国がひた隠しにしてきた(でも隠れてはいないが)、政治と社会の構造のひずみや矛盾を、多少の激しい痛みを伴っても、修正してゆこうという力が生まれるのではないか。

■日本人は、そのときにきっと中国と中国人を心から応援すると思う。少なくとも私は、そういう中国と中国人のために力になりたいと思っている。


↑死者のために祈る姿は、世界中どこも同じ。聚源中学の倒壊現場で。

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「被災地からもどってきて⑤哀悼のきもちが中国を変える」への50件のフィードバック

  1. お疲れ様です。いつもいつもいい話をありがとうございました。
    泣きながら読みました。今も泣いてます。
    日本の救援隊の黙祷写真には私も感動しました。
    たとえ生存者を見つけることができなかったとしても、
    いい仕事をしてくださって、本当によかったです。

  2. 秋天就快到了。。。。我希望中國政府可以給死去孩子家長一個滿意的交代,給全國民一個滿意的交代!

  3. to 福島さま
    発表される行方不明者の数が減少しないことで、漢民族の遺体に対する考え方に疑問を持っていましたが・・・・
    被災地の多くは田舎で漢民族以外の住民が多いようですので、一人っ子政策の締め付けは緩いようですが、一族の血縁が重視される中国で子供を喪う事は、血族の断滅を意味しその恨みが政府に向かうのではないでしょうか。
    また居住地の再建はせず、移転させる動きが報道されています。
    漢民族以外の人口を分散させ、同化を目指す政府の政策でしょうか?

  4. 悲しみに水をさすようなコト書きますが、
    わが国の自民党議員連の画策してる、「四川大地震震災孤児を日本にひきとろう」という動きは、アレは一体何なんでしょう?
    孤児に無条件に日本国籍を与えよう、などといった奇妙奇天烈な主張をするつもりなんだろうか??自民党が擁している愚策「1000万人移民受け入れ策」の一発目、ではなかろうか?
    戦前に、ユダヤ人の子どもたち190人近くを神戸にひきとった(ユダヤ人がドイツやその占領地から逃げるのを手伝うようなかたちになった)ということがあったようですが、ああいうのをイメージしてるんだろうか?
    日本人の我々から見て、この「孤児をひきとる」というのは、すごく突拍子もない提案なんだけど?
    それに、もしそういった活動の財源が、われわれの血税だったら、ボクはちょっと許せない。(ボクは毎年毎年かなりの額を国にとられている!)
    公務員がタクシーからつまらぬ接待を受けていたことが問題になっているが、人道的援助にかこつけて、日本人民の税金を、国民も承服していない、なにやらわけのわからない活動に浪費する売国政治家、
    こっちのほうがよっぽど大ニュースであり、許してはならないはず。
    与野党とわず、中国様にシッポをふって我先に売国する政治家が多すぎるこの日本。トウチャン情けなくって涙がでてくらぁ!(東野英心ふうに)

  5. “わが国の自民党議員連の画策してる、「四川大地震震災孤児を日本にひきとろう」”…
    多分皆さんも私と同じ事を考えると思うのですが、地震で自分の子供を失った人達が孤児たちを引き取るといった方が自然なのでは?

  6. 感傷的になっておられますね。福島さまのいいところかと思います。
    それはとにかく、地震で以前のトピックがすっとんで、福島さまの身の安全は大丈夫かな? とほっとしております。
    中共政府は、人民軍ある限り不滅かなと思います。

  7. to ariariさん
    ははあ、そういうことですか
    自分はてっきり
    またぞろ売国自民党がミョーなことをおっぱじめたのか、と
    早とちりしてしまったようです。

  8. 福島記者
    > ↓震源地・?川県映秀鎮のとうもろこし畑の真ん中に遺体が埋められた溝があった。
    土饅頭すら叶わないのか…あらためて当地の被害の凄まじさを思い知らされる写真ですね。 
    一連の震災報道で福島記者が撮った写真(+解説)を見る度に、何かを考えさせられます。 時には怒り、時には悲しみ…そして前進もね♪

  9. 福倒様、お久しぶりです。
    途中のタイトル?まで読んで、何書くんだろと思っていたのですが。。。
    いやはや、さすが物書きを生業としているだけありますね。感動しました。
    先日、東京秋葉原で無差別テロがあった時、
    野次馬や一部の記者による無神経な写真撮影が顰蹙を買いましたが、
    四川大地震被災者の方々の、記者に対する態度は一般的にどのようなものでしょうか?
    私のイメージだと、自分のことで精一杯なのに記者とか知るかー!って感じですが
    意外と積極的に取材に協力してくれたりするものなのでしょうか?

  10. 相変わらず鋭い写真をとられますね。いやぁ。ここで、日本軍が行ったというでっち上げプロパガンダの中でも1・2を争う捏造、本当は中国の伝統、万人坑を目にするとは思いませんでした。気付いていて写真を撮られたのかな?

  11. > 今回の地震で、救援に当たった解放軍の遺体の扱い方は、正直ぞんざいであった。
    この遺体が、いつの日にか、「旧日本軍の虐殺の証拠」として利用されるかもしれません。

  12. 人は窮地に陥っているとき、この苦境を誰かに知ってほしいという本能があるそうです。日本から来た新聞記者が声をかけてくれたというのは、一家の大黒柱を失ったばかりの家族には大いに励みになるでしょう。そういう事の一つ一つがマイナスをプラスに転じて行くという事を教えて頂きました。ありがとうございます。

  13. 福島さん はじめまして。井上と申します。
     記者さんの撮った写真に感動しています。ただ被写体にカメラを向けてシャッターを切った写真ではないことが、写真から伝わってきます。
    きっとあなたも、泣きながらシャッターを切ったのではないでしょうか?
     それほど、遺族の悲しみの伝わるものでした。新聞やテレビでの映像はどことなくしらじらしいものが漂っていましたが、福島さんの写真からは
    遺族のなくなった方への愛情がひたひたと流れ出ています。
     ここを読み始めてまだ二三ヶ月ですが、福島さんの真剣さが理解できるので、こちらも真剣に読んでおりました。
     でも、今日のエントリーはすばらしいの一言でした。これが、写真の凄さだと何度見ても、目頭が熱くなります。
     これからもお体を大切にすばらしいエントリーをお待ちしております。

  14. 報道によると、中華人民共和国でいう、愛国者が反日をテコに、政権批判を強めているとのこと。政権の転覆は構いませんが、江沢民時代に逆戻りはごめんである。それとも、これと民主化の勢力などとの、政争、闘争、内戦などが起きて行くのですかね。北京は燃えているか。

  15. To yosi29さん
    庶民は遺体や弔いを大切にする。しかし、体制がそれを許さない、という感じでしょうか。私はこの大きな悲しみを放置しておくと、党は手痛いしっぺがえしを食うと思います。宗教の助けを正面から借りられない国だけに、問題の対処の仕方は難しいのでは。

  16. To mokoさん
     少子化で子供がたりないから、孤児を引き取ろう、という発想でしたら、やめた方がいいです。動機がふじゅん。ちなみに、震災遺児の引き取り希望者は国内でも殺到しています。一時3000人といわれたのですが、実は被災地の多くが農村で親が都会に出稼ぎにいっていたので、助かっていたケースが多く、今は1500人くらいに減っているのではないでしょうか?乳飲み子ならともかく、ある程度物心ついている子供を外国人が引き取るのは難しいですね。

  17. To izatoruさん
     この場面で、非常に不謹慎かもしれませんが、万人坑ってこういうふうにつくられるのだな、と思いました。

  18. あまりに出鱈目なので万人坑を旧軍のせいだとは言わなくなりました。南京で30万人も半年ほどで殺すには万人坑しかないでしょうに、記念館には合理的な説明があるんでしょうか

  19. 福島さんこんにちは。
    重ねて、被災された方々に哀悼と慰労の意を表したいと思います…
    ふと、孔子の言った「損者三友」という言葉を思い出しました。確か、葬儀の際に哀悼の意を持たない者が友として「損者」のひとつとして挙げられていたと記憶しています。大戦中、日本はルーズベルト大統領の急死に弔意を示しました。武士道でありましょう。
    死者に鞭打つ国。しかし、春秋の伍子ショは報いを受け、三国志の董卓は皇墓を暴き名を落とし、修復した孫堅は名を上げたと記憶しています。「以徳報恩」の国でもあるはずです。

  20. 文化大革命で殺された死体を毛沢東は畑に埋めて肥やしにしろと指示したそうだが、不謹慎ながら今でも無神論者のすることは変わらないと、トウモロコシ畑の溝の写真を見るとつい思ってしまいますなあ。

  21. To izatoruさん
    >> 今回の地震で、救援に当たった解放軍の遺体の扱い方は、正直ぞんざいであった。
    >
    >この遺体が、いつの日にか、「旧日本軍の虐殺の証拠」として利用されるかもしれません。
    大いに有り得る話だと思います。

  22. ーーーある中国庶民の嘆声です。
    アパートとかは措いといて、四川大地震では学校が潰れて生徒が大勢下敷きに
    なって死んだと報道されたでしょう。あの潰れた学校は、みんな地元の自治体
    が建てたもので、
    実はね、もっと田舎の貧しい地域に、江蘇省や浙江省などの沿海部のお金持が
    義捐して建てた学校がいくつもあるのよ。で、そうやって建てられた学校は、
    ひとつも潰れてなんかいないのよ――――。
    そういう義捐で建てられた学校は、義捐者が建築現場までやってきて、付きっ
    きりで建築状況を監督していて、コンクリートの質とか、埋める石は丸いもの
    はダメで、砕いた角のあるものを使えとか、鉄筋は何本使っているかとか、
    ーーー義捐者がいちいち現場で見ていて、仕様と違ったら仕様どおりに直させ
    て建てさせたんですよね。
    自治体が建てたほうは、誰も監督になんか来ないで建築業者に任せっぱなし。
    ーーーそして全部壊れて、ひとつの学校で何百人単位の生徒が下敷きになって
    死んでしまった――――。
    今回の、同じぐらいの規模の日本の東北地震では、死んだ人は3人だけ?だっ
    たっけ? しかも、電気も水もガスも、ほとんど止まらないで来てるっていう
    じゃないですか。そりゃ~、
    いくら日本は地震慣れしてるからって、中国は地震が少ないから地震対策をあ
    んまり考えていないからといっても、
    死んだ人や行方不明者‥‥もう死んでるよ‥‥が、約十万人、と、3人?!
    日本が凄いんだか・・・中国がダメなんだか・・・ため息しか出ませんよね~

  23. 福島様こんにちは。 毎回のエントリー拝見しております。
    「解放軍の遺体の扱いが・・・」とありますが、私の感想は「中国の方の信仰心は篤い」と思います。大陸で最初に参拝光景を見た時には「台湾や香港の方と同じだ」と以外に感じました。当時は「共産圏だから宗教や参拝に対する考え方は大陸以外の華僑系の方と違う」と思っていましたが、それは間違いでした。それ以降、何度となく参拝の光景を見たりまた自ら出掛けましたが、今でも「日本人より信心が篤い」と感じます。歩きながらや車中から平気でゴミを捨てる、痰を吐く、場所を選ばずに煙草を吸う、乗降口の正面に立つ、など無作法な振舞いをする若い方でもお寺に行けば「ここまで変わるの!」と呆れもします。日本でも無作法なお方はたくさん居られますが、どうでしょうか。人それぞれ信仰の度合いが違い、全ての事例ではありませんが経験では「中国の方は信仰心は篤い」と感じます。「解放軍の遺体の扱い方が・・・」は決して彼らの本心ではないのではないでしょうか。人権問題で我道を突き進む中国ですが「信仰心では違う何かがあると思います」。また全国哀悼の黙祷にはビックリしたのが正直です。オリンピック開催で「文明人的な振舞い」の意のスローガンが掲げられていましたが、私が最初に大陸で参拝に同行した時には、街のローターリーや連結バスなどに「オリンピック誘致」の文字が寂しく残っていたのを思い出しました。シドニーに敗れて1か月後位だったと記憶しています。
    今日もアクセス出来ない時間がありましたが、また嫌がらせ?
    このプログ私の狭い人脈にも評判いいですよ! お身体に注意して下さい。

  24. 死者の扱い、死への姿勢、ということについて
    中国は日本にまけず劣らず、いや、ずっと真剣に考えていると思っていた。
    1)ある地方都市で「アジア映画祭」をやっていたので、観にいった。内モンゴル出身の監督が撮った、取り壊されていく北京の胡同地区における人間模様の映画を観た。(取り壊す家には『折』chaiに白マルをつける場面が印象的)老親の家が取り壊されて、息子夫婦の住む豪華マンションに息子がひきとろうとするけど、うまくいかなくて・・・といったストーリーだった。
    上映後、監督との質疑応答があったので、挙手して質問してみた。「中国人は自分の死期を悟ったならば、どんなに貧しい人でも、自分の棺おけを買うためにコツコツお金をためるのだ、と本で読んだのだが本当ですか?」監督(かAD?か)は「そのとおりです。私の個人的な話ですが、数ヶ月前父が脳溢血でたおれました。私は北京で治療をしなさい、と強く勧めるのですが、父は自分の故郷から離れたくない、と抵抗して言うことをききませんでした。治療後はかならず故郷へ返すから、と約束したら、北京での治療に同意しました」と返答を受けた。
    中国人は、死ぬ、というライフ・イベントにすごくこだわりがあるのだな、とそのとき思った。
    2)閻連科「丁庄の夢~中国エイズ村奇談」にも、村人はまず棺おけを作ることを優先させる、とある。
    3)中国人は一見「恥」の文化の人種、ではないようにみえるが、墓を暴かれることが(その一族にとって)最大の恥辱である。

  25. 福島記者、
    “あとで、中国人の知人から「日本人は阪神大震災のとき、あんな風に全国民が哀悼を捧げたのか?」ときかれたので、「日本人はそんなことはしない。日本人にそこまでの一体感は醸成できない」と正直に答えたら・・・”
    貴女の記事を興味深く読ませてもらっている私にとってちょっと残念なコメントです。
    阪神大震災は、この規模の地震の鮮明な記憶も経験もない、まさかと思う場所にまさかと思うタイミングで起きた地震で、変わり果てた町の姿に唖然としつつ、とにもかくにも建物の下敷きになった人を救出することと生存者のライフライン確保に四苦八苦することで、哀悼をささげるなどという余裕が近畿二府四県どころか当時の日本なかったからであり、「日本人に哀悼をささげるような一体感は醸成できない」からではないと思いますがいかがでしょうか。
    仮にそのような一体感が醸成できないというならば、それは日本人にできないのではなく、世界中のどの人種にも共通してできないことだと思いますがいかがでしょうか。

  26. To newtypejaxさん
    阪神大震災の取材のときに、強く感じたのは温度差でした。それは、神戸と大阪の間にも若干あり、大阪と東京の間ではかなりあったはずです。東京から出張で応援にきた記者と、神戸支局の記者との、取材姿勢はまったく違いました。外から被災地にきた野次馬が、「すげー、戦場みてー」とかいって写真を撮る光景もあれば、それを「お前ら何やってんねや~!」とどなるボランティアのおっちゃんもいました。こういう温度差は当然で、ひとりひとり、違うのが当たり前です。
     ただ、中国人は、全国国民哀悼日のような一斉行動をしばしばとる。私はそちらの方が普通ではない、と思っています。さらに、一斉行動を乱せば、ときにつるし上げをくらうこともある、というのは異常です。「日本人にはそんな一体感は醸成できない」というのは、日本人はひとりひとりが違うことを容認する、という文脈の中での発言だと理解していただければ。

  27. 悲しみたいのに国の指導でそれができない。何故、国が個人の感情まで政策の都合で「指導」するのか?(エリート共産党幹部の安泰のためですけどね。)そこに真っ正面から中国人民が「それは我々が臨む国家ではない」と正直に言え、弾圧もなく議論できる日がくれば、中国は変われるのかもしれません。
    でも、その胎動がありながら、何度も暴力でつぶして来た共産党です。この国の体制が変わるとすれば、この共産党の権力集団が利権を巡って分裂するしかないでしょう。人民の不満はその分裂に利用されて、現在の胡錦濤体制に対する反対の単なる大義名分になる、、、。
    オリンピックは(実態はどうであれ)成功するでしょう(したと報じられる)。でも、中国の正念場は、オリンピックの後ですね。中国の名誉は中国人が期待しているほどは上がりません。と、言うより、「オリンピックを開くと世界の人々が突然中国人はすごい!と思ってくれる」、、、という考えそのものが共産党の誘導なのです。アテネでオリンピックを開いたら突然ギリシャへの世界の態度が変わった、、、事はないのです。が、人民は漠然とそう思うよう誘導されてきた。経済もオリンピック後は、報道されようとされまいと、下降が実感されるでしょう。今年は世界経済が落ち込む訳ですから、外需頼みの中国経済が落ち込まない訳はなし、実際、倒産も多い。インフレも収まらないでしょうし。
    オリンピック後、 胡錦濤体制の行方は、かなり怪しいかもしれません。

  28. To 福島香織さん
    >
    >
    >ただ、中国人は、全国国民哀悼日のような一斉行動をしばしばとる。私はそちらの方が普通ではない、と思っています。さらに、一斉行動を乱せば、ときにつるし上げをくらうこともある、というのは異常です。「日本人にはそんな一体感は醸成できない」というのは、日本人はひとりひとりが違うことを容認する、という文脈の中での発言だと理解していただければ。
    明白了。

  29. 諸君の5月号に古田博司筑波大学大学院教授が次の用に書いています。p109
    『論語』解体新書という題です。
    老先生の教え。(世には義しいことと不義とがある。たとえば)自分たちの祖霊でない他者の霊を祭るのは、(その他者や霊に取り入り福をえようとする)不義(規則違反)のものだ。逆に、義しいものと分かっておりながら、実行しないのは勇気がないからである。
      (義=ただしい)
    後半は「義を見て為さざるは勇無きなり」と日本でよく使われる部分です。
    そして、
    これがまさに、中国人に靖国神社が理解できない理由となっていて、自分の血族でない霊魂は祭ってはならないと教える。
    と書いていらっしゃいます。

  30. 福島さん 力のこもった論説を拝読しました。
    >今懸念されていることは、当局が遺族の不満や抗議の声を報道・言論統制(最後には武力)で圧殺するという方法をとりかけているということだ。
    >震災救援のほうが、五輪よりよっぽど、平和や友愛、国際協調を体現している気がした。それは、愛する人を失う痛み、死者を悼む気持ちが、世界共通だからだろう。
    >復興は、「哀悼」という普遍的価値でまとまった国民が主動的に公民としての権利・私権を行使し義務と責任を負い、やはり人道という普遍的価値観で結ばれた国際社会の協力をあおいで、やっと可能になるのではないか。その過程で、中国がひた隠しにしてきた(でも隠れてはいないが)、政治と社会の構造のひずみや矛盾を、多少の激しい痛みを伴っても、修正してゆこうという力が生まれるのではないか。
    勉強になりました。

  31. to 福島香織さん
    コメントありがとうございます。
    蝶は、アンモニアを好みます。
    石灰は、遺体の分解を早め、防疫に役立ちます。
    遺体の収容は遺族の為でもありますが、防疫には欠かせません。
    未収用の遺体は、疫病の発生の可能性を助長します。
    常時消毒し続けなければなりません。
    水の汚染の危険がある集団墓地は、水脈の無い丘陵地がいいでしょう。

  32. To 福島香織さん
    こんばんは。
    今回の長文の記事も、お疲れ様でした。
    外国の記者として、今でも震災に注目し続けているのはとてもすごいことだと思いますし、
    哀悼と復興のあるべき姿を書く福島さんの真摯な姿勢にはとても心を打たれました。
    文中で指摘した事も確かに正論であります。
    大変勉強になりましたが、失礼ながら、一読者としては、個人的に異議を唱えたくなるような箇所もあります。
    ただ、生死や、哀悼のあり方に関する問題は、福島さんも書かれているようにとても微妙で、一概にどれが正しくてどれが間違っている、という言い方には納得できません。
    たとえば、死者に鞭打つという行為は、死者も生者も同じく人格を所有する個体である、という価値観の現れ方であると私は思います。だから墓を暴かれるのは最大級の屈辱に思いますし、靖国神社問題で日本の方がよく言われる「死者には罪がない」という言葉は、中国人にとってはまったく理解不能となります。
    また、日本人の方がよく言われる「不謹慎」という言葉は、福島さんがかつて丁寧に説明してくださったにもかかわらず、たとえば「被災地でおいしい物を食べる事に躊躇を覚える」的な「不謹慎」は、いまだに完全には理解できていません。
    まぁそれは私の勉強不足として、共同墓地を目の前に、「万人坑」を持ち出されるのには、「不謹慎」と思うよりも、さすがは先進国日本だ、なんて素晴らしい発想の転換だろうと感服してしまいました。
    また、軍人が故意にぞんざいに遺体をあつかった、と思われるような書き方を福島さんはなさいましたが、火葬場も大分破壊された現地では、無くなられた方も、救助に当たった方も無念でしょうが、当時としてはあれが精一杯だったのではないでしょうか。
    私も当時の処置が適切なものだったとは、無論、思いません。
    しかし、何万人という遺体の前には、どんなノウハウも常識も吹き飛んでしまうように思えますし、死者よりも生者を大事にして、二次災害防止のためだ、というのも、やはり正論であるような気もします。

  33. そして、福島さんは全国哀悼には否定的であるようですが、私はこれでも非常な進歩だと思っています。十年前なら絶対に考えられないでしょう。
    日本ではほとんどスルーされてましたが、半旗も、一斉黙祷も、中国の殆どの人間にとっては、生きているうちに経験するとは思わなかったような、大きなできごとです。
    地震発生まもないころから、ネットでは盛んに全国哀悼日と半旗を叫んでいたので、これも一種の民意を尊重した結果だと思います。
    こういうことを書くと、また共産党の宣伝にだまされてるだけだとと思われそうですが、私は政府の肩を持つ気はさらさらありません。
    ただ、宣伝にせよ、政治的効果を狙ったものにせよ、何もしないよりは遥かにましだと思うのです。
    確か五、六年前に、イタリアで何かの事故で数十人が亡くなり、全国哀悼を行い、一分間の黙祷をささげたそうです。
    当時の新聞記事には、うろおぼえですが、同じく「時間が止まったように」一斉に黙祷を行う様子が描写され、私は感動すると同時に、中国人はいつになったらこのように「他人の死」を悲しむことができるのだろうと、ため息をついていました。
    福島さんは、震災地に赴いて、直に被害をこうむった方々の事を考え、哀悼は、繊細でプライベートなものであると言われましたが、私もそれにまったく同意見です。
    しかし、中国の総人口から考えて、まったく被害と無縁だった庶民の方が圧倒的多数なのです。
    それが今回の震災と、それに続く哀悼式とを通して、今まで関心が少なかった「他人の死」について考え、涙を流すという事は、とても意味深い事だと思っています。
    多くの人が、「他人」を弔い、悲しむ事を知る。
    当局の思惑がどうであれ、それが、あの三分間の最大の意味だと、私は信じています。

  34. また、この哀悼は決して強制されたものではない事をやはり主張したいと思います。
    少なくとも、私の知る範囲で、黙祷しなければ駄目だと言われた人はいませんし、組織的な行動も見られませんでした。
    横レスで失礼いたしますが、福島さんが違和感を覚え、異常を感じ取るのも、別におかしな事ではないと思います。
    ふだんばらばらなのに、時々一斉。これはある意味中国人の特性でしょう。
    ただ、 日本人はひとりひとりが違うことを容認する、これは法律や社会制度の建前上のことではないかと、疑問を感じずにはいられません。
    実際に日本の方々が、日本の社会が、個人の違いに寛容であるとは、実体験の上で言わせてもらいますと、断言できないと思います。
    では、ながながと大変失礼いたしました。
    次回の記事も、楽しみにしています。

  35. 中国のガソリン代値上げのニュース。
     MSN産経ニュースでは、「1リットルあたり6.2元」と、わかりやすかったですね。他紙はみんな1トンあたりの話だけでした。それにしても、中国のガソリン代は100円ほどですか。安いですね。

  36. 福島 様
     中国人が変わるのを期待するのは無駄ですよ。
     被災した人は一時的に変わるかもしれない、でも中国の社会で生活していれば、いずれ元の中国人に戻る。拝金主義の排他的な自己中でエゴイストなのが当然な社会で善人が生きていけるわけがないのだ。
     被災者はともかく中国人にとって地震とは、外資から金を毟る格好の理由にしかなっていない。
    http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080606AT2M0502705062008.html
    遂寧市のケンタッキー・フライド・チキン店舗が、住民から被災者への義援金が少ないとして
    抗議活動を受けた。ガラスを割られ、一時休業に追い込まれた。
    http://www.recordchina.co.jp/group/g20611.html
    2008 年6月17日、中国商務部(省)は、四川大地震で寄付を表明した義援金額を約束通り支払わない外資系企業12社の社名を公表した。これら企業は「数回に分けて寄付する予定」「赤十字社を介して寄付したはず」などと思わぬ仕打ちに怒りを露わにしている。京華時報が伝えた。
     義捐金をこんな形で要求するとは、なんと破廉恥な民族なんだ。

  37. 今回の四川地震で
    多額の義捐金を送ると公表し民衆の感心を買ってる外資系は多い
    、これ自体は良いことだ。企業の名声が民衆で高まり、より利益
    を得る事ができるだろうし、win-winになるはずだ。
    しかし、実際は約束した事を実行していない企業もいるか、
    手違いで把握されてない企業もいたって事だ。
    アメリカの法廷では「空義捐」は債務不履行にて裁かれるし、中国でも同じだ。
    大本のソースでは「釈明に追われた」感じだがレコードチャイナ
    ではなぜか「怒りをあらわにしてる」となってるし
    レコードチャイナでさえ
    『商務部外資局の担当者は、「企業にとっても大金だ。時間がかかるのも無理はない」と理解を示した』と書いてある。
    KFCの中国法人に義捐金が少ないと抗議しても問題はあるまい。

  38. To testerさん
    >KFCの中国法人に義捐金が少ないと抗議しても問題はあるまい。
    私の書いたことが理解できていないようなので、判るようの直接的な表現ではっきり言おう。
    あんた馬鹿?
     義捐金は、出す側の善意で、貰う側が強要するものじゃない。
    自分達の仲間が不幸な目にあったので、他人はそれを補填すべきとか、義捐金を債権だと思っているのか。
     共産党はそういう善意の強要が大好きだが、まともな国なら皆に「私はこんな下劣な人間です。嫌われて当然なので忌避してください、恥知らずと罵倒してください。」と言っている様なものだ。キリスト教圏なら免罪符の押し売り、イスラム圏ならサダカの強要に等しい。
     こんな破廉恥な行動をする中国人は、北朝鮮と同じだ。

  39. To testerさん
    >KFCの中国法人に義捐金が少ないと抗議しても問題はあるまい。
    これは平均的な中国人の意見ですか?
    いやはや……。

  40. to f4phantom さん
    >あんた馬鹿?
    あなたが中国の風俗を理解していないだけです。
    「日本の常識は世界の非常識」という言葉もあり、
    いわゆる「正義」や習慣や価値観はそれぞれ歴史背景や社会背景
    もあり国や地域によって様々です。
    中国では親戚付き合いが日本と比べ深く、叔母の子が金に困ってる
    位でもみんなに必死に助けるんです。
    よって困難や災難が起きた時には何もしないやつは厭われて、
    グループによっては排斥される場合が多い。
    「おれは募金なんかビタ一文もしねーよ、どうだ!」
    と声高々に宣言する事が理に適ってると考えている人もいれば、
    「お前はしろよ」と
    みんなで募金すべき事が正義だと考える人がいてもおかしくありません。
    日本おろか欧米もお義捐金は払うと言ったら、普通は払うものじゃないのですか。
    払っていないと指摘するのは不義なものでもないと思います。
    to kumabrothers さん
    >平均的な意見か
    中国には13億人いて、考え方などは様々でしょう
    これが平均な意見にあたるかどうかは分かりません。
    しかし、中国では災難の時は
    個人の放埓を制限し集団で力を合わせて危機を乗り切る意図が生まれるのはおかしくはないし、
    そういう潜在的な概念はあると思います。

  41. To testerさん
    >to kumabrothers さん
    >しかし、中国では災難の時は
    >個人の放埓を制限し集団で力を合わせて危機を乗り切る意図が生まれるのはおかしくはないし、
    >そういう潜在的な概念はあると思います。
    中国を代表する大手メディアは、外国企業による義援金を金額順にリストアップして発表し、中国人ネットユーザーたちは「○○○(←外国企業名)は中国で儲けてるくせに義援金が少ない」とか「○○○は約束した義援金をちゃんと払っていないらしい。許せない!」などと勝手なことを言う。
    こうした行為を日本語で「さもしい」と表現しませんか?
    testerさんのご意見(しかし、中国では災難のときには……云々)は、こうした「さもしい」行為とは関係のない、また別次元の話ではないでしょうか? 
    中国人同士が「個人の放埓を制限し集団で力を合わせて危機を乗り切る」ならば、それはまことに結構なことですね。そうした優秀な中国人たちであれば、義援金の多寡や義援金支払いの滞り(と見える事態)について外国企業を非難している場合ではない、今こそ、政府(共産党)のインフラ整備計画や防災計画や地方の共産党幹部たちの仕事ぶりを徹底検証すべきときなのだ、と気づくことでしょうね。

  42. 義捐金が少ないとか騒いでいるのは四川の被災者じゃないのでは?
    ネットの匿名投稿者(いまの自分もそうですが・・・)の中で声が大きい人ほど、他罰的に大騒ぎ出来ればOK、って人だろうと、そう言うイメージが強く、決してその国の主流メンバーじゃないと思うのですけどね。

  43. To tenyoufoodさん
    >To kumabrothersさん To testerさん
    >私は、義侠心に富んでいると思う。>
    >「おいオマエ! タンマリ儲けているくせに、ケチ^2してねぇでもっと銭出さんかい! 困っているヒトが沢山いるんでぇ!」
    マジでヤクザやんけ。
    まあ、中国人は、ヤクザと同じ発想しとるから不思議でも何でもないけどな。
    まあ、ヤーさんに渡した金が不幸な人達に渡るなんて期待してないけどな。

  44. to kumabrothers さん
    >「さもしい」と表現しませんか
    感じ方や捉え方はそれぞれでしょうけど、
    義捐金を表明し市民の関心を買いながら、
    実際は払わない、払っていないほうが「さもしい」く感じます。
    大多数企業の場合は、行き違いか、プランの違いだったようですが。

  45. To testerさん
    なるほど、それが中国人の常識って奴か。
    で、自分達の常識が世界標準だと言いたいわけだ。
    やれやれだぜ、ヤクザとは関わりを持ちたくないものだ。
    >「日本の常識は世界の非常識」という言葉もあり、
    >いわゆる「正義」や習慣や価値観はそれぞれ歴史背景や社会背景
    >もあり国や地域によって様々です。

  46. to f4phantom さん
    >>いわゆる「正義」や習慣や価値観はそれぞれ歴史背景や社会背景
    >>もあり国や地域によって様々です。
    常識に関してはは世界それぞれだと書いたつもりだが、
    中国の常識=世界の常識と私が断言&宣言したように
    捉えてしまった人がいたようですね。

  47. To tenyoufoodさん
    >ヤクザの素養がある君が、ヤクザと関わりたくないのは何故だい?
    おれは今やつのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した。
    い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
    あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
    中国人がヤクザのような行動をするのを忌避したら、
    何故かヤクザの素質有りと認定されていた。
    な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
    おれも何をされたのかわからなかった…
    頭がどうにかなりそうだった…
    催眠術だとか超スピードだとか催眠術だとか超スピードだとか
    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
    もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
    マジな感想だが、元ネタと私の言っている意味が、
    中国人に理解できているか自信は無い。

  48. 上記がまったく
    1.ブログ管理者の与り知らぬ場合は、ブログシステム自体が、
    投稿者による削除可能なシステム。
    消えたハンドル名の人物はグループ又は一人による、成りすましで、消えた投稿文は自分で消した
    2.当事者がブログの管理権を持っている。
    この様なことは、違った意味で深刻な問題である。
    3.外部から管理権限が奪取された

  49. To tenyoufoodさん
    >君は己の本姓に気づいていないだけだ。
    いやはや、凄いレスだ。流石中国人は我々の想像を超える。
    貴州抗議事件:少女強姦説を否定する当局、「レイプではなく、腕立て伏せだ」なんて言い訳が通用するだけの事はある。
    http://jp.epochtimes.com/jp/2008/07/html/d79739.html

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