中国式民主を考える② 農民の求める民主?

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■中国の民主化をちょっとまじめに考えよう、という「中国式民主を考える」シリーズの続きです。前回、50年前の〝右派〟ら「知識人の民主」の理想を紹介した。では中国の国民の過半数の7億人以上をしめる農民はどのような民主を求めているか。その模範回答が、19日付け産経EXコラム「中国を読む」で取りあげた、黒竜江省富錦市の農民4万人による「農地奪還宣言」に表れていると思う。というわけで、今回は、この奪回宣言を中心に、「農村から始まる民主」を考えてみたい。

■私有財産保護は民主の根本
もてざる者、農民に私有財産権を!
めざすは社会主義革命か?資本主義民主か?

■実は物権法ができたときから、こういう事件が必ずおきると思っていた。つまり、過去に強制収用された農民の土地所有権の主張である。黒竜江省富錦市近郊の農村の農民たちが宣言した「農地奪回宣言」は、憲法上も物権法上もなんら問題のない正当な権利主張だ。

■しかし、この宣言文を出した農民代表は現在、全員拘束されいるらしい、とこの方面に詳しい知人からきいた。どうりで、携帯電話が何度かけてもつながらないはずだった。ちなみに、村の所在地である富錦市およびその下部にある長安鎮政府に電話で問い合わせたところ、さあ、そんな話しはきいてません、とのことだった。で一応、鎮政府から村の書記(村民のリコールで罷免された人)の携帯電話なども教えてもらったが、つながらなかった。知人いわく「あんた、とろいから、現場にいったら、すぐ捕まって強制送還されるよ」。というわけで、福島は現場取材はとりあえず断念。おちついたら、こそっといってみよう。

■で直接取材できなかったかわりに、宣言文はここに全文翻訳して、紹介しよう。農民たちが主張する権利がどういうものなのか、過去のエントリー「物権法ができたら…」シリーズなども参考にして、みてほしい。

■黒竜江省富錦市東南崗村など72カ村4万人の農民が全国に向かって土地所有権を宣言する公告

■われわれは黒竜江省富錦市長安鎮、興隆崗鎮、頭林鎮など10カ鎮7カ村4万人の農民である。1994年以来、富錦市の各レベル官員(公務員)が国家建設需要の口実で低価格で強制的に収用した150万ムー(1ムー=6・67㌃)の農地と荒地の所有権について以下のように宣言する。

①われわれ72カ村4万人の農民は、150万ムーの土地所有権を保持している。村の範囲内で、農民世帯の単位で、奪われた集団所有の土地はすべて村民に平等に返還されるものである。

②農民各世帯は、土地使用権、収益権、継承権、処分権、および政府、開発商が開発時に(国家に要求した)同意権、価格権を含む土地所有権を保持する。

③ 長安鎮東南崗村900余人の村民はすでに率先して奪われた土地15000ムーを奪還し、村民に平等に分配した。これに先立ち、官員と結託して農民の集団利益を侵害した元村長を罷免した。その他の村も続々と、この方法によって、奪われた土地を奪還、平等分配していくだろう。各村民委員会および村民選挙によるその他自治組織は農民のこの権利主張を支持する責任がある。また 農民全体を組織化して集団所有の土地の奪還と頭割りを原則とした平等分配を率先していく責任がある。官商結託による強制収用にあえば、各村民委員会および自治組織は農民を組織して、農民の土地所有権を死守する義務がある。

④中国共産党各レベル組織および各レベル政府は、土地を耕す農民が土地の所有者である、という当時の革命理想の実現を承諾し、かつて農民を率先して土地改革をおこなった改革初期のように、農民の土地経営権を支持し、農民創始の精神を尊重し、農民の土地に対する各権利を支持、保護すべし。中央は長年、農村に関心をよせ、農民の優遇政策がどうして実行されていないか、どうして農民の境遇に大きな改変がみられないかに関心を寄せてきたが、その根っこは、「優遇は政治にあらず」ということである。土地を徹底的に農民にあたえて、初めて効果がみられ、それが最も実際的な農民優遇政策となるのである。中国農村は現在、根本的に集団経営にふさわしい形になっていない。いつになったら、ふさわしい形になるのか、それは我々農民が自分で組織をつくり集団経営を行うときなのである。

⑤農村集団所有の土地は、村民が集合体として所有するものである。その土地の占有形式については、全村民が共同決定の権利を持っている。長きに渡って、農民を土地の主人と位置づけるいわゆる集団所有制は、実際は架空の権利だった。富錦市各レベルの官員と有力者は国家の名において、集団の名において、欲しいままに農民の土地を占有、私物化し、実際の「地主」となって、土地の主人であるはずの農民をむしろ、土地を貸し出し与えている「農奴」とならざるをえないようにしたのである。
われわれはこのような土地の占有形式の改変を共同決定し、各農民家庭と農民個人の土地所有権を通じて、農民の真に土地の主人たる地位を確実にし保障するものである。

⑥我々は、改革開放初期の農民が土地経営権を勝ち取り、農村に偉大な変化を発生させたように、農民が土地所有権を再び勝ち取ることが、農村にさらに偉大な変化を起こすものと信じる。我々農民はもう略奪や迫害にはもうこりごりで、天に、地にこの不条理な運命を嘆いてきた。農民は自らで権利を実践してやっと、権利保持し人権を高めることができるのだ。土地は農民の命の根っ子である。農民の最大の人権である。土地所有権を持つことがまさに、我々農民の生存権を安からんじ、中国農村の存続を安からんじ、国家全体が身をたて命を安からんじることができるのである。
発言人:于長武、王桂林
(以上)

■農民が書いたとは思えぬ(失礼!)論理的な文章だと思う。そして、中国の今の矛盾を見事にあぶりだしている。

■中国では農地は集団所有(農民が集団で所有している、つまり村として所有しているのに)と憲法に定められている。その使用権については、村から村民個人に分配され、その土地から得る収益は個人財産に属する。しかし、現実にはこの権利は架空のものとなっている。なぜかというと、農地の使用権を分配する村長(村民委員長)など村の代表が、民主的選挙で選ばれておらず、現実には村民の利益代表になりえていないからだ。

■もちろん、農村では「海選」と呼ばれる村民直接選挙による村民委員会という農村自治組織の選出制度が80年代から導入されはじめたことになっている。82年に憲法に、村民委員会が農村自治組織として村民による選挙で選出されるものであることが明文化され、88年には村民委員会組織法がまがりなりにも施行された。だが、現実には海選が導入されているところはまだまだ少なく、導入されていても公正な選挙とはいいがたく、村の党組織の書記などが自動的に村長の地位についたりする。なぜ、そうなるかというと、共産党は末端の党組織を通じて農村を指導する、という建前があり、村の上部行政区の鎮、県などの党組織を通じて強い干渉があるからだ。さらに94年の分税制導入後、農地をめぐる利権構造が発生し、鎮、権政府の農村への干渉が強化され、農民の権利主張を強権で封じ込めることに躊躇がなくなった。

■94年の分税制導入について、ちょこっと解説しておこう。おそらく、これが今の中国の超格差問題を引き起こした決定的な失政のひとつ、と見られているからだ。ときの朱鎔基首相が断行した「朱鎔基改革」の柱のひとつで、各地方と国家がそれぞれわけて財政管理を行うシステムを導入した。それまでは、中央は地方を税徴収機関として、地方から上納させる形で徴税していたが、この方法だと中央の税収がふえず、地方分立、経済の混乱などが生じる、とされた。それを中央税、共有税、地方税にわけ、中央と地方の税収ルートをあけ、地方の経済、社会、治安は地方財政から支出することとなった。

■この税制改革によって、中央は93年の22%から94年の55・7%にアップ。また、中央の増収分を貧困地域に再分配にまわす制度もそなえた。だが、この制度が適用されたのは、省レベルに限定され、県以下は対象外だった。そのため、支出増分は県以下に押しつけられる、という状況が発生。県以下レベルの末端行政区の財政は急速に悪化した。そのため県以下の政府は、「乱収費」とよばれる、違法な税徴収(結婚税とか就学税とか道路建設税など)を課せられたり、違法な罰金を課せられたり、農民らからが不当に苦しめられることになる。

■また分税制導入によって、地方の土地収益がすべて地方に属することになった。改革開放で開発ブームの波が地方にも押し寄せてくると、県政府は財政悪化の補填に、農地収用、競売という錬金術を使うようになる。この結果、農民の土地を県、鎮レベルの幹部が開発業者と結託して、ほしいままに収用、それを競売にかけたあがりを主要財源にする構造ができてしまった。この傾向は反抗する農民は、公安やヤクザ、カネでやとった民兵の武力で鎮圧。格差のしわ寄せは、底辺にいる農民に押しつけられた。左派学者の間で、朱鎔基元首相が悪の権化みたいにいわれるのは、こういうわけだ。

■こういう状況は、共産党の革命当時の理想と著しくかけ離れている。共産党は地主や資本家を打倒し、それまで奴隷扱いだった農民や労働者を解放したことこそに、その存在意義がある。だからこそ、共産党=農民・労働者の意思代表=最高の権力となり、プロレタリア独裁(民主集中制)が許されるのだ。

■なのに、党幹部が地主化、資本家化し、農民、労働者から搾取している。一昔前の人民公社は失敗ではあったし、毛沢東氏の政治闘争が農村に恐ろしい飢餓と混乱をもたらしたのは確かだが、あの当時は(毛主席をのぞいて)みな平等に貧しかった。人民公社条例は農民を土地に縛り付けたが、土地の永久所有も認めていた。その意味で、そのころ、農民は一応、土地の主人の座にあったのだ。

■ちなみに、かつての人民公社が解体され、単位が村、郷、鎮に変わり、改革開放後に土地請負制度という形で、農民個人の土地使用権が認め始められた。この改革も農民たちは歓迎した。人民公社では自分がいくら働いて豊作であっても、利益は再分配だったから、労働意欲が損なわれる。しかし、土地使用権の個人所有が認められるということは、土地からの収穫はすべて自分のものなのだ。この改革がいびつな方向に折れ曲がるのは、天安門事件以降、そして朱鎔基改革以降、ということになる。

■現政権は、三農問題(農民、農村、農業)に腐心し、農業税廃止など、農民優遇政策をうたっているが、この宣言文によれば、そんな政策よりも、農民の集団土地所有権をきっちり認めろい!そうすれば、それが何よりの優遇政策なのだ、というわけだ。いや、論理的にまったく何の齟齬もない。憲法、物権法、農地請負法、そして社会主義の建前のいずれのにも合致した主張。しかも、返せと言われている土地は、本来、国家建設需要、という名目で収用されたが、そのプロジェクトの批准は結局おりておらず、物権法が土地収用の理由として認めている「公共の利益」に合致していない。まさしく、国家の名をかたって農民の土地を詐取した犯罪といってもいい。

■農民がこんな正論を主張しているのに、なぜ中央はだんまりのままなのか。この宣言文を発表した農民代表らが不当に拘束され、口を封じられているのを座視したままなのか。それでも、民生重視かい!民をもって本と為す政治なのかい!といいたくなるのは私だけではないはずだ。

■しかし、この宣言を中央が認めてしまうと、雪崩式にいろんな問題が表面化してしまうのも確かだ。まず、これまで行われてきた土地収用案件の3分の1以上が、地方党幹部がかかわる不正案件だ、と土地資源相も言明している。不正案件でなくとも、約束された土地補償費が払われていないケースもあまたある。つまり、今回の件を認めると、全国各地の農村で同様の権利主張がおき、収拾がつかなくなるかもしれない。過去の違法土地収用の奪還、あるいは追加補償を認めてしまうと、地方経済はガタガタになるやもしれない(今も相当ガタガタだが)。

■さらに、土地ではないが、国有企業解体も、同じ問題をはらんでいる。今の民営企業家の多くが、国有企業解体時に二束三文で、国有資産を譲り受けたところから始まっているが、この国有資産は、社会主義の定義でいえば、全国民の共有財産であり、国有資産を安価で売りさばき私腹を肥やした党幹部や安くで買ったコネのある人たちは、安価で農地を収用し、私腹を肥やした政府幹部や開発業者同様、公有資産の横領、詐取ということになる。物権法立法が慎重に行われた背景には、このあたりの矛盾をどうやってごまかすか、対策をねるのに手間取ったからだ。結局、むかし国有資産をどさくさに紛れて私有化した企業家は、今の国家経済の屋台骨を支えているため、過去の罪は不問に付す、という姿勢を当局は貫くことで決着している。しかし、この過去の違法土地収用の奪還問題が世に問われれば、国有資産の違法流用に関する問題も再び注目をあびかねない。

■さらに、こういった農民の権利意識が、全国に広まったとき、もはや農民・労働者の意思代表になりえない共産党の存在意義がはっきり問われることにもなろう。国民の過半数を占める農民の利益を代表しない政権の独裁は、社会主義思想がいうところの民主集中制を行えない。共産党によるプロレタリア独裁は根本からゆらぐことになる。

■この宣言文をよくみれば、おわかりだろうが、この農民たちが望む民主とは、西洋の民主主義とはちがう。いわゆるかつての社会主義の理想への回帰で、人民公社復活に近いことをいっている。しかし社会主義と民主は矛盾しない。延安時代に共産党によって解放された農村では、「豆選」という文盲の農民も、碗に豆をいれて農村の指導者の選出に参加できる、という原始的だが民主の根本に従った選挙システムが、実際広がっていた。

■一方、奪還した土地を農民個人に平等分配した、という点では、農民個人の私有財産(土地使用権という用益物権)も認めている。土地(使用権)の私有化、というのは資本主義民主への動きでもある。

■いずれにしろ、今の中国の体制を変革しなければならない、という強い要求が農民から出ている。今の体制とは、政治の建前は社会主義体制だが、経済は資本主義型自由経済で、しかも、共産党幹部やそれとコネを持つ一部の企業家らが特権階級として富を独占、農民だけがキャピタルゲインがなく搾取されるのみ、といういびつな状況。くだいていえば、共産党王朝封建農奴制か。

■この中国の特色ある共産党王朝封建農奴制を、かつて夢に描いた「土地を基盤にした共同生産組織による社会主義的ユートピア」にかえてゆくにしろ、あるいは農民の土地使用権の私有化をすすめ、土地使用権の担保化、市場化を容認することで、農民も資本をえて、資本主義経済に参加できる資本主義民主社会に変わるにしろ、まず民主ありきなのだ。

■この場合の農民の言う民主とは、ものすごくシンプル。つまり、自分たちの生活基盤となる土地の所有権を守るため、自分たちの利益と意思を代表するリーダー・組織の構成員を直接選挙で選ぶ、というだけなのだ。

■そして農村からはじまるこういうシンプルな民主こそ、今中国が直面する頭のいたい問題、地域格差、貧富の差の解決とはいわないまでも、緩和の糸口になるのではないだろうか。共産党独裁維持ということを、最優先におけば、リスクは大きいだろうが、永遠に続く独裁などあり得ないし、このまま社会矛盾をほおっておけば、農民蜂起による共産党王朝打倒といった最悪のシナリオも、まったくないとは言えないような気もする。少なくとも彼らの声を力づく押し込めるのは、中国の未来にとっても、共産党の未来にとっても得策ではない、と思うのだがどうだろう。

「中国式民主を考える② 農民の求める民主?」への34件のフィードバック

  1. はじめまして。
    このようなぶろぐ記事を書いていれば、昨年末のビザ発給問題は起きて当然です。しかし、日本国での言論について、表向きには抑圧できませんから、いやがらせになりますね。
    しかし、現地取材は極力避けたほうがよろしいかと思います。中国の公安当局の怖さは身近に感じておられるとはおもいますが、一瞬の油断が命取りになります。もちろん、言論のために生贄になる覚悟はジャーナリストとしてお持ちでしょう。しかし、死ぬと泣くおかたも必ずいますから、くれぐれも自重することが肝要です。
    もっと、中国の中央政府のトップはすべて承知の上で、泳がしている(失礼な言葉ですみません)わけです。農民一揆で王朝は易姓革命により交替してきたのが中国の歴史です。中国共産党は、これだけはうけいれないでしょうから、弾圧と融和策の組み合わせで対処していくことでしょう。
    今後の記事を期待しています。そして、無事を祈念しています。

  2. To the-prayer さん
    どうもへんな感じです。
    何がって、あなたの文章とあなたのブログです。
    あなたのブログを少しだけ読みましたが、右でもなく左でもない。
    独特の立ち位置は日本人のものではない、という印象です。
    私の推測を単刀直入に申し上げれば、あなたは中国人工作員ですね。
    でも、あなたの論理、あなたの文章では私たち日本人の心はつかめませんよ。

  3. kashiwa123 さん
    小生も同じ意見です。ねったりまったり粘着質のいやらしい文章には反吐が出ます。

  4. 福島香織さん こんにちは、お元気に御活躍のご様子、エントリーはいつも拝見しています。the-prayer さん のコメントはkashiwa123 さん が仰るように内容がちぐはぐで理解に苦しんでいます。>しかし、現地取材は極力避けたほうがよろしいかと思います。中国の公安当局の怖さは身近に感じておられるとはおもいますが、一瞬の油断が命取りになります。もちろん、言論のために生贄になる覚悟はジャーナリストとしてお持ちでしょう。しかし、死ぬと泣くおかたも必ずいますから、くれぐれも自重することが肝要です。・・・>今後の記事を期待しています。そして、無事を祈念しています。   ですか?どうすればいいのでしょうか?現場の声を聞いていたら命は危ないまた泣く方もいられるから・・しかし今後の記事は期待しています、と・・・公の発表だけを記事にせよと言うことかな~?福島さんもこんな意見聞けば悩みますよね、もし上司の意見だったらね。

  5. 二度目の投稿です。
    何か自身のブログを開設していないお方が意見表明されているようです。わたくしの言いたいことは、記者はプロの物書きだということをわすれてはいけないということです。その国に滞在が許可されているとすれば、意見はプロとしての識見がとわれます。日本国のブログで滞在国の存在を否定する意見表明をプロがいとも簡単に実施してよいかの道義的な視点が必要だといいたいのです。
    まいあがってはいけません。先輩諸氏の意見もきかれたほうがよろしいかとおもいます。

  6. 追記
    ととめをさすようで、失礼ですが、逃げ道を作った意見の提示はいただけません。意見表明するのであれば中国で発信した記事として日本国でお勤めになっている新聞記事でどうどうとなさったほしい。記者の発信記事として。その勇気がないのであれば、姑息な記事のUP方法をとってはなりません。日本国民の面汚しですよ。

  7. 追記の追記
    わたくしに反論があれば、ご自身のブログを開設し堂々と意見をよせられたらよろしい。本当に記者といっても相手国の文化も否定するようであればなにを大学でまなんだのかといいたいです。

  8. to the-prayer さん
    >日本国のブログで滞在国の存在を否定する意見表明・・・
    別に福島記者は支那の存在を否定したわけではないと思いますが。13億人もいる醜悪な巨大国家の存在を日本人なら誰もがいやというほど認識していますよ。ご心配にはおよびません。
    福島記者の詳細な情報により(その前にワシントンポストが報道していますが。もっとずうっと露骨に。)中国農民が興味深い動きを見せている事実を多くの日本人が知ることになったわけです。記者として優れた業績をあげたと評価されますよ。この日本ではね。

  9. To the-prayerさん
     すみません、ちょっと小難しい書き方をしてしまいました。このエントリーの内容がうまく伝わらなかったみたいです。このエントリーは産経EXに掲載されたコラム「中国を読む」を補足しつつ、中国の民主化を考えてみよう、というエントリーです。新聞は行数字数が限られているので、宣言文全文をご紹介できない。本紙には欧米紙の転電の形ではやばやと紹介されているので、同じ原稿は書けませんから、自分の書きたいことはブログで書こう、とそれだけです。よく読んでいただくとわかると思いますが、別に中国文化を否定しているわけでも、革命を煽動しているわけでもありません。ただ、農村で農民たちも自分たちの権利意識や民主に目覚めはじめている状況を伝えつつ、では、農民が望む民主とはどういうものか、ということを考えた次第です。私は日本人記者として、中国に駐在して記事を書くのが仕事です。中国人と同じ価値観、同じ報道姿勢で報道することは、読者にも望まれていないのではないかと思います。文化を否定しているのではなく、異国の政治や社会を日本人の価値観でみると、どう見えるか、ということを書くことがプロの仕事ではないか、と思っています。ちなみに、記者ブログは社命を受けて、仕事として書いております。ネット上に存在する新しい読者層を獲得するのが目的です。新聞に書かずにブログに書くのは姑息、とおっしゃいますが、仕事としての重さや読者に対しての姿勢は同じです。

  10. To くぼたさん
     私も、最初、あまりよく理解できませんでした。追加コメントをみて、なんだ、そういうことをいいたいのか、と分かりました。

  11. ハタから見てるぶんには、中華塵民恐倭国駐日本島出張所(http://www.china-embassy.or.jp)からのアクセスだったりすると、もっと面白かったりしますが・・・。

  12. To the-prayerさん
    >中国の公安当局の怖さは身近に感じておられるとはおもいますが、一瞬の油断が命取りになります。もちろん、言論のために生贄になる覚悟はジャーナリストとしてお持ちでしょう。しかし、死ぬと泣くおかたも必ずいますから、くれぐれも自重することが肝要です。
     これを書いた人は男性なんでしょうが、本来的に男よりか弱い(もちろん肉弾戦になったさいの話です)女性に対する最低の陰険な脅しですね。
     間違いなく中国共産党の関係者だと思います。独裁政権というのは、いざというときの暴力もそうですが、陰険さでも底なしですから。

  13. 福島記者
    > 共産党幹部やそれとコネを持つ一部の企業家らが特権階級として富を独占、農民だけがキャピタルゲインがなく搾取されるのみ、といういびつな状況。くだいていえば、共産党王朝封建農奴制…
    かねがね「近い将来、中国で社会主義革命が起こるかもしれない」な?んて考えている私にとっては、持論の論拠となるような典型的事例ですね。 しかも、リーダーの身柄が拘束されている、という「お約束」みたいな状況のようで…行政による土地収用について問題が発生するのは日本も同様ですが、最初から競売目的で収用されちゃあ当然「一揆」になるわなあ。
    福島記者が「物権法」に注目している理由を窺わせるエントリですね。 五輪開催年で日本のマスメディアは「大本営発表」に終止するでしょうから、「物権法による諸問題」についてはこれからも追跡していって下さいね♪
    しかし…
    > 知人いわく「あんた、とろいから、現場にいったら、すぐ捕まって強制送還されるよ」…
    映画「キリング・フィールド」のあるシーンを思い出した…そういやあポル・ポト政権も毛派だったな…

  14. あはは、分かりやすいお客様がお一人いらっしゃたようですね。
    これまで、「臭いものには蓋を」されてきたのでしょうが、もう今の時代には他国のジャーナリストにも、また自国の農民さんたちにも通用しないとお分かりにならないのでしょうか?
    あるものはある、ないものはない。
    イデオロギー云々に振り回されていた時代はとうの昔。有りのままの事実をきちんと伝え、皆に冷静に考える情報を広く与えてくれることが、皆が必要としていること。
    それは「いかに社会をよいものにしていくか」の為にとても大切なこと。

  15. 三度目の投稿です。
    事実を紹介するのは良いです。ジャーナリストの使命ですから、しかし、そこに私的な歴史観をいれることが問題だといいたいわけです。貴ブログのTitleとあまりにかけ離れた意見表明をするにはきちんとした場所が必要だと思います。
    マス・メディアの記者たるものは、その記事の重みに謙虚であるべきです。先輩諸氏の意見をきいたらということには、そのような意味があります。他国の制度の批判は別にしてもよいのです。しかし、TPOをわきまえて行うことが文化国家(日本国)の構成員のとしての節度だといいたいのです。
    わたくしの投稿記事の書き方にも問題はありました。しかし、それを反省しても、あなたの姿勢はけっしてよいものではないと考えます。それが、お勤めの新聞社の姿勢だとすれば、偏向したジャーナリズムのメディアの会社だと思います。
    他国の現状を批判・批評することではなくて、もう一つ工夫がほしいといいたいわけです。それが物書きのプロでしょう。素人ではないわけです。記者ブログの重みは、庶民のブログ発信とは違います。それで、お金(収入)をえているわけですから、中国の共産主義の現状がひどい状況になってることは、あなたがご指摘にならなくても、きちんと、報道されています。駐在記者としての使命はなんなのですか、その説明責任がひつようですし、もし、仮に意見表明するにしても、政府がわの反論を併記するという姿勢が必要です。それができないのならその情報を入手するまで、我慢することが肝要です。
    他国の文化を批判する時には、きちんと、情報を整理するという姿勢がありませんと逆に説得性がうしなわれます。

  16. ↑先輩諸氏って具体的にどなた様ですか?せひ教えてください。
    人に、意味のない無理な「我慢」を強要する人の書き込みほど、「説得性」のない文章はないと私は思いますが。
    ただ中国共産党のためということ以外には。
    先輩諸氏教えてくださいね。具体的に。
    どうぞ宜しくお願いいたします。

  17. 追記
    報道カメラマンという仕事があります。事実の一瞬をとらえる仕事だと認識しています。この一枚の写真には、いつ、どこで、なにを、だれが撮ったのかが情報として付きます。
    そこには、カメラマンの使命感とか歴史観とかがベースにあります。人がひとであるということは仕事であっても、自己の感覚は当然はいります。
    人びとに一枚の写真が感動を与えるということはあります。また、そのような事実を記録していく作業は必要なのです。しかし、事実を残すといっても思想・信条がはいります。ですから、そこをきちんと理解したうえで作業をするという姿勢がありませんと、その情報は価値を持ちません。
    記者が意見表明することがはやっていますが、それは、報道の本道ではないということをきちんと理解して、常に説明責任を持つというsenseが必要です。

  18. 三度目の投稿の
    追記の追記
    釈迦に説法ですが、
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    5W1Hは、一番重要なことを先頭にもってくるニュース記事を書くときの慣行である。要するに、読者はまず事実を、それから些末な逸話を読みたがるということである。
    ニュース記事の最初の段落はリードと呼ばれる。ニューススタイルの規則では、リードには以下の「5W」の多くを含むべきとされている。すなわち、
    Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)したのか。
    日本においては、「5W」にさらに下記の「1H」を含む「5W1H」であるべきであるとされる。
    How(どのように)
    ただし「5W1H」という用語は日本独自のものであり、欧米ではふつう使われない。
    ほとんどのリードは、これらすべてを備えているわけではない。全て含むと、かえってつまらない感じがするかもしれない。書ききれなかった分は次の段落に書いても問題はない。
    このあと新聞記事は他の必要な情報に入っていく。正確にはどんな発言があったのか、何が行われたのか、関係者は他に誰か、といったことである。最後には、肝要ではない情報が来る。この書き方のおかげで、編集者が入稿ぎりぎりに紙面の辻褄を合わせるとき、記事を切りつめることができるようにもなっている。
    “http://ja.wikipedia.org/wiki/5W1H” より作成

  19. 一人を除く皆様
    おはようございます。
    おかしな表現で意味不明な文言を延々と書き連ねる人が現れていますが、一体何が仰りたいのでしょうか、自分の意味不明な表現に気付かずに名文と自己陶酔されているのでしょね。こんな人は必ず文章が長くて意味不明意、連投、また連投を繰り返す同じパターンが続きます。そして俺は(私)お前らよりも頭がいいんだぞと言わんばかりの表現をする。家の薄暗い場所でインターネットで情報をあさりながらさもジャーナリストと錯覚を起こす輩がいろいろ言ってもね、現場で情報を取るそして報道するプロには説得力はないと思いますがね。

  20.  テレビの討論番組などに時々出演する、中国人の東海大教授の薄ら笑いの顔を思い浮かべてしまいました。確か築地の新聞社の、専属コメンテーターだったですよね。大人(タイジン)ぶって高所からお説教口調でのコメントが、テレビで見るのとそっくりです。
     深夜に本国からの指令でも受け取ったのでしょうか。もしかしたら叱責されたのかも知れないですね。連投も、ブログ主や読者に向けてというよりは、本国で読んでいる上司に阿っているように感じます。
     中国は外国のメディアに国の制度や体制を批判されても、別段何の痛痒も感じないのでしょう。それよりも福島記者のように、小さな事実を積み重ねられるほうが、こたえるのかも知れません。ましてや、中国を愛してのことなどと宣言されては、東アジアの長兄としてのプライドが傷つくのかも知れないですね。
     とはいえ、無意識かわざとかはわかりませんが、注意深く読めば日本人の手になるものでないと読み取れるこのような投稿があがることは、何か薄ら寒い不安感もぬぐえません。福島記者の身の安全が保たれることを祈ります。
     

  21. To the-prayerさん
    >事実を紹介するのは良いです。ジャーナリストの使命ですから、しかし、そこに私的な歴史観をいれることが問題だといいたいわけです。
    私的な歴史観、というのはこの場合、朱鎔基改革や分税制導入に対する評価のことでしょうか。これは私個人の見方ではありません。学者さんの中に、今の超格差を作り出した政策のひとつに分税制と指摘する方は結構いらっしゃるのです。一人の意見ではなく、ひとつの説として読んでいただければ。
    私はジャーナリストという立派なものではなく、日々の新聞(今はネット・ニュースも含む)をつくる記者にすぎません。記者とは事象をそのまま伝えるだけでなく、その事象をどうみるか、ものの見方のひとつを提示することも仕事だと、私は先輩記者の方々に教えられました。ただし、自分の頭だけで、そのものの見方を示せるほど、頭がよくないので、その分野の方、あるいはその分野以外の方から、意見や見方を聞いて、それを自分の中で整理して書きます。朱鎔基改革や分税制に関する考え方に示唆をいただいたのは農村経済研究で知られる小島麗逸先生です。公有資産流出や農村民主の問題について示唆をいただいたのは、深セン大学教授で作家の曹征路先生です。そのほか、ネット上にでている日本語、中国語の論文はそれなりに読んでいますが、ひとつひとつを出典をあげられるようなものではなく、自分の中でかなり消化して書いたものです。
     TPOをわきまえよ、とおっしゃりますが、ブログは、果たしてこういう、事象の読み方、ものの考え方を示す場所として不適当でしょうか。ブログの強みは字数制限がないこと、読者からの反論、指摘を受けられることで、記者がその事象をどのように読み解いているか、読者に示す場所としては最高の場所だと思うのです。紙の新聞では、内容ははしょられ、読者にその見方を押しつけておわりですが、ブログなら、the-prayerさんの疑問にも、こうしてお答えできるわけです。
     the-prayerさんには、プロの記者としての有るべき姿など、いろいろ参考になるご意見をいただき、それはそれとして、ありがたく拝聴いたしましたが、それよりも、このエントリーで紹介した、農民の宣言文について、どういう見方をもってらっしゃるのか、そういう具体的なテーマで議論したいものです。

  22. こんにちわ。
    中国での、農民の生活の大変さはよくTVなどで見てて、いずれはこんな事が起こるだろうと思ってました。現代の農民一揆でしょうか。
    起こるべくして起きたことだと思いますが、これで農民の生活が少しでも向上して、けがや病気で医師にかかれない人が減るといいです。
    福島さん、なんか記事の書き方まで、決まりがあるらしいですが、
    個人的には、今のままで結構ですので、頑張ってくださいね。
    でも、しっかり食べて、しっかり寝て、体はいたわってくださいね!!

  23. こんばんは。
    中国の現状はたしかにひどいとわたくしも思います。中国の農民が共産主義の犠牲になっているのもそのとおりだと思います。かれらの主張は正しいです。一方で、日本国でもworkihg poorとか、ネットカフェ難民とかの存在も否定されないと思います。共産主義は、間違っているとわたくしも確信しています。
    しかし、あなたは、記者なのです。共産主義中国に許可を得て中国本土に滞在しています。そうであれば、そこそこのレベルの幹部の情勢判断をいれなければつりあいがとれません。
    事実は、いま現在生きている人間には判断つかないことは多いです。ですから、歴史も学ぶ必要があります。たんたんと事実をつたえるという手法もあります。そこをプロは考えてほしいのです。
    以上、わたくしは、あなたのぶろぐではおじゃまのようですから、これで退場します。勝ち負けをきそっているわけではありません。
    事実と真実とは、等価ではありません。
    自分の足で獲得した事について、記者たるものは、ぶろぐといえども、記事をupすべきです。

  24. the-prayer
    なんと傲慢なハンドルネームなんでしょう。
    名は体をあらわす。まあ、そんな事か

  25. >>the-prayer
    ジャーナリストは自分の発言・言動に責任を持つべきですがその国におもねるようではジャーナリストとは言えないのではないでしょうか?
    共産主義と違い民主主義国家で許されているもっとも大きな自由が報道、言論の自由ではないでしょうか。もし自国では違うというならば追い出してしまえばいいことです。(本人は望んでおられないようですが)その際の反論の自由も民主主義ならではないでしょうか。
    ジャーナリストは横暴で、自己欺瞞で、偏屈な職業ですが、自己責任を取られる限り許される権利だと思うのは自分だけでしょうか。ちなみにこの考えは櫻井よしこさんの本を読んでて感じたことです。別に福島さんを弁護するつもりではありませんし、民主主義をすべて肯定するつもりはありません。
    また共産主義的な報道精神は納得はできませんが、否定もしませんよ。

  26. 理論整然と語る宣言文といい、72ヶ村を一斉蜂起させるところといい
    なかなかどうして、張良のような軍師がいる匂いがしていいですね~。
    農民の方もこんな宣言をしたらタダでは済まないことは知っているはず。
    それでもやってしまうところに相当な覚悟を感じます。
    the-prayerさんには、築地の新聞が嗜好にあっていると思いますよ。
    人民日報のまんま写しですから。

  27. すっかり主役の座を the-prayerさんに奪われてしまいましたね。
    はたして彼は日本人やいなや。

  28. 初めまして。
    結局、また拘束アンド隠蔽なんですね。風の噂では中国は法治国家らしいのですが、彼らは一体どんな容疑で拘束されたのでしょうか(笑)。
    さらに笑えるのは、prayerさん(アメリカのスラングでいうところの「おしゃぶり女」さん?)のブログに意見を書いたら、エントリーごと削除されてしまい、その見事な言行不一致ぶりに呆れてしましました。お郷が知れる、とはこのことでしょうか(笑)。
    そのエントリーの内容が実にひどくて、「年金未払いや保険金未払いは国家や企業による借金の踏み倒しだから、国民の皆さんも合法的に借金の踏み倒しをやりましょう!」みたいな内容でした。他のエントリーも中国やアメリカに湯水の如く金をバラまけ、とか、必要悪がどうたらとかイカレポンチな内容ばかり。
    「素敵な邪教の教えですね。ジャイナ教っていうのがありましたが、もしかしてチャイナ教ですか? 必要悪ですらない単なる悪行礼讃ですか。その上、アンチ安倍で小沢民主支持。日本を滅亡させるという点で利害が見事に一致したわけですね。ぷい!(意味は不明ですが、たぶん中国語)
    一切無用返書故金輪際不可再見! (金輪際教の経典の一節)」
    と書き込んでおいたら、今朝にはもう跡形もなくエントリーごと雲散霧消してました!
    >わたくしに反論があれば、ご自身のブログを開設し堂々と意見をよせられたらよろしい。
    という赤カボチャの言葉を信じて堂々と意見を書いたのに!
    有無を言わさず強制収用したオラの土地を返せwwww!

  29. こんばんは。
    福島香織さま
    (福島香織さまのプログに集う皆様)
    わたくしの投稿記事については、数々の非礼がありましたことをお詫びもうしあげます。
    責任はとりようがありませんが、わたくしのプログは閉じます。この投稿記事を、そのままわたくしのブログに記載します。
    大変もうしわけありませんでした。

  30. To the-prayerさん
    え~、なんでですか? 別に非礼でもなんでもないですよ。別に迷惑もかけられていませんし。責任もくそも、ブログというのは、自分の思っていることを(かなり)自由にいえる、それを(かなり)許容する、そういう場所だと思っています。これからもぜひ、ブログ続けてください。批判も皮肉も、当ブログはOK。記者は、自分の原稿を読んでもらって反応をもらえるだけで、けっこう嬉しいものです。今後ともぜひ、およりください。

  31. 福島さん、こんにちわ。昨年末に体調を崩し、一ヶ月位入院し、正月を含め最近まで病院に閉じ込められていました。さて、一ヶ月ぶりに、このブログを拝見しまして、昨年末に心配されてた記者証が無事に更新出来たようなので安心しました。今年も他のメディアが報道しないような貴重な記事の配信を楽しみにしております。他人に言う資格は無いかもしれませんが、くれぐれも体調に気をつけて、頑張ってください。

  32. こんにちは。いつもブログ楽しみに読んでいます。自分は今アジア横断旅行中なのですが、中国にいろんな意味で興味がわき、半年以上滞在して、今北京にいます。
    福島記者の記事は、中国要人の記者会見の本音解説などが、とても面白いです。
    産経の本記事もネットビューで見ているのですが、今日福島さんの記事がなんと1面トップなのでお祝いというかなんというか、コメントしたくなり、ペンを持った次第ではなく、キーをたたく次第です。
    これからも共産党独裁政府の嫌がらせに負けることなく、真の中国の現状を世界に報道していってください。
    自分もブログで細々報道しています。
    http://larksuperlights.blog78.fc2.com
    それでは北京今とっても寒いですが、風邪などひかれないように。。。

  33. 福島香織記者こんにちは
    千丹さんが日本に来ますよ! 福島さんは北京におられるのであまり関係ないですが。千丹さんの本「孔子の心」は1000万部を、「荘子の心」は250万部を中華で売れに売れたとのこと、また中国共産党の中央委員の前で講義をされているとのこと。
    さて日本での講演ー幸福の科学 東京正心館(東京都港区高輪2-1-17tel03-5793-1777)1月29日(火曜日)19:00よりです 
    千丹さんの本「孔子の心」は講談社から、「荘子の心」は幸福の科学 から日本で出版されるそうですよ

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