■毛沢東主席の30周忌にあたる9日、北京天安門広場の毛沢東主席記念堂は報道ベースで平日の約3倍の参観者が押し寄せ、あえぬ「毛沢東個人崇拝」を裏付けた。全国各地では座談会など記念行事が行われ、インターネット上でも特集記事があふれる。しかし、関連サイトには、あたかも階級闘争を呼びかけるような刺激的な言葉もおどり、毛人気の背景には、人民の現状への不満が見え隠れ。それを知ってか、新聞、テレビの報道は抑え気味だった。
「毛沢東主席の命日に、遺体が安置されている記念堂を参観するため行列するチベット仏教僧侶たち。なんとなく複雑な気持ちにさせる光景だ」
■毛沢東主席の遺体が安置されている毛沢東主席記念堂前。地方からのあか抜けない観光客や若者に混じって、赤い衣のチベット仏教僧侶の一団も並んでいた。「チベット自治区からこの日のためにきた。われわれも共産主義の理想を信じている」と二十歳ぐらいの若い僧は言う。毛沢東がチベットに対し何をおこなってきた知らぬかのような無邪気さだ。
■その隣にいた河南省からの男性旅行客(42)も言う。「毛主席が今の貧富の差をみれば、きっとか造反有理と言うだろう」。何人かの大学生に「毛主席のどこがいいの?」と尋ねると、全員が「カッコイイ!」と口をそろえる。
■昨今の「毛沢東崇拝者」には20代から40代前半が目につく。毛沢東時代の迫害や粛正を体験せずに、教科書で理想像としての毛沢東しか教えられていないポスト文革世代。この世代はネット世代とも共通し、ネット上にあふれる「毛沢東旗幟」「毛主席ネット」といった関連サイトを愛読している層でもある。
■「毛沢東旗幟」サイト上には「圧力あるところに抵抗あり」「全世界の無産階級者よ連合しよう」と標語がおどる。これはひょっとして、今の改革開放政策への挑戦?大手ポータルサイト新浪の掲示板には「毛主席と人民の前で、すべての汚職官吏と人民の敵をふるえあがらせてやろう」と、まるで階級闘争を呼びかけるようなセリフに「頂」(支持)のコメントがあつまる。「毛沢東信仰」の根底に、現政権への不満があるようだ。
■毛沢東の死で文革がおわり、改革開放に切り替わった後、中国にはものすごい貧富の差と、特権階級の拡大による汚職の拡大が発生。共産主義の理想はくずれ、厳然たる階級社会が現れた。かつて国の主役ともてはやされた農民、労働者は下層階級として、いまや搾取の対象だ。
■文革を青年期に経験した作家、閻連科さんは、知識人として文革は過ちだったと見ているが、「貧しい農民にとっては文革時代の記憶は決して悪いものではない」と認めている。
「なにせ、地主や金持ちをやっつけられたのだから」。
■文革期、少年だった作家、余華さんは文革の知識人迫害の凄まじい描写を含む小説「兄弟」を昨年発表したが、「子供に、文革ってなに?ときかれたら、長い夏休みみたいなものだ、と答えたね。学校にいかず、毎日がお祭りみたいにバカ騒ぎをずっと続けていたんだよ、とね」という。文革経験世代にとっても、必ずしも文革は悪夢ばかりではなかった。
■現状の生活に、熾火のような不満と不条理感覚を抱えている、農民や労働者、大学で党幹部子弟の横暴を目の当たりにしている苦学生、共産党の求心力を高めるための愛国教育をうけてきた若い世代のうつろな心に、毛沢東思想や毛沢東の掲げた理想が燎原のように広がったとしても不思議ではない。
■しかし、これは非常に、不穏なことではないか?先日のエントリーで宗教、とくにキリスト教が中国で広がっている状況を紹介したが、非公認キリストが現政権にとって脅威にうつるように、毛沢東個人崇拝もゆきすぎれば、現政権否定の動きにつながる、あなたがたのいうところの「邪教」になってしまうのでは?
■愛国教育に染まったのか、活きるすべとしていたしかたないとあきらめているのかはわからないが、チベット仏教僧侶の心までとらえる「毛沢東思想」。やはり、わかりやすさと魅力、求心力はある。一応、胡錦濤政権は、ことあるごとに毛沢東思想をかりて弱者救済、農村経済立て直しをかかげているが、現状が変わらねば、口先だけだと思われる。いつか、我こそは毛沢東の生まれ変わりと自称する若者が、「たて!飢えたる者たちよ」と叫び出したら、どうするよ?
■当局もやはり、毛沢東個人崇拝に不穏さは感じているのか、9日までの新聞やテレビの公式報道は抑え気味だった。工商総局はこのほど「国家指導者の肖像や詩を広告に使ってはならない」との通達を出し、レストラン、ホテルの毛沢東像撤去を命じるなど、毛沢東崇拝を抑えようとしているかに見えるうごきもある。そんなおふれが、逆にネット上では当局非難をよんでいるみたいだが。
■ちがうよ、中国よ、そんなことより、学問の自由だよ、言論の自由だよ、正しい歴史検証と歴史教育を行わなきゃ。と親中派記者は、老婆心ながらこんなエントリーを書いてしまうのである。
(新聞原稿をブログ用に改稿)
あまりにもショッキングなタイトルに驚きました。
なるほど、最近の「江沢民文選」再学習とか、もしかしたら毛沢東vs江沢民なのでしょうか。「死せる毛沢東、生ける胡錦濤を走らす」ですか、恐るべし。
最初のリンクが見れないようですが…
sakuratouさま:うーん、やはりタイトルかえましょうかね。真のチベット仏教信徒に失礼ですよね。
「階級闘争は、生産手段の私有が社会の基礎となっている階級社会において、階級と階級とのあいだで発生する。あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史 である」というのが、マルクス主義の定義です。
嘗てスターリンは「下部構造が上部構造を決定する」と喝破しましたが、社会主義的だろうがなかろうか、経済構造を市場経済に委ねれば、上部構造である政治組織は民主化するというのは必然なのです。
当然、現在の中国の政治組織が一朝一夕に民主化することはありません。激変をさけようとすれば、発展を続ける(ように見える)第二次産業に応分の負担をさせて、それを第一次産業の開発改良に投入するということが必要です。
どこかでやったことがある?そうです、我が国の高度成長期の政策がそうでした。本気半分で日本は社会主義国であるといわれた時代です。
ただ、中国で出来るかどうかとなると私は悲観的です。我が国には、社会的に先進技術を自らの血肉となしうる基盤がありましたが、低賃金だけを武器に外資を導入して経済発展を続けるという植民地経済では、先行きは暗いでしょう。
あ!タイトル変わってる。
しかし、文革世代の被害者も一方で加害者だったわけで、中国でもなかなか話を聞ける機会は少ないですよね。
weirdo31さま:よんでくださってありがとうございます。中国の場合、第二次産業が植民地経済の上、開発改良が必要な第一次産業の規模が大きすぎることが、ネックなんでしょうね。日本が劇的な円切り上げに耐え、高度経済成長を導いた背景は、「ものづくり国家」としての基盤がすでに揺るぎなかったことと、農業のGDPに占める割合が小さかったことだと、聞いています。中国自身は、日本の「自民党の事実上の一党独裁」や「日本流社会主義」をかなり真剣に研究しているときいたことがありますが、簡単にはまねできそうにないですよね。
sakuratou さま:被害者も加害者も、本当に直接関わった人は、話したがらないですね。
福島さま、
非常に興味深く読ませていただきました。一党独裁、資本主義の結合状態というのは、共産主義者のもっとも嫌う社会体制じゃあないでしょうか。それを維持するために、外に敵を作り、国民の士気を高揚させる。個人崇拝をさせ国民の意識を統一し、うちに悪人を作って弾劾する。大規模な事業をすすめ国民に誇りをもたせる。なんだか過去の歴史にあったような。ちょっと映画のお話とはずれてしまいましたが。
福島記者様
>中国自身は、日本の「自民党の事実上の一党独裁」や「日本流社会主義」をかなり真剣に研究しているときいたことがありますが、簡単にはまねできそうにないですよね。<
毛沢東の評判はどうも余りよくありませんが、あの時代にそれ以外の選択肢があっただろうか、と問いかけるとほとんど黙り込みますね。(これは大東亜戦争に突入せざるを得なかった我が国の開戦前についても同じ質問が出来ます)
毛沢東時代の是は是、非は非とした上で、現実主義路線を現執行部が取ることを期待しているのですが。ネックは軍部でしょうね。(似てますね)
「死せる毛沢東、生ける胡錦濤を走らす」 基のタイトルですか?
このほうがいいと思いますよ。
内容とあってると思います。
とてもおもしろい記事だと思いますよ。
私のイメージしているのは、ナチス、ヒットラー政権です。ドイツの軍部は、私の理解では、ヒットラーを歓迎していなかったと思いますが。中国の場合、共産党独裁政権には、何の期待も出来ません。崩壊あるのみ。
お絵かきじいさん さま:読んでくださってありがとうございます。毛沢東はスターリンとだぶります。本人も意識していたような。
weirdo31 さま:毛沢東を客観的に分析し、研究できる時代がくれば、政治改革もできると思うのです。ネックはやはり軍部だと思います。
ポコポコさま:このタイトルではないのですが、センスある見出しですね。今度、このタイトルで原稿かいてみようっと。
チベットとネパールはどうちがうの? チベットの事を聞くとネパールの名前を忘れ、ネパールのことを聞くとチベットの名前が浮かんで来ないわたしです。(「頂」が「支持」なのはどうして?)