チベットのあした③

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■年ぶりに外交部のプレスツアーで訪れたチベット。ラサで、8年前に一旅行者として来たときをふり返り、最初に気づいた大きな変化は、ポタラ宮付近にやたら軍人、公安が多い!ということだった。ラマ僧の袈裟姿よりも、警察の制服の方が目立つのだ。帰京後に聞いたのだが、ラサへの旅行者が増えたことで、ダライ・ラマの写真を持ち込んで配ったりする「不届きな旅行者」が増えて、警戒が厳しくなっているそうだ。外国人旅行者の入境許可書の審査もすごく厳しくなっている。実際、日本人留学生の友人が、この夏にチベット旅行に行こうと入境許可書を申請したら、拒否されたとか。

■さて今エントリーは、そのポタラ宮取材をふり返りたい。

■主のいない宮殿は、ただの観光名所に。
俗化するポタラ宮の悲哀

■初めてポタラ宮を訪れた8年前、その神秘的な雰囲気に圧倒された。ポタラ宮とその周辺は1994年に世界文化遺産に指定され、すでに観光地化されていたが、灯明の火がゆらゆら揺れ、酸化したバターの匂いが立ちこめる薄ぐらい宮殿内部は、観光客が自然と襟を正す気分になる厳粛さだった。灯明は、ろうそくではなく、ヤク牛(毛の長いチベット産の牛)のミルクから作ったバターを燃料としている。ひしめくほど多くの巡礼たちが殿内をまわり、厳かに持参したバターを、灯明にくべていた。その光景に、なるほどラサとは宗教都市、聖都なのだ、と実感させられた。

ポタラ宮の前には、人民広場みたいなのがある。中央政府が管理すると、ポタラ宮もただの文化財。

■ところが、今回、ポタラ宮を訪れたとき、その神秘的な雰囲気は、ずいぶんと薄れてしまったと感じた。まずバターの匂いがほとんどしなくなった。ポタラ宮管理処のチャンパ・クソン主任が説明するには「使うバターの品質を統一したから」だという。昔は巡礼者は自分がもってきたバターをくべていた。中には不純物の多い質の悪いバターもあり、宮殿内には強烈な匂いが充満していた。

■しかし、私が思うに、本当の理由は、巡礼者の入場が少なくなったからではないだろうか。ポタラ宮殿の入場者数は2003年5月から「文化財を守る」という理由で、一日2300人前後に制限されている。これは「巡礼者には当てはめられていない」というが、どうみても、巡礼者は減っている。

■そのことに関して、チャンパ主任は「巡礼者は冬に多い。一般に夏は観光客だけ」と説明した。だが、私が以前に訪れたときも夏だった。また主任は「ポタラ宮は宗教施設ではなく文化財だから」とも言った。だから、巡礼者はあまりこない、と。

■マルポリの丘の上にラサを見下ろす恰好で17世紀に建立されたポタラ宮は、ダライ・ラマの宮殿だ。建物の東の白宮は、歴代ダライ・ラマの居城だ。赤宮は、歴代ダライ・ラマの霊塔がある。ダライ・ラマはチベット仏教の最高位の活仏(仏の生まれ変わりの高僧)、つまり活きた仏様なのだから、その居住地と霊塔は本当なら宗教施設といっていい。だから「ラサ参り」と呼ばれる巡礼たちは、ジョカン寺など名刹を参拝したのち、このポタラ宮に参ったという。

■主任の言葉を反芻しながら、なるほど、それが1・7億元ほど投入して、この宮殿を修復しているわけか、と納得した。つまり、ポタラ宮を宗教施設からただの文化財にしてしまうのが狙いだったかと。

■ポタラ宮が宗教施設であれば、それを宗教施設たらしめるご本尊、つまりダライ・ラマ14世が帰ってこなければならない。また、管理する人間が宗教を否定する共産党員であることも矛盾する。チベット自治区では共産党員はチベット仏教の宗教行事に参加してはならない、という決まりがある。さらに、警備に人民解放軍の軍服姿が配置されているというのも、宗教色を薄める効果がある。

■チャンパ主任はバリバリの共産党員で、1989年、ラサ暴動の年に、今の職についた。その前は何をしていたのか?と問うと「映画をやっていた」という。党の宣伝担当であった、という解釈でまちがいないと思う。その彼が着任早々にやったことが、宮殿内の徹底捜査だった。本人は宝物関連の調査、というが、おそらくダライ・ラマ14世の痕跡の徹底排除ではなかったか。

■主任に「ダライ・ラマ14世についての、あなたの見方を教えてほしい」と聞くと、「私の仕事は、この文化財を火災から守ること。その重責で頭がいっぱいで、ダライ・ラマ14世のことなど考えたこともない」と答えた。その断言っぷりに、今のポタラ宮の主が、ダライ・ラマ14世であるという事実を完全否定しようとする中央政府の姿勢がかいま見えた。

■ポタラ宮参観をおえて外に出たところで、ラサ参りの僧侶にあった。「すっかり俗化して、残念だ」と彼は眉をひそめた。丘の上から見下ろすと、銀色の鉄橋、マッチ箱のように並んだ集合住宅、別荘…。確かに中国の地方都市とあまり変わらない街並みが広がっていた。

丘の上から見たラサの街。集合住宅みたいなのが並んでいて、中国の地方都市みたいだ。

■ところで、こういったチベットの変化を自治区政府はどう思っているのだろうか。
チベット自治区の?鵬副主席は記者会見で、こう答えている。「チベット解放より56年、チベットは経済、社会各方面で大きく発展しました。今日のチベットは民族団結、社会の調和、社会発展の非常に良い時期をむかえています」

 「去年のGDPは290億元、6年連続で12%台成長です。昨年は13・3%増となりました。ひとり当たり平均GDPは1万元を超え、農民の1人あたり平均収入は2435元にたっしました。去年の農民の収入増加率は17・2%で、この数十年来の最高です」

 「以前のチベット経済は中央政府が割り振った投資に頼るしかなかったのですが、青蔵鉄道の開通によって、経済の牽引構造がかわりました。投資、消費、貿易がすべて成長しました。でも、チベットの物価は2・6%増で全国平均の3・7%より低いんですよ」

■つまり、これは俗化ではなく、経済と社会の発展。人々の暮らしは豊かになってハッピーなのだ、といいたいわけだ。

■ダライ・ラマ14世については、ニマ・ツレン副主席はこう答えている。
「分裂主義反対、祖国統一の維持、民族団結の増強、これらはチベットの根本利益です。われわれチベット族の大部分は、共産党指導者の社会主義路線を指示しています。ただチベット族の中にも、(チベットを)封建農奴社会に戻そうとして、分裂闘争を行おうとする人たちは存在します。彼らは民族意識、宗教を利用して、中国の特色ある社会主義路線をひっくり返そうとしています。私たちの仕事は、こうした国家の安全を脅かす分裂主義者をとりしまることなんです」
(どうして、今年、とりわけ分裂主義の取り締まりが強化されているか、党大会や五輪と関係あるのか、というドイツ記者の質問に対し)
「重要なのは、亡命政府が依然存在することだ。そして彼らが少数の勢力を利用して、分裂活動をなお続けていることだ。問題はここです!」

■「もし、ダライ・ラマが本当にチベットの分裂主義を放棄し、チベット独立の立場を放棄するというなら、それは行動で示すべきです。しかし、その行動はめいない。ある地方では、彼の影響力は依然強いのです。去年の全人代で温家宝首相もいっていますが、彼が中央政府と本気で話し合おうというなら、我々は門戸を開いています。1964年から中央政府の立場はずっと同じです。つまり、一切の政治活動を停止し、独立の立場を放棄し、台湾が中国の一部であることを認める。」

「ダライ・ラマ14世が宗教指導者であることは認めます。これはまちがいない。ただ、彼はその前に政治屋です。中央政府は彼の宗教活動は許可していますよ。反対しているのは分裂・独立活動だけです」

「ダライ・ラマ14世の特使団は1979年より20回、ラサにきています。しかし、彼が要求するような、漢族と人民解放軍の撤退という条件は絶対にのめない。ダライ・ラマ側との対話に、目下、希望はありません」

■ニマ副主席によれば、①ダライ・ラマ14世は、封建農奴制復活をたくらんでおり、それに宗教と民族意識を利用している。②で、チベット族の多くは共産党の指導による今の中国の特色ある社会主義路線(なっちゃって資本主義)を支持して、ダライ・ラマ14世を支持しているのはほんの一部。④だけど、その影響力は侮れないから、分裂主義者の取り締まりは強化する。⑤でも、ダライ・ラマが宗教指導者であることを完全否定するのは、(信仰深いチベット族の怒りを買いそうで)まずいから、彼が宗教指導者だ、という点はみとめておこう。

という感じだ。

■この自治区政府が記者会見で明かにした公式見解は、チベット族一般庶民の見解と一致しているのだろうか?それを確かめるために、ラサとシガツェの街中で「暮らしはよくなった?」「ダライ・ラマ14世に帰ってきてほしいか?」とインタビューしてみた。

■バルコル街の土産物屋:「観光客が増えて、収入が増えたよ」「ダライ・ラマ14世のことを口にしたら、公安がくるぞ。今取り締まりがすごく厳しいんだ」。

ポタラ宮の旅行ガイド:「暮らしは前よりよくなりました」「私、政治的なことは何もいえません」
僧侶:「ラサは俗化した」「ダライ・ラマが帰ってくれば、よくなるだろう」

バルコルの土産物屋は毛沢東の肖像画が売っている。でも、ダライ・ラマ14世の肖像画をおいとくと、公安がくるのだそうだ。

■大人は中国語で話しかけると、警戒して、なかなか本音をいわないが、子供は正直だ。母親の病気治癒祈願で、ジョカン寺詣でに来ていた少女(7つ)に、ダライ・ラマ14世知っている?と聞くと、「知っているよ~」といって、胸に下げているダライ・ラマ14世の肖像画付きペンダントを、堂々と見せてくれた。尊敬している?「うん、お母さんもお父さんも崇拝しているよ」…。

■シガツェで出会った中学生の男の子(15)も、「ダライ・ラマ14世に帰ってきてほしい」。なぜ?「だって、みんな崇拝しているもん」。写真は持っている?「ううん。写真をもっていたら公安がくるから、ないよ」…。

■暮らしは、都市に限っていえば、少しずつ良くなっているのかもしれない。それは、肯定的に受け入れるひとたちも確かにいる。でも、信仰は別。やはり、多くのチベット族はダライ・ラマ14世の帰還を望んでいるようだ。そういう庶民の本音を、いつまでも公安の取り締まりという暴力で抑え込むことはできないと思うのだが。

■少なくとも、スポーツと平和の祭典五輪を来年開催しようという国のやり方ではない、と承知しておいたほうがいい。


信仰はチベット族の暮らしの基礎だ。否定することは決してできない。

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「チベットのあした③」への6件のフィードバック

  1. こんにちは。いつも生の情報ありがとうございます。
    今回の記事を拝見させていただきまして、チベットで迫害を受けた人たちの子供らがインドの施設で保護されている様子をネットで見てつらい思いをしたことが蘇ってきました。
    そして最近では、雪山越えをしている無防備のチベット人たちに対するむごい狙撃行為・・・
    確かに日本をも含む先進国にはそれぞれ根深くて深刻な問題がいろいろありますが、これほどまでに人の命を軽く扱っている国がオリンピック開催とは何とも言葉がありません。
    「これは中国の国内問題だから、あなたたちが言う問題ではありません」といつもの決まり文句言われそうですが。
    福島さんがお合いになられたチベットの子供たちが、少なくともこれ以上の迫害を受けずに、そしてできれば自由な考え・信仰を持つことができ、無事にすくすく育って羽ばたくことができるように祈りたいと思います。

  2. To nakashixさん
     子供たちは、素直に信仰を表明していました。おそらく、それは周囲の大人たちが、ダライ・ラマ14世への崇拝をうしなっていないからだと思います。でも、大人たちはそれを表だっていうことにものすごく恐れている。信じるものを、信じていると言えないのは厳しい環境だと思います。こういう厳しい環境で、将来の子供達がどうなっていくかは心配です。ちなみに、本当に信仰のあるひとはラサ詣でにいったあと、ダライ・ラマ14世のおわすところに、密出国で詣でにいくそうです。あのナンパラ峠の雪原で銃撃された巡礼者は、ダライ・ラマ詣出の途中だったんですね。亡命じゃないんですよ。〝本尊〝を詣でたいだけなんです。
     私は中国が五輪開催を期に、もう少し国際社会の良識をみにつけるというか、信仰や言論に寛容なたいどをとってくれるようになればいいとねがいます。

  3. こんにちわ。
    子供は正直ですね。読んでいたら、なんか日本のキリシタン狩りが浮かんでしまいました。1年後にオリンピックが開催される国とは思えません。
    それにしても、心のよりどころである信仰関まで、監視されるなんて、信じられない事実ですね。行き着くところはどこなんでしょう。
    ダライ・ラマを信じている子供達の未来はどうなっているのでしょうか。それが気にかかります。

  4. 宗教或いは文化への弾圧は、明らかに時代に逆行しています。というよりも、宗教と文化の多様性の持続は、人間の知性にとって欠くべからざる条件であると思います。
    また、これは個人的な意見ではありますが、中国政府が主張しているように見える「政教分離」は、世界中のあらゆる国において不可能ではないのでしょうか。宗教は政治に介入するべきでない、政治は宗教に介入するべきでない、ではイデオロギーと宗教の根本的な相違は何処にあるのでしょうか。
    いまだに毛沢東の写真をお土産で売っているというのは、全く理解できないところです。都内の某中華料理店に入った時に、店内に毛沢東の大きなポスターが張ってあるのを見たときは驚きました。
    いまだに中国の人々にとって、毛沢東という名前は、理性的な意味において有効であり続けているのでしょうか。

  5. 福島さん
    はじめまして!
    いつも楽しくブログを読んでいます。
    チベットの現状報告ありがとうございます。
    日本では、ほとんどチベットの負の部分をとりあげるマスコミがない中で、
    福島さんのブログは、ほんとうに頼もしいかぎりです。
    今回は、ぜひ私のチベット旅行での体験も聞いてもらいたくて
    コメントしました。
    私がチベットに初めて行ったのが、5年前の夏でした。
    バルコルでガイドブックを見ていたら、チベット人に石を投げられたり、
    (中国人と勘違いされてのこと、、、と勝手に思ってマス)
    宿にある売店で毎日リンゴ味アイスを買ってたら、
    お店のおじさんと仲良くなったが、
    ある日、なにげなく「謝々」と言ってしまったら、
    おじさんの顔色がすぐさま曇って、悲しそうな表情になったこと、
    シガツェで宿を探しているとき、友達が中国を話すことができるので、
    中国語で料金交渉をしたが、宿の人はいっさい中国語を話さず、
    英語でとおした、
    などなど
    チベット人の本心をみた気がした旅でした。
    ダライラマ14世も若くはありません。
    不謹慎かもしれませんが、お亡くなりになった後の
    ダライラマの転生の問題など、
    どうなるんだろうかと、気がきではありません。

  6. 中国の皆さん
    ポタラ宮へ行きたければ承徳へ行きなはれ!
    北京からなんとか日帰りで行けるし、ついでに頤和園っぽいのもありますよん。

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