北京五輪 100年の夢の跡に何がのこったか?

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■本当は25日にアップする予定だった、五輪総括エントリー。楽しかったね。予想に違わずつっこみどころ一杯の北京五輪でした。個人的に一番うけたのは、体操選手の年齢詐称疑惑について、中国人から極めてまじめに、「中国の地方によっては、実年齢に2~3歳を加える数え方をとるところがある」と説明を受けたことです。たとえば1月某日に生まれ、1ヶ月後に旧正月をむかえるとその時点で、2歳だそうです。本当に農村にはそういう習慣があるそうです。もともと、誕生日も不明で、戸籍のない子供もけっこういる世界ですからね。

■北京五輪 
つわものどもの夢のあと、には屍るいるい。
国際社会の批判の洗礼を受けて
この屍を乗り越えてゆくのだ!

■17日間の真夏の夜の夢が終わった。難癖をさんざんつけた北京五輪だが、正直、競技のさなかは、美しく鍛え抜かれたアスリートたちの熱戦に魅了され興奮した。陸上界を席巻したジャマイカ旋風や、日本女子ソフトボールの鬼神のような闘いぶり、半魚人フェルプス選手の8冠達成など、つくりものでないドラマは、これほど人の心をゆさぶる。五輪開幕式の視聴率が98%、閉幕式が80%以上。会場に足が運べた人は極めて限られていたが、多くの中国人たちがテレビにかじりついて熱狂したのだろう。

■だが、閉幕式で宋祖英とドミンゴのデュエットを聴いたとき、VIP観客席に、老いたかつての最高指導者の姿をみたとき、私は夢から目が覚めた。ああ、北京五輪は、やっぱり共産党の、共産党による、共産党のための五輪(権力者の権力者による権力者のための五輪)であると。莫大な財を投入し、膨大な人民を動員した今世紀最大のアトラクション。ある人が、こう指摘した。北京五輪をみていると、奴隷に闘わせ、皇帝の寵姫を彩りとし、皇帝の権力を国内外にしめすと同時に、市民に享楽を与えるサーカスとなす、古代ローマの剣闘競技を思い出す、と。

■農村からかき集めた子供たちをステートアマ体制で鍛えあげ、競わし、その闘いぶりで観客を熱狂させ、権力者の力を誇示し、民衆の求心力を高め、国威を示した。奴隷出身の剣闘士(グラディエーター)が勝ち上がれば、皇帝に謁見もできる天下の英雄とあがめられるように、貧しい出身の選手も金メダルをとれば国家の英雄の称号と富を与えられる。奴隷は自由のために、農民は貧困からの脱却のために、自らの肉体を鍛えいじめ抜いて勝たねばならないのである。奇しくもあの「鳥の巣」はコロシアムの形にも似ている、と。

■ローマ帝国の滅亡の背景にはコロシアム建造など、大量の土木工事および建造物の維持費がかさんだことによる財政疲弊もあったことをごぞんじだろうか。ローマ帝国を滅亡に導いたコロシアムをモデルにブリューゲルはかの有名な「バベルの塔」を描いたが、北京五輪の閉幕式でも「人間バベルの塔」が現れた。人がその分をこえて天にも届かんとする塔を築こうとして、神の怒りを誘ったという旧約聖書にある伝説の塔・バベル。だから、それがコロシアムににた鳥の巣の真ん中に現れたとき、いわくいいがたい予感にかられたのである。これは予言夢?総合演出を担当した張芸謀監督のブラックユーモア?

■中国新聞社によると、中国はこの7年、五輪ホストの北京市の都市インフラ整備に2800億元かけた。会場建設・拡張費用は総額130億元。うち「鳥の巣」建設は31億元。なんやかんやあわせると、日本円にして5兆円がかかった。ちなみに中国のGDPは2007年24兆6619億元(360兆円)。

■「鳥の巣」はじめ五輪用の建築物は普通の建物より維持費がかかる。鳥の巣だけで、メンテナンス維持費に年間5000万元(7億2500万円)かかる(第一財経日報によれば1億3000万元)。水立方は、屋内の気圧を一定にするために通常の3倍の電気がかかり、維持費に年4000万元前後(6億円)、という推計が報道されている。アテネ五輪の場合、30会場の維持費が年1億ユーロ(162億円)前後というから、アテネも傷は重いのだが、四川大地震の復興や、社会保障整備という重大任務をかかえる13億人口の自称・途上国にとって、その負債の重圧はいかばかりだろう?

■都市インフラ整備、環境整備は北京市民が恩恵を受けることになる。だから、少々金がかかるのも致し方なし、というのが当局側の言い分ではある。地下鉄はじめ交通インフラ整備はたしかに、渋滞を緩和し都市機能を高め、長い目でみれば経済発展に有利に働くであろう。

■だが、世界最高建設費の8億㌦がかかったCCTV新社屋はじめ、金ばかりかかり、必ずしも機能的とはいえない建築物はどうだろう?最高の溶接技術を必要とするCCTV新社屋は、鉄骨をつなぎ合わせる段階でずれが生じ、工期が大幅に遅れたという。五輪までに竣工という目標は達成できず、中身が出来ていない状況で表面のガラスタイルをはって、完成したように見せかけた。

■ある建築の専門家はいう。建築物というのは、工程に手順があり、その順番を変えるだけで、設計通りの強度が保てないことがある、と。こういう造り方をされたビルの耐震性などが心配である、と。ある市民は言う。どうせ五輪に間に合わないのなら、見栄などはらず普通のシンプルなビルにすれば良かったのだ。ずっと安価に機能的に安全なビルが造れ、なおかつ余った分の予算を、四川大地震の復興に寄付でもしたほうが、よっぽど公共の利益に合致する、と。CCTV新社屋は建物の重心が、建物の外にあるという前代未聞の構造物であり、その耐震性に疑問を呈する声も多い。

■五輪期間中、株価は11・8%さがった。下がったのは五輪とは直接関係のない、たとえば、非流通株流通化による株の大量放出への懸念や、企業業績悪化、インフレ懸念など、経済先行きへの不安が主要な原因だが、「五輪祝儀買い」がなかった、という事実は、株民8000万人の心情をあらわしている。彼らの多くにとって、五輪の夢よりも、現実に直面する危機の方が切実、ということだろう。胡錦濤国家主席もPRに訪れた人民日報運営の掲示板・強国論壇は、五輪の話題よりも圧倒的に株と不動産の急落の話題で盛り上がっていた。

■そういった経済の先行き不安や財政面の危うさを隠すかのように、ことさら絢爛におこなわれた北京五輪は、IOCのロゲ会長に「くらぶものなし」と言わしめたが、中身のできていないビルの表面にタイルをはり完成したかのようにみせかけのと同様、開幕式の口パク少女の歌声同様、良いところをつぎはぎし、完璧のようにみせかけるのと同様、「見せかけ五輪」「擬装五輪」ともいわれた。

■さらにいえば、五輪招致時に約束された人権、報道の自由拡大も、表面的につくろうばかりで、その本質は改善するどころか悪化した、という実感がある。デモ専用公園を3カ所もうけ、民主化の推進ぶりを標榜するかとおもえば、実は77件あったデモ申請をすべて却下するだけでなく、デモ申請者を逆に「社会秩序を乱す」として拘束した。一部のデモ申請者は期間中、北京から離れるよう命令された。ネットのアクセス禁止は確かに一部解除され、香港紙や台湾紙がネットで閲覧できた。たが、グーグルの用語検閲は、以前にもまして厳しくなり、使い続けるとIPアドレスの取得を拒否されることもしばしばだった。携帯電話の強制遮断は、信じられない多さだった。中国国内メディアは、五輪マイナス報道を禁ずるとの通達を受け、新華社に準じた報道を強いられた。外国記者の取材を歓迎するという建前とは裏腹に、取材妨害は激しくなり、五輪期間中30件以上の記者の一時拘束を含む取材妨害があった。「フリーチベット」の旗を掲げるなどした10人の外国人が拘束されたうえ、国外退去処分になった。

■列に並ぶといった文明的なマナーなど北京市民にのこした精神的遺産は大きい、と人民日報はうたったが、20数万の動員された市民による「文明拉拉隊(模範的チアリーダー)」の応援は、けっして文明的でなかった。タダ券で一等席を大量に占める拉拉隊の空気のよめない応援こそ、「スポーツ観戦」という楽しみを、真のファン、市民から取りあげた無礼・無粋な張本人だったといっていい。テニスの応援ではサーブのときに「加油!」とかけ声をかけるマナー違反を平気でやり、応援していた自国選手から「シャラップ!」ど怒鳴られるしまつ。しかも、応援側はその選手に逆ギレして、ネットでは罵詈雑言があふれた。

■胡錦濤国家主席は五輪開幕直前の記者会見で、五輪への莫大な投資は、「価値があった」、と高く評価した。だが、宴が終わって、夢からさめると、目の前には屍るいるい、荒涼とした風景が広がっている感覚である。金をかけて作り上げた街並みは張りぼてだし、労力を注いで育てた文明的マナーは付け焼き刃で、株も不動産も下がり続け、上半期だけで6・7万の中小企業が倒産する経済停滞がはじまりつつある。そして国際社会の目からも隠しようもなく露呈した少数民族問題、社会不満の深刻さ。

■五輪閉幕翌日の25日の人民日報はじめ、中央紙の見出しはみんな同じで、
「第29回オリンピック大会北京にて円満閉幕」
「より早く、より高く、より強く楽章をかなで、団結友誼和平絵巻を描いた」と
胡錦濤国家主席の写真つきで報じた。しかし、いち早く夢から覚めた庶民は、これをしらじらしく感じている。強国論壇のには、「まるで文化大革命のころの新聞」と揶揄する書き込みもあった。

■結局、五輪は中国になにをもたらしたのか。膨大な資金と労力を注ぎ、人民を動員し厳しい規制をしき、外国の要人と金持ちと共産党VIPに見せるためだけにお祭り騒ぎをし、合計100個のメダルを獲得しただけ、なのか。

■私はあるベテラン中国人記者に、率直に上記の考えをぶつけてみた。冷静で多様の見方のできる彼はこう答えている。

■「動員と規制の中で行われた五輪は、結局、中国に当初期待されたようなプラスの影響を与えられなかった。しかし、一党独裁の国家が行う五輪は、こうならざるを得なかったことは、はじめから人民も含めて皆、分かっていた。分かっていなかったのは国際社会だけである。

■ただ、中国共産党にとって良かったことは、自ら正しい、すばらしい、完璧だと思って、満を持して実行してきた五輪の準備と運営が、かくも国際社会から叩かれたことである。国内の人民は、党のやり方がおかしい、と思っても、逆らっても無駄という諦観もあり、党のやり方に対し面と向かって罵声を浴びせるものはいない。だが、国際社会には、一般の観光客から指導者にいたるまで批判の声があった。そのことは、中国の指導者にとってかなりショックであったと思われる。とくに、最初の大ショックは、聖火リレーの妨害だろう。

■正直、これほど短期間に、多様な批判を面と向かって受けた経験は初めてである。もし、五輪が中国にもたらしたものは何か、と問われれば、この面とむかった批判の洗礼の経験である。この経験は、すぐに中国を変えることはないだろうが、じわじわきいてきて、あとからみれば、やはり五輪は中国の自由化、民主化、国際化を推進した、と言われるようになるのではないか」

■国際社会からの批判を雨あられと受けた北京五輪。中国はその経験を糧とすることができるのだろうか。そして、夢の跡地に野ざらしになった諸問題に真摯に向き合うことができるのだろうか。北京五輪が中国にもたらしたものの価値は、そのときにやっと判明する。

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「北京五輪 100年の夢の跡に何がのこったか?」への76件のフィードバック

  1. おはようございます、福島様。
    北京オリンピックはすべて終わったような雰囲気ですが…すぐ後に控えるパラリンピックが終わって初めて「北京オリンピックは終わった」といえるのかと…
    パラリンピックで北京はどのような顔を見せてくれるのでしょうか?

  2.  
     私には、北京五輪が批判されたという認識がよくわからない。
     列挙されたような事実が北京五輪において問題視されたことは理解できますが、これらは、北京五輪の問題と言うべきでしょうか。
     つまり、北京五輪があろうが無かろうが、中国には、それらの問題が表面化するだけの政治的土壌があったとするならば、これは中国にとっては、あるいは共産党独裁政権体制にとっては、普遍的問題ではないでしょうか。
     列挙された問題は、すべて民主主義の未発達が原因だと言ってしまえば、乱暴でしょうが、そのような視点に立てば、現状批判もさることながら、現体制と民主主義との矛盾点を根源的に考えれば、至極当然の結果だと言えるかもしれません。
     
     

  3. おはようございます。
    >もし、五輪が中国にもたらしたものは何か、と問われれば、この面とむかった批判の洗礼の経験である。
    へえ~、このベテラン中国人記者はまともだ。日本にいる中国人の教授なんかより、よほど客観的にものをみている。

  4. 福島さん、素晴らしい総括、ありがとうございます。
    冒頭の「古代ローマの剣闘競技場」との比喩と最後のベテラン中国人記者の言葉がとても興味深いですね。ただ、私はベテラン中国人記者の期待はまた失望にかわるのではないかと、中国共産党は次の夢に向かって邁進するしかないと考えてしまいます。
    ところで、来月帰任されるとのこと。長らくの駐在ご苦労様でした。帰国されたらゆっくりリハビリされて、できれば五輪関係の新書を上梓されるこを期待しています。

  5. おはようございます。
    福島さんがいつも主観的だと主張している文章がBlog(福島さんのBlog)、MSN(産経ニュース)を通じて、中国に関心のある方々、関心がない方々の客観的な考えになっていると思っているのは僕だけでしょうか?

  6. お邪魔致します。
    中国という国は今後も様々な問題を引き起こすものと考えますが
    しかしその問題を経験させなければ、中国が真に成長する事が出来ないのだ
    と考えます。
    そのため日本を含めた国際社会は、中国が引き起こす問題を強く押え付ける
    というよりも、大事にならない様上手く経験させてやる事ではないのでしょ
    うか。
    話しは変わりますが、グラディエーターの例えは凄くいいと思いました。
    大変蘊蓄のある例えであったと考えます(かっこ良かった)。
    お邪魔致しました。

  7. おはようございます。福島様
    中国に対していつも批判的な考え方を持っていると思っているのは僕だけでしょうか。
    どんなことであっても批判するのは簡単です。
    自分の価値に合わないもの、嫌いなものを批判するのが人間の本性かもしれません。
    この世の中を生きていくうえ、嫌いなものもあれば、好きなものもあります。
    しかし、嫌いなものばかりに焦点を合わせていれば人間は幸せになるのでしょうか。
    国と国の付き合いも同然です。
    批判しかできない産経新聞にはたまに悲しく思ってしまうのは気の毒でしょうか。

  8. 福島様
    ひさしぶりにコメントをかかせていただきます。
    >しかし、一党独裁の国家が行う五輪は、こうならざるを得なかったことは、はじめから人民も含めて皆、分かっていた。
    この中国の記者さんのコメントですが、
    内陸部で北京から遠くはなれたところでは、どの程度、わかっているのか・・・・。
    わかるもわからないも、比べる対象がかれらにはないので。。。
    「中国は自由です。中国には言論の自由がある」とか彼らいうんです。
    「じゃ、たとえば○○省独立!って天安門広場で運動したらどうなる?高校の先生が社会の授業で政府の批判をしたら?」
    「警察に捕まります」
    「それって自由?」
    なかには自由がないことをしっていて、日本人に批判され脊髄反射で反論する中国人もいますが、本当に「自由がある」とおもっているんじゃないかなこの人って思うことも多いです。

  9. 日本の国際的イベントを思い出しますねえ。
    私は64年の東京オリンピックは憶えていませんが、70年の万博は憶えています。 祭りの終わった後というのは、盛り上った気分が一挙に霧消し、うら寂しいような、それでいて自信がついたような、複雑な気持ちでした。
    中国の人民もこれで、かなりの自信をつけたことでしょう。 ただ、外国を見るチャンスのない、何億もの一般人には、まだ中国の抱える問題点が見えていない。 今回の五輪で中国が受けた批判を、中国内で詳しく報道してくれれば、中国の民度もずいぶん国際水準に近付けると思うのですが、難しいでしょうね。
    maxmaverickさん、
    福島さんは中国の良い点も悪い点も分かった上で、問題点だけに批判的な眼を向けていると思いますよ。 相手に愛情がなければ、批判ではなくただの悪口になってしまいます。 その点、福島さんの記事は「悪口」ではなく、「批判」です。

  10. To nhatnhan625さん
    >「じゃ、たとえば○○省独立!って天安門広場で運動したらどうなる?高校の先生が社会の授業で政府の批判をしたら?」
    >「警察に捕まります」
    >「それって自由?」
    あはは、面白いですね。
    中国人は、「上に政策あれば、下に対策あり」とか、「お上の言うことはすぐ信じず、眉につばをつけて聞く」とよく言われます。
    「日本軍は3500万人の中国人を殺した!」という人に、
    「なぜそう思うの?」
    「学校でそう習った」
    「あなたは経済成長とか、物価指数とか、中国政府発表の統計を全部信じますか?」
    「それは信じられない」
    「日頃は政府発表をすぐ信じないのに、日本軍の蛮行だけは、すぐ政府の言うことを信じるのはなぜ?」
    「・・・・・」
    というやり取りを思い出しました。

  11. >個人的に一番うけたのは、体操選手の年齢詐称疑惑について、中国人から極めてまじめに、「中国の地方によっては、実年齢に2~3歳を加える数え方をとるところがある」と説明を受けたことです。たとえば1月某日に生まれ、一ヶ月後に旧正月を向けるとその時点で、2歳だそうです。本当に農村にはそういう習慣があるそうです。
    ご存知だと思いますが、中国にも旧暦と西暦の両方が存在します。
    旧暦ですと西暦より実年齢が上になります。
    外国へ行くと、みな一歳ぐらい若くなります、嬉しいことです。

  12. 福島香織様
     前回はお手数をかけて申し訳ありませんでした。
    > 個人的に一番うけたのは、体操選手の年齢詐称疑惑について、中国人から極めてまじめに、「中国の地方によっては、実年齢に2~3歳を加える数え方をとるところがある」と説明を受けたことです。たとえば1月某日に生まれ、一ヶ月後に旧正月を向けるとその時点で、2歳だそうです。本当に農村にはそういう習慣があるそうです。<
     「暦年齢(れきねんれい)」とは、“生まれた日を起点として、こよみの上で数えた年齢”をいい、満年齢と数え年/数え歳があり、「生活年齢」ともいうようですね。
     「数え年/数え歳(かぞえどし)」は、生まれた時点を「1歳」とし、以降元日(1月1日)を迎える毎に1歳加えるのに対し、「満年齢」は、誕生日前日の午後12時(24:00)に加齢するようですね。
     日本では古くから数え年が使われていたが、「年齢計算ニ関スル法律」(明治35年;1902年 法律第50号)」で、満年齢を使用することとなったが、一般には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年;1950年 法律第96号)」により、“国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない”と規定されたようですね。
     また、太陰暦と太陽暦の問題もあり、年齢の数え方は複雑なようですが、「オリンピック規則」ではどのように規定されているのでしょうか…。

  13. 年齢詐称のところでの説明ですが、数え年の年齢カウントですね。日本も1902年に法律で満年齢使用を決める前はすべてそうでした。東アジアに多く、韓国は今でも一般的とか。 戦後になって日本も満年齢が一般的になったそうです。 生れた時点で1歳、正月毎に1歳年齢が増えるから、大晦日に生れた子供は翌日元旦に2歳というわけですね。それはあんまりだから、数日後に生れたことにして届けを出す例が多かったらしいですけど。
    いまでも回忌は数え方式でカウントしますから、没後2年目に3回忌をします。七五三、還暦、古希等も数え方式が本式といわれています。ちなみに昭和24年生れの人は、今年の正月で還暦ですが、満年齢だと来年の誕生日が還暦です。
    支那の女の子だし、誕生に親が無関心で数え年齢のまま育ち、出生届も数年後であれば1-2歳実年齢と違うパスポート持っていても不思議じゃないです。 日本だって、ある程度の年齢に育ってから出生届出したようなことはあったようですしね。

  14. 福島香織様
    北京での最後の書き込みでしょうか?
    愉しく読ませて頂いてます。
    「バベルの塔」とは面白い、まさに言い得て妙です。
    そういえば開会式にも訳のわからない巨大円柱が何本か立ってましたが、あの辺りから韻を含んでたのでしょうか。
    グラディエーターとしては今回の「ラッセル・クロウ」は、為末選手かな。
    おそらくいろんな犠牲を払ったろうにボロボロなっちゃって、挙げ句に4X400にも引っ張り出されて。(一人だけユニフォームが違ってた)
    最後には解き放たれたような笑顔は見せてましたが。。。。
    これからの人生、円谷選手みたいな道だけは選んでほしくないものです。

  15. 宋祖英とドミンゴのデュエットで、福島さんだけではなくわたしも現実に引き戻されました。それまでは、演出にああだこうだ言いつつもそれなりに楽しんで見ていましたが、ドミンゴの全然合わない口パクと宋祖英のピッタリあった口パクを見て、英国メディアに「偽装五輪」と揶揄された実態を改めて思い知らされました。また、宋祖英は江沢民の愛人という噂のある女性だということを、一緒に見ていた台湾人の友人に聞かされ、これじゃ単なる権力者のためのショーじゃないかと、大いに幻滅させられたものです。
    しかし、選手のパフォーマンスは掛け値なしに素晴らしく、オリンピック期間中はテレビ中継に釘付けでした。こうした主役たる選手の活躍が、脇役たる政治の事情で汚されるような気がし、残念でなりません。

  16. 2回目です。
    満年齢と数えの違いを説明されているかたがいますが、
    福島さんがうけたところはそこなんでしょうか?
    数え年齢のことを「まじめに説明」して、満年齢が規定に達してないのを図らずも認めているような部分をおもしいとわたしはおもったんですが。。。。

  17. 福島記者、お久しぶりです。
     うーん、読ませる記事でしたね。次の文言に、ハタと膝を打ち…。
    >ああ、北京五輪は、やっぱり共産党の、共産党による、共産党のための五輪(権力者の権力者による権力者のための五輪)であると。<
    >宴が終わって、夢からさめると、目の前には屍るいるい、荒涼とした風景が広がっている…。<
     そしてまた、中国人記者の正直な感想…。
    >中国共産党にとって良かったことは、…五輪の準備と運営が、かくも国際社会から叩かれたことである。<
     まあ、あと百年経っても中国という国の本質は変わらないでしょうが、でも何かが(表面的に)ジワリと効いてくるような気もします。それが何だかわかりませんが…。日本への、悪い側の波及は何としてでも避けたいものです。
     あと一月もすれば、東京勤務ですか。ご苦労様でした。東京においても、福島記者独特の切り口で続けてください。

  18. 分かり易くてとても助かります。
    結局、北京五輪は中国があらためて発信した「大国宣言」なんでしょうね。
    政治力と軍事力は従来から認められていたものの、文化・経済で後塵を拝していた従来の評価から、完全に訣別したかったのだと思います。
    ある意味、大国だなと認識されたでしょうが、いまだ古代国家の域から脱することが出来ない、異質な世界と言うメッセージも発信してしまったように感じました。
    北京五輪の感想でした。

  19. エントリーと外れますが…。
    福島さんが書き込み二回ルールを導入して四日経ちました。いや~、随分読みやすくなりましたね~。
    書き込む方も「考えた投稿」をするようになり、大正解だと思います。よかった、よかった(^^)。

  20. こんばんわ。
    これからの中国に注目だと思います。
    北京オリンピックは、オリンピック史上、良くも悪くも、印象に残ると思います。ちょっと、閉会式の祭典はもういいかなって感じはしましたが。

  21. 私の田舎では例えば「○○さんは子(ね)年生まれだから数えで□□歳」という言いかたを良くします。
    東アジア限定ですが、相手の年齢をごまかされずに知るには(何気なく)生まれ年の干支を聞くと良いらしいですね。
    ところで、開会式で漢族に少数民族のコスプレをさせた一件がありましたが、なぜ本物の少数民族を動員しなかった(動員できなかった)のか疑問です。

  22. 福島香織様、こんにちは。
    私は開会式最初20分ほど見て、これは自国民向けだと感じ馬鹿らしくなって後は見てません。閉会式は全部見ました。閉会式の途中で私も、古代ローマ帝国のコロセウムでの剣闘士の戦いを観ている皇帝の姿をを脳裏に浮かべていました。まさに仰る通りだと思います。
    これぞ「OF・BY・FOR THE 中国共産党」のオリンピックでした。
    オリンピックに駆り出された民衆は笑顔を振りまいていましたが、全員無理矢理の笑顔だった。自国内の有名芸能人達は突っ立った儘で、何となく上から目線でした、がその中でジャッキーチェンの笑顔だけは本当に楽しそうでしたねぇ~。サービスの何たるかを知らないお国柄では仕方ないかも・・・。
    イヤ相当に辛辣な総括でしたが、私には福島さんって本当は中国が好きなんだなぁと感じましたよ。

  23. 福島記者、
    >四川大地震の復興や、社会保障整備という重大任務をかかえる13億人口
    >の自称・途上国にとって、その負債の重圧はいかばかりだろう?
    >彼らの多くにとって、五輪の夢よりも、現実に直面する危機の方が身近、
    >ということだろう。胡錦濤国家主席もPRに訪れた人民日報運営の掲示板・
    >強国論壇は、五輪の話題よりも圧倒的に株と不動産の急落の話題で盛り上
    >がっていた。
    もし、オバマ氏が大統領になったらクリントン前大統領のように日本をいじめまくって米国の経済体制立て直しのための資金調達をし、ついでに北朝鮮への態度が和らいで、中国に対して積極的に「お近づき」するのだろうと勝手に予想しているのですが、その時に資金繰りが必要とされる中国の米国に対する、そしてこれまで様々な形で経済支援をしてきた日本に対する態度がどう転じるのか興味深々なのですが、福島記者はどう思われますか?

  24. 福島様
    大変失礼なことを言いますけれども、該当記事への皆様のコメント内容からこれもまさか洗脳?と思っちゃいます。(洗脳 0を1だと考えさせる、または0から1を教える と自分勝手に定義)
    記者として、真実はそのまま、個人の感想は語らないのが本業だと思っていました。福島さんのBLOGで言うのもおかしいんですけれども、この内容がそのままニュースとして、皆様が読んでらっしゃるわけです。
    それでも、あくまで個人の考え方だけだと言えますでしょうか?

  25. おひさしぶりです。
    今回のブログなかなか良かったです。
    なんというか、本当に上手いフルコースをいただいた感じですね。

  26. To naruhodo1979さん
    昔、ある上司から問われたことがあります。人は何のために新聞を読みたがると思う?と。そりゃ、ニュースを知りたいからでしょう?と私は答えました。しかし彼はこう答えました。「いや、安心したいからだよ」と。
     そのニュースを知っているということ、そのニュースに対し、自分が感じていること、思ったことが、他の人と同じなのかどうか、を確認することで、安心したい。一つの現象があり、それに対する自分の考えは、世論の中のどの位置にあるのか、異端なのか主流なのか。新聞というのは、ニュース(現象)に対するものの考え方を示す、そういう役割もあります。新聞を読む人は、その考えが共有できたことで安心感を得る。産経の考え方を読んで、安心出来る人は産経新聞の読者となり、朝日の考え方で安心できる人は朝日の読者となる、ということです。
     一般に、新聞の考え方、オピニオンはベテランの論説委員級の記者や学者、専門家らが示します。しかし、当然のことながら取材記者ひとりひとりにオピニオンがあるわけです。記者ブログというのは、専門家や論説委員だけでなく、普通の記者もオピニオンを発表する場を与えてやろう、という産経新聞の新しい試みであります。iza読者の多くも、自分の考え方をもって、ここに来ているわけで、そのとき、お、福島さんも、自分と同じようなことを考えていたな、と思って安心する方もいれば、違和感を覚えて不愉快になられる方もいるわけです。
     一般に、安心するために新聞を読む方が多いわけですから、izaにも似たような考えの方が集まる傾向があります。しかし、その考え方がすべてでないのは当然です。新聞は多くの読者を獲得しようと努力するので、より多くの人に受け入れられるオピニオンを提示しようとします。その意味で新聞に提示されるオピニオンは、かなり常識的な一般化したものだと思います。一方、記者ブログは、新聞の売上げに直接つながるものではないので、もうすこし、個人的で自由な、ときに過激なオピニオンを提示できる空間だと認識しています。すでに2回分のコメントを使われたみたいなので、このコメントに対するご意見、お返事はご自身のブログにお書きください。うかがいますので。

  27. 今晩は。初めてここに書き込みします。
     今回の北京オリンピック総括面白く読みました。
     また、後段の「新聞は安心するため読む。」も「ああ、そういう読み方もあるよなあ。」と同感しました。私は様々なブログを訪問しますが、やはり自分の考えに近いブログをお気に入りとして定期的に訪問しています。その心理の一端に「同じ考え、同じ感じ方の人がいる。」と喜んだり安心したりするする自分がいますから。
     初の訪問でしたが、これからちょこちょこ過去ブログを読ませていただきます。楽しみです。
     それと、北京駐在は終わりのようですね。ご無事の帰国おめでとうございます。

  28. こんばんは。
    北京五輪総括、楽しく、又色々考えさせられました。
    私自身は、共産主義でありながら市場経済を導入し成長著しく五輪も立派にやり遂げた中国、と云うよりも、やはり支那人は支那人・・そんな感じです。支那人と共産主義を、見方によっては全世界に“宣伝・喧伝”したのも今大会であると思っています。それが最たる目的だったのでしょうが、悪い面が目立ち過ぎましたね。そこには中共政府の驕りと、全体主義やその他諸々がよく見て取れます。
    エントリ後半に中国人記者の方のお話がありましたが、よく見ていると思います。ただそれが何年後になるか何十年後になるか・・・誰も予想はつきませんね。かの国は古代より権力闘争の国でもある訳ですから。

  29. 中国人の板でやり玉にあがっていた産経の下記記事。
    ウラは獲れているのでしょうか?
    北京五輪の閉会式。会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)では、猛烈な暑さの中、多くが動員されたとみられる9万人の観客が一体となって、国の威信をかけた大イベントの終わりを演出していた。
    http://sankei.jp.msn.com/world/china/080825/chn0808252002006-n1.htm

  30. 「安心の為に新聞を読む」
    なるほど目から鱗ですね
    新聞読むほど違和感を感じるわけですね
    やっと原因が解った気がします
    日経新聞に落ち着いたわけだ
    では人民日報も同じなのでしょうか
    それとも違うのでしょうか其処が気にかかる

  31. 胡氏がハッパを懸けて以来
    人民網など日本語サイトは日本の読者を意識した
    内容になってます
    福島記者の書かれてるメディア論を踏襲している
    のでしょうか?
    学校で習った新聞の読み方は
    一つの事件に対する複数の新聞記事を比較し
    新聞の世論誘導の操作を検証しろ
    でした
    今の学校ではその様に教えないのか?
    izaブログはこの面で非常にいい教材だと思っています
    その意味でも楽しませてもらっています
    ありがとうございます

  32.  私は、読者が、安心を求めて新聞を読んでいると思ったことはありません。
     それは、新聞業界全体の共通認識でしょうか。
     私的見解を根拠に、論を展開すれば、結論が恣意的と見られてもやむを得ないでしょう。
     私は、公的報道機関の使命は、事実、真実の客観報道だと思っています。そして、それが日本の報道機関の共通認識だとも思っています。
     だからこそ、新聞の再販制度や、テレビの放送権や、記者クラブ制度等の特権がが認められているのではないでしょうか。
     それに伴う、社説や意見は、報道の使命とは別のものでしょう。
     昔の新聞は、報道の部分と意見の部分が鮮明に分かれていたと思いますが、最近の報道は、事実に加えて、推測、憶測が加味されている分、恣意的報道になっているようです。
     もしも、日本の報道機関も、何を書こうとも自由だと言うのであれば、公的報道機関としての特権をすべて返上し、日本には公的報道機関はないと宣言すべきですね。
     
     阿比留さんもそうですが、ブログにおける自身の立場を、フリーのジャーナリストや評論家と同じと考えているフシがあります。すべて自己責任だと。
     しかし、あなたがたは、産経新聞記者として、公的報道機関の一員としてブログを開設しているわけです。
     そのブログにおいて、読者に影響を与えるような主張を繰り返せば、世論誘導ということにはならないでしょうか。それとも、結果として、世論誘導であってもかまわないと考えますか。
     あるいは、それは読者の問題だと言いますか。
     私は、記者ブログが、時に、主観が過ぎてもやむを得ないと思っていますが、同じテーマを繰り返し取り上げ、同じ論を展開し、読者を誘い込むような行為は、公的機関の一員として、避けるべきだと思っています。
     もっとも、産経新聞は、公的報道機関ではないと考えているのであれば、かみ合わないでしょうから、どうしようもありませんが。

  33. To 鈴木 茂さん
    今やニュースはかなり詳細にその日のうちに世界を駆けめぐる時代です。その翌日にしか手にとれない新聞に、客観的事実報道しか掲載されていないとしたら、読者は買うでしょうか?
     新聞を作る側は、常にどうすれば売れるか、ということを考えて作っています。当たり前ですが。よほどの特ダネでないかぎり、客観的事実というのはテレビやネットですでに知れ渡っており、多くの人たちが、その日のうちにその問題について個人的に思ったことをいいあったり、腹をたててみたり、同情したり、しているわけです。翌日に手にとる新聞は、その感情の受け皿になるようなものであればいい、と私は思います。そういうものであれば、一日遅れのニュースも代金を払って買ってもらえるのではないか、ということです。10年以上前から危ういと言われている新聞が生き残る一つの方法が、オピニオンペーパーという道であり、多様の見方の提示ではないかというのが、今の産経新聞が試行錯誤していることだと思います。鈴木さんは、主観の入った記事をメディアが載せることで世論誘導を心配されているようですが、日本の場合、いくつものメディアがそれなりの部数で拮抗し、一つの新聞に主観的記事がのったからといって世論誘導を心配するほどのことではないのでは。もし、その主観的記事が、多くの読者の支持を得たとしたら、それは主観的なのではなく、ひとつの世論を代表する公正なオピニオンとなるのではないでしょうか。現場の記者の主観は、取材対象にもっとも近いところで見ている人間の一つのものの見方であり、自分の言いたいことを好き放題言っている、と切って捨てるのはもったいなくないですか。聞いてみる価値はまったくないと思いますか。

  34. >その主観的記事が、多くの読者の支持を得たとしたら、それは主観的なのではなく、ひとつの世論を代表する公正なオピニオンとなるのではないでしょうか。現場の記者の主観は、取材対象にもっとも近いところで見ている人間の一つのものの見方であり、自分の言いたいことを好き放題言っている、と切って捨てるのはもったいなくないですか。聞いてみる価値はまったくないと思いますか。
    「9万人の多くは動員されている」というのも、客観的事実であるというウラがとれたものでは必ずしもなく、現場の記者の主観的見方ということなのか?
    北京五輪の閉会式。会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)では、猛烈な暑さの中、多くが動員されたとみられる9万人の観客が一体となって、国の威信をかけた大イベントの終わりを演出していた。
    http://sankei.jp.msn.com/world/china/080825/chn0808252002006-n1.htm

  35. 福島様、
    色々な意味で、お疲れ様でした。
    鈴木の「まだら馬鹿」は、もうこの時間はかなり眠いので、
    馬鹿のまだら模様が縦横になっています。お気になさらぬよう(笑)。
    オピニオンに関するお考え、支持いたします。
    拙ブログでも、同じような結論が纏まってきた気配です。
    ご帰国され、もし大阪勤務にでもなれば、面白い所をご案内いたします。
    (決して、抜け駆けで口説いているのではありませんよ、皆様)
    お休みなさい。

  36. 何年駐在したか知りませんが、総括がこれですか。
    富坂聰さんのほうが百倍いい仕事してるよ。日本にいるのにね。
    あと「9万人動員」の記事について福島さんは答えてよ。
    中国・北朝鮮関連の報道は容易にウラがとれないのをいいことに
    デマ、誤報、意図的な情報操作が多いけど、中国報道に関して
    先鞭をつけたのは間違いなくサンケイだろうね。
    >たが、グーグルの用語検閲は、以前にもまして厳しくなり、
    >使い続けるとIPアドレスの取得を拒否されることもしばしば
    >だった。
    これも嘘?
    五輪期間中、北京にいましたが、市内中心部・スタバ・ホテル。
    3つの無料無線LANですべてグーグルで芳ばしいキーワードがヒットして、リンク先も見れましたよ。取材不足では?
    まだウイグルで体張ってるぶん、野口記者のほうがマシだよ。
    ま、帰国して政治部配属になったら嫌中議員と仲良くして、
    チャンネル桜にでも出て、中国キライキライ本でも出して
    印税稼いでください。おっと、印税の件はタブーでしたっけ?笑)

  37. 福島香織様
     将に、自国が世界の中心であり、その文化・思想が最も価値のあるものであると自負する考え方を保有し、王道政治の理想を実現したと思い込んだ自民族の誇りが、自国史における外国からの政治的危機に際して、しばしば熾烈な排外思想として表面化する習性を保持する民族(いわいる「中華思想を保持する漢民族」)に相応しいように開催したオリンピックと言えるのでしょうか…。
     然し、オリンピックに対する多くの率直な批判は、中国が大きく変革する因縁になると思います。
     余談ですが、日蓮聖人の御書に「此の法門を申すに必ず魔出来すべし魔競わずは正法と知るべからず、(天台摩訶止観の)第五の巻云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を妨ぐ』等云々」、「凡夫が仏(絶対的に自由な境地)になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障りいできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」とも示されています。
     つまり、何か行為をすれば、それに不具合・不都合・不快を感ずる人は、何だかんだと必ず文句をつけてくるものであるが、「批判・誹謗」を受けるということは、「反省(自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考え 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること)」の機会を与えられたことになり、有り難いことだと感謝すべきだが、文句が出ないような行為は、世界(宇宙における時間的・空間的な流れの一区切り)において、他に対する効力・影響がなく、大して役に立たない知るべきだという戒めだろうと、私は理解しております。

  38. 観客応援のヤラセを暴いて欲しかった。
    応援グッズ入りの「福袋」を座席に配り中国応援の道具で外国人にも中国応援を強要した事実など・・・。
    あれだけ中国一色に秘密を・・・。

  39. To 鈴木 茂さん
    >
    > 昔の新聞は、報道の部分と意見の部分が鮮明に分かれていたと思いますが、最近の報道は、事実に加えて、推測、憶測が加味されている分、恣意的報道になっているようです。
    同感です。
    ここであなたのような冷静な日本人がいらっしゃることにびっくりしました。流れに流されなく自分の考えをしっかり持ている日本人がいることを発見しました。とかった。
    > しかし、あなたがたは、産経新聞記者として、公的報道機関の一員としてブログを開設しているわけです。
    > そのブログにおいて、読者に影響を与えるような主張を繰り返せば、世論誘導ということにはならないでしょうか。それとも、結果として、世論誘導であってもかまわないと考えますか。
    同感です。自分の人気、またはブログの人気を集めるためにやっている行為なら記者としてどうでしょうね。
    > 私は、記者ブログが、時に、主観が過ぎてもやむを得ないと思っていますが、同じテーマを繰り返し取り上げ、同じ論を展開し、読者を誘い込むような行為は、公的機関の一員として、避けるべきだと思っています。
    >
    > もっとも、産経新聞は、公的報道機関ではないと考えているのであれば、かみ合わないでしょうから、どうしようもありませんが。
    すばらしい発言です。自分がかきたいけど、うまく表現できないところを全部書いていただきありがとうございます。

  40. To 福島香織さん
    貴女の意見に深く同意いたします。
    真実などというものは神のみぞ知る範疇であり、真実を報道している新聞社があればご教授願いたいとおもうくらいです。聖教新聞?(これは仏か?)報道機関は見聞きした事実を主観的を交えて報道する。読者はそれを自らの価値観により取捨選択する。それでよいのかと思います。

  41. To guizisunさん
    その記事については、筆者に直接、聞かれてはいかがですか?産経読者サービス経由で、執筆者に伝えてくれます。

  42. To agwzさん
     ワード検閲の制度が場所によって、またパソコンによって違うのは確かですが、私の場合は、チベット関連、人権関連は一度アクセスすると、すぐシャットダウンして、その後、しばらくすべてのネットアクセスが禁じられました。自宅のネットは、ニューヨークの人権団体のメールを開いたらしばらく、すべてのネットのアクセスが自動的に禁止になる状況となりました。五輪前はここまで厳しくありませんでした。携帯電話は1分に1度くらいの割合で強制遮断されました。ここまで激しい妨害は五輪前にはありませんでした。私は毎日パソコンをつかい、ネットをつないでおりますが、その毎日の経験の中で、五輪期間中は厳しかったと実感しております。外国人記者クラブも、そのように報告していたかと思いますが。

  43. To Cosplayさん
    >To 福島香織さん
    >
    >姫マスタとは言え、ルールを守りなさい。
    >どうしても、遣りたければ、新たにエントリをしなさい
    >
    同じ中国人ですが、あなたの言葉をみると本当に違和感があります。単に言葉の問題ではなく、言い方をもうすこし友好的にしてほしい。「、、、なさい」、福島さんに命令するのではなく、お願いという形にしてください。ここは福島さんのブログだからね。

  44. To Cosplayさん
     もうしわけありません。これは私のブログなので、私のコメントについては、この制限ルールは関係ないと思っています。もっとも、読者の方々も、福島も2回にコメントを抑えるべきだと思われるなら、その意見に従います。

  45. 福島香織 様
    はじめまして!いつも楽しく拝読させていただいております。有難うございます。
    貴方はこのブログの主人なのですから、自宅軟禁でもあるまいし、我が家の庭は堂々と自由に闊歩されても良いのではないでしょうか?
    「居候三杯目にはそっと出し」の川柳もありますが、3回目はルール違反なのを承知の上で、敢えて投稿してくる方の精神構造を疑ってしまいます。
    さて残りの一回は、もしもの時の反論の為にとっておくことにします。

  46. To 福島香織さん
    >To Cosplayさん
    >
    > もうしわけありません。これは私のブログなので、私のコメントについては、この制限ルールは関係ないと思っています。
    全く問題ありませんよ。Cosplayは何を勘違いしているのか、大体ブログ主に対して言う言葉じゃない。常識知らず礼儀知らずな支那人はうっちゃって下さい。

  47.  ブログ主は自分のブログを管理・運営しなければなりません。言い換えると、自分で魅力あるブログを作らないと訪問者も少なくなるという事。そこに、自分で自分の手足をしばって思うようなブログが作れるでしょうか。えすから、福島様にはコメント回数などの制約はなしで当たり前です。
     私自身は、2回という猶予すらなくてもいいと思っています。強い言い方ですが、ブログ主が「このコメントは自分のブログにはふさわしくない。」と思ったら即削除。それが行き過ぎると、そのブログを訪問する人が減ってくるというお返しがある。それでいいんじゃないでしょうか。
     訪問者は、気に入らなければ来なければいいだけのこと。コメント欄にあらしまがいの事をされては他の訪問者が迷惑です。
                             (2回目)

  48. このブログが小学生ブログみたいになってしまったことを悲しく思います。
    くだらぬブログ荒らしが二、三匹出てきて、一般の読者を不快にさせるもんで、福島記者もコメント2回までOK牧場!なんて、小学生の遠足でバナナが果物かお菓子か的な話に発展してしまっています。何とも変な感じです。
    ともあれ、北京オリンピック5回観戦してきました。全体的な印象は、本能丸出しの中国人は、良く列に並び、良く微笑んでがんばったぞ!と言いたいです。詳しくは、私のブログにも書きましたが、今度はパラリンピックを応援に行きます。パラリンピックの応援こそが、国のレベルが出ると思います。日本加油!

  49. 福島さん
    又もすばらしいブログエントリー(本紙記事)を有り難うございました。貴女の書き語りはいつも歯切れよく、リズミカルですばらしいのですが、特に今回の総括は本当にすばらしかったです。 
    今回、中共への批判は当然の帰結ではありますが、もう一方の当事者であるIOCへの批判がメディア全体でも目につかないのが不思議です。ある意味ではIOCこそがあらゆる戒厳令五輪問題の原点であったのではないでしょうか。
    以前、IOC国際組織の腐敗と社交クラブ化と、五輪憲章を蔑ろにした「商売団体化」からの組織改革が強く叫ばれた時期がありましたが、今回の戒厳令五輪でそれも全く改革されていなかったことが露呈したように思います。
    もうすぐ帰国なされるのですね。後もう少し、お身体を大切にご帰国下さい。お待ちしています。

  50. 初めてコメントさしていただきます。第一線の情報が満載、そして一刀両断で面白い内容をいつも拝見させてもらっています。ただし今回の北京五輪の総括で「北京五輪をみていると、奴隷に闘わせ、皇帝の寵姫を彩りとし、皇帝の権力を国内外にしめすと同時に、市民に享楽を与えるサーカスとなす、古代ローマの剣闘競技を思い出す、と。」との結論にはガッカリさせられました。
    今の中国には問題点が山積していることは承知していますが、簡単にこんな総括が出来るのでしょうか。どこかで「中国が好きだからこそ厳しい批判もする」というような内容を書いていらっっしゃった事があったと思いましたが、そんな内容も白々しく感じた次第です。
    確か産経新聞の北京五輪の報道の基本方針は、「中国が五輪を開催するのに相応しい国かどうかを検証することにある」と聞いています。東京五輪開催の時に他の先進国のメディアがこんな観点から報道していたら、日本人はどう感じたでしょうか。ソウル五輪の時も同じような方針を取ったのでしょうか。もしインドが五輪を開催する時にも、同じような方針を取るのでしょうか。
    問題点を指摘することは、大いに必要なことですが、「相応しい国かどうかを検証する」という考え方は、大変おこがましい態度のような気がします。
    これはあくまで福島さん個人のブログですから、会社の方針に沿ったものではないとおっしゃるかもしれませんが、今回の北京五輪の総括を読むと似たような内容になっているので、ひと言申し上げる次第です。
    なお「口パク事件」は、プロデュースをした人が映画監督で、映画と同じ手法で企画してしまった、五輪開会式の手法としては相応しくないという認識に欠けていただけだと思います。

  51. To 福島香織さん
    >To naruhodo1979さん
    > 昔、ある上司から問われたことがあります。人は何のために新聞を読みたがると思う?と。そりゃ、ニュースを知りたいからでしょう?と私は答えました。しかし彼はこう答えました。「いや、安心したいからだよ」と。
    >
    Cass Sunstein「インタネットは民主主義の敵か」を見ると、カスタマイズ可能なネットメディアのほうが、「公器」を謳う新聞以上に「安心」を求める人たちが集まりやすく、さらには似たような意見の人ばかりが集まるものだから、異見の排除が進み、主張が過激になりやすい、うんぬん。ネット社会のなかでは新聞のようなメジャーメディアでさえ、「公器」なんて言ってられないのかも知れませんね。
    でも、新聞記者さんが「読者は安心を求めてる」って言ってしまうのは、相当なニヒリズムですよ。いいのかなぁ?

  52. To nakamuraさん
    欧米メディアの中にはもっと辛辣な批判がありました。過去いろいろな五輪があり、五輪とはなんぞや、という議論が相当かわされた今だからこそ、北京五輪もいろいろ言われるのだと思います。おそらくはかつての東京五輪時代と、五輪を行う意味は相当かわっているのではないでしょうか。かりに2016年に東京五輪を行うことになって、かつての東京五輪と同様のコンセプトや北京五輪と同様のコンセプトで行えば、私は国際社会からばかにされると思いますけれどね。
     知り合いの中国記者の指摘によると、五輪とは、中国にとってWTOと同じようなものらしいです。つまり国際ルールに従うことへの表明です。しかしながら、国際ルールにすぐになじむのは難しく、WTOにおいても、そうとうの悶着がありました。というか今もあります。五輪というのは五輪準備の7年間を含めて、そういう国際ルールにどれほど近づいたか、その最後の試験のようなものであったかと、みています。WTO加盟時と同様、五輪招致時にも中国はいくつか、公約を掲げており、その公約が守られたかどうか、ということも含めて。そのジャッジを、いくつかの国、いくつかのメディアが表明しているので、新体操やシンクロのジャッジ同様、一番低いジャッジと一番高いジャッジをのぞいて、中間のジャッジを平均すれば、きっと北京五輪の全体像がつかめると思います。どうか産経新聞や当ブログだけをお読みになって、それがすべて、と判断されないように。ちなみに産経新聞は、けっして一番低いジャッジではないと思われます。
     五輪招致の際に、中国の体制がより開放的に、民主的に変わればいい、といのは国際社会共通の願いでした。インドが五輪にどれほど興味を持っているかは知りませんが、インドが五輪を行うとすれば、インドなりの課題を背負うことになると思います。また、ソチ五輪が実現すれば、別の課題や国際社会の期待を負うこととなるでしょう。それが中国とまったく同じのものであるとは限りませんが。
     
    インドで五輪が行われる日がいつになるやらわかりませんが、

  53. nakamura さん
    このような方針で記事を書かない限り,産経新聞が生き残れないと思います。
    こんな環境の中,ある意味では福島さんが犠牲者の一人ではないでしょうか。

  54. To 在北京日本人さん
     お菓子は300円まで。コメントは1000字以内にまとめること。
    制限があると、その制限内でいかに、バラエティに富ますか、うまくまとめるか、そこに楽しみがおきるものです。原稿など字数制限と締切がなければ、原稿と呼べません。そういう点で、字数制限と締切のないブログの原稿など、チラ裏みたいなものだ、軽い気持ちで読んでいただけるのが一番。だから、タダなんですよ。

  55. 初めまして。
    「100年の夢」というのは向こう側のうたい文句だと思うのですが、日本でまで同調することはないのではないかと思います。100年前に中華人民共和国は存在すらしなかったのではないですか。
    中国の文学的表現というのは分かって言っています。向こうには向こうの文化があるのでしょう。繰り返しますが、何もこちらが同調することはないのではないかと思っただけです。
    好みの問題なのかも知れませんね。では、失礼いたします。

  56. 福島記者、Good Job!
    goverment of the C.C.P,
    by the C.C.P,
    for the C.C.P
    中国共産党の見栄と独裁維持>>>>>公共の利益
    中共の奴隷=中国人民!

  57. TO ALL:
    中国はいろんな国の批判の中で急速に成長する。
    素晴らしい国です!素晴らしい国民です!

  58. to 福島さん
    >知り合いの中国記者の指摘によると、五輪とは、中国にとってWTOと同じようなものらしいです。つまり国際ルールに従うことへの表明です。
    全くその通りだと私も思います。従って今も「国際ルールに従う」過程にあると思います。簡単に変わる国ではないとは思いますが、しかし少しづつは変わりつつある所だと思います。五輪をキッカケにして変わった所はあるのか、今後どう変わっていくのかを見ていくことがとても大事ではないでしょうか。
    今、北京に住んでいて思うことは、どうも日本のメディアが「テロが起きるかもしれない」「食品の安全が保たれない」といった面を強調しすぎるので、結果として五輪ツアーの参加者も少なくなってしまったのではないでしょうか。
    日本から来た人に「五輪期間中は北京から離れた方がいいのではないですか」と余計なアドバイスをもらいました。私自身はこれだけ厳しい警戒態勢が敷かれていれば、そんな心配はないですよと答えましたが、メディアが伝える情報が、全体としてバランスが取れていないからではないかと思います。如何でしょうか?

  59. 閉幕式に宋祖英が出てきた時は、思わず笑っちゃいました。もちろん、宋祖英の歌手としての力量には何ら異議を唱えるつもりはありませんが、泣く子も黙るあのお方の二?(というウワサですよ、ウワサ)。何ともまあ、分かりやすい。
    ところで、とある独裁国家のネット上では、「北京?迎?」の替え歌が流行っているみたいですね。替え歌を掲載している掲示板やブログはガンガン削除されているようですが、残っているものも結構あります。
    北京?迎?
    毒?子吃死?
    ?我?都造假去超越自己
    北京?迎?
    有了??都了不起
    当干部就会有奇迹
    とか
    北京?迎?
    老百姓都不?去
    上?人?全部赶出去,
    このあたりが老百姓の本音だったりして。

  60. To parkmountさん
    日本の外交は下手くそうね。
    だから中国の成功を焼きもちするしかないね。

  61. 福島さん:
    こんばんは。
    いつも面白く読ませていただいてます。
    質問ですが、産経新聞北京五輪で取材方針はなんでしょうか。
    産経新聞さんとしては、日本が中国をどうしたら、満足なのでしょうか?
    それから“北京五輪をみていると、奴隷に闘わせ、皇帝の寵姫を彩りとし、皇帝の権力を国内外にしめすと同時に、市民に享楽を与えるサーカスとなす、古代ローマの剣闘競技を思い出す、と。”書いてありますが- まあ、どの五輪にでも当てはめられる。東京だって、やったら石原皇帝陛下様の権力を内外に示せますね。
    たかが運動会だから、単純に楽しんだら?まあ、こういう文章でご飯を食べてる福島さんの立場も分らないわけでもないですが。。。

  62. こんばんは。
    スポーツ観戦の中国人のマナーの悪さについて、中国人テニス選手が
    キレたという報道で映画「覇王別姫」のシーンを思い出した人は多いのではないでしょうか。共産党が京劇観賞のマナーを全然理解していないシーンを。あのシーンは誇張ではなかったわけですね。

  63. To hanjing23さん
    >TO ALL:
    >
    >中国はいろんな国の批判の中で急速に成長する。
    >素晴らしい国です!素晴らしい国民です!
    国も人も若いって素晴らしいですね。

  64. ■80後(1980年代生まれの若者)の分類を変更?―中国を等身大で見る習慣をつけよう!
    http://yutakarlson.blogspot.com/2008/08/801980.html
    こんにちは。私たちは中国を等身大で見るべきだと思います。中国の現在のレベルは国民ひとりあたりのGDPが日本の1/10になるのに後20年かかります。富裕層が増えたなどマスコミがいいふらしていますが、年収が100万円を超えた人が、1000万人です。中国の人口は12億8000万人ですから、 12億7000万人の人は年収が100万円以下ということです。こんなことを言う私も、最近ちょっとした勘違いをしたことで、中国を等身大に見ていないと反省しました。中国、先進国のわれわれの眼からみると、まだまだ、欠点、弱点がありますが、それは当然のことだ思います。私たちは、ついつい中国が発展途上国だということを忘れがちです。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

  65. >中国、先進国のわれわれの眼からみると、まだまだ、欠点、弱点がありますが、それは当然のことだ思います。私たちは、ついつい中国が発展途上国だということを忘れがちです。
    以前にも似たようなことを書きましたが、五輪に限らず「国際競技」の場は与えられていました。
    途上国ゆえ大目に見ろとの主張に賛同は出来ません。
    都合の良いときだけ途上国、国連で拒否権発動の時は先進国扱いですか?
    反吐が出ますよ。

  66. はじめまして、
    在日11年目の中国人です。
    産経新聞の北京五輪の報道の基本方針は、「中国が五輪を開催するのに相応しい国かどうかを検証することにある」と聞いて、正直驚きました。
    中国のいわゆる「反日教育」を思い出しましたからです。
    やってることが同じのでは?官製キャンペーンか?
    日本の国民は中国に対する認識はほとんどマスコミからの情報に頼っていると思います。マスコミはこのように予め決めたスタンスで報道することは一種の官製キャンペーンではないか?
    表題「何を残った?」の答えです:
    ◆自信:
    開幕式を見て、正直感じたのは中国という国の「自信」です。
    中国のバブルがはじけるでしょう。但し、「自信」から立ち直れると思います。決して「失われる十年」は中国で再現されません。
    ◆中国文化の再認識
    チャン・イーモー監督の開幕式は一種のプレゼンです。世界に「現代の中国文化」を紹介しました。同時に中国国民にも「新しい中華文化」を説明したと思います。それは中国のオリジナリティで、現代の中国の若者に理解していない部分です。
    自国文化の伝承はいずれ政治制度にも反映されると思います。
    ◆一党独裁について:
    いまの中国に関して、一党独裁は「有効」な「手段」ではないか?
    少なくでも20年以上の経済発展を維持しています。
    政治の世界で「正しい制度」ってあるでしょうか?
    「有効」かどうかを考えると、今の中国では「強力」な政治システムが「有効」です。
    日本の2世議員、政権交代のない民主主義より、「有効」と思います。
    (※中国の民主制度について、正しいのは「共?党??下的多党合作制」)

  67. 北京奥運は終わりましたが、まだ残傷人運動会があります。
    チャイナのニュースサイトを残傷人運動会で検索しても半年も前のニュースしか出てきません。チャイナのニュースはパラリンピックは無視でしょうか?
    ニュースにならないならばブログで、現地の様子が公開されてくることを待っています。
    伝わる話題は、水立方のいすを減らして改装の記事など、今後の五輪施設の生き方になってしまっています。
    もっとも、中国では障害者は国家の為には役立たずとして無視される基本思考がありますから、奥運の後のおまけとしてパラリンピックを受諾しているのかもしれませんが。
    障害児が生まれたら、一人っ子政策にも拘らず罰則無しに二人目を産みますからね。所詮 いらん子あつかいですから。

  68. To gtzhenさん
    >障害児が生まれたら、一人っ子政策にも拘らず罰則無しに二人目を産みますからね。所詮 いらん子あつかいですから。
    法律上はそうではないと思いますが。
    以前投稿した内容ですが,どこまで厳密に適用しているかは分かりません。
    ----------
    内陸の大都市にある大学の敷地内にある大学で働いている人達用の集合住宅の近くにあった看板には,
    ・共に帰国華僑華人の場合は,2人OK。
    ・生まれた子供に障害があり,(詳しい内容は忘れましたが)その障害の程度によっては,2人目OK。
    のように事細かく規定していました。
    ----------

  69. To gtzhen さん
    新華網にはちらちらと載っているようですが、おっしゃることには同感です。
    新華網をスクロールしていると、ときどき「残傷人」の写真が訳もなく載っているのを見て、毎度胸を痛めています。そういう写真を見ていると、「身障者」に対する意識が全然違うのではないかと思えてきます。
    もっとも、五体満足に生まれてきても、
    国益に見合わない顔…でしたっけ、、ひどいこといってオリンピックの舞台に出してもらえず、声だけしか採用されなかった子供がいました。
    …所詮そういう国なんだな…と思っています。

  70. 中国軍のトップはまだ江沢民派が過半を占めている状態だと聞きます(胡錦濤派はまだ15名)。
    >結局、五輪は中国になにをもたらしたのか。膨大な資金と労力を注ぎ、人民を動員し厳しい規制をしき、外国の要人と金持ちと共産党VIPに見せるためだけにお祭り騒ぎをし、合計100個のメダルを獲得しただけ、なのか。<
    胡錦濤が五輪を成功させたことの意義は大きいと思います。
    >ある人が、こう指摘した。北京五輪をみていると、奴隷に闘わせ、皇帝の寵姫を彩りとし、皇帝の権力を国内外にしめすと同時に、市民に享楽を与えるサーカスとなす、古代ローマの剣闘競技を思い出す、と。<
    それよりはポトラッチ・モデルで考えた方がよいと思います。しかしそんなちっぽけな偏見より、中国人の多くが外国人たちを、そしてそのすごさを感じられたことの意味は非常に大きいと思います。それは明日のアジアの安定のために非常に大きな意味があると思います。

  71. To gujinさん
    >胡錦濤が五輪を成功させたことの意義は大きいと思います。
    この点は、確かにそうですね。
    在日の中国人の方から聞いたのですが、北京五輪後、日本人の在日中国人に対する態度に親しみが増したそうです。北京五輪の国際的アピール度は、外国に住んでいる中国人が、一番実感されているのかもしれません。

  72. 福島さん:
    こんばんは。
    いつもいろんな中国のご感想を書かれて、ご苦労様です。
    前、チベット暴動の時にもそうだったが、ご自身の主観的な感想をニュースや記事と称して、産経新聞に堂々と載ってることは、一種の偽造とデマ以外の何もないだと思いました。産経さんはジャナリズムに反して、新聞を買ってもらうために、商業主義に走ることが、新聞社として、自らの格をさげことだけではなく、北京五輪を批判する資格もない。なぜなら、福島さんを含めて、産経新聞さんがそれ以下ですから。
    勿論産経新聞さんと福島さん個人としては、頑張ってるのは、商業主義のためだけじゃないと思いますが、中国に対してのどうしょうもない憎悪がある故だと存じます。
    ただ、そこまで嫌ってる中国に6年くらいいらしゃることは並大抵じゃない苦痛だと思います。精神的には大丈夫でしょうか?
    まあ、もう日本に戻るようでございますから、本当によっかたですね。
    これからも、反中の最前線にいっそうのご活躍をされるよう、お祈り申し上げます。

  73. 福島さん:
    補足なんですが、マスコミの主観的な記事で安心する国民って、やばくないですか?自分のつくり出した虚偽の世界に浸って、自己満足してるに過ぎない。それから、歪めた主観で相手との軋轢も生まれる。
    産経新聞見たいな安心させる、気持ちよくされるマスコミは、読者にとってドラッグのような役割をはたしてる。

  74. To 8341maさん
    >福島さん:
    >
    >補足なんですが、マスコミの主観的な記事で安心する国民って、やばくないですか?自分のつくり出した虚偽の世界に浸って、自己満足してるに過ぎない。それから、歪めた主観で相手との軋轢も生まれる。
    >
    >産経新聞見たいな安心させる、気持ちよくされるマスコミは、読者にとってドラッグのような役割をはたしてる。
    いわずもがなのことですが、
    国家の主観的な記事で安心させられてる人民のほうが
    やばくないですか?

  75. これが北京最後のエントリーでしょうね。福島さん、とりあえずお疲れ様でした。
    中締めだと思うので感想を書かせていただきます。
    中国がますます存在感を増してきた頃、このブログに出会いました。小ネタと時に人権問題などの社会問題を取り上げていて楽しみに読んでおりました。しばらくすると食品に関する問題が起き、中国政府からの圧力を受ける過程を目の当たりにしました。その後は福島さんの筆から軽妙さが徐々に薄れ、脱線した表現が減ってゆき、内容が深刻な人権問題を扱うことが増えてきました。時を同じくして、中国人や中国に親近感を持つ日本人の荒らしが増えてコメント覧もカオスな状況を呈しました。そして、クライマックスの北京オリンピックを迎えることになりました。
    北京オリンピックでは何も起きなかったと言っていいでしょう。むろん選手達は美しかったのですが、様々な問題は力で押さえつけられ、隠蔽されてしまいました。一方で、中国と中国人民は五輪を無条件の大成功と考えており、方針を変更する必要を感じないと思います。
    このエントリーも、五輪を機会に中国の社会状況が改善して欲しいという、わずかな望みが潰えてしまった無念さにあふれているように見えました。未来に託すなんて永遠の逃げ口上です。歴史の予言は愚かなことですが、当面はこの力強く醜い中国と渡り合う必要があるのだなと強く感じました。
    このブログは内容、起こった出来事、コメント覧、全体で私に現代中国を教えてくれました。ありがとうございました。

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