■きのう、離職票が郵送されてきた。これをもって来週はじめには国民年金の手続きして、ハローワークいく予定。というわけで「初めてのハローワーク」体験は来週にご報告しよう。きょうは、「成田空港にただいま籠城中」。①、②ときたんだからやはり③ぐらいまでは続けないとね。もうあきた?
■あきられても続ける。いや、なぜこんなに力を入れてしまうかというと、彼のキャラクターがいいんだ。結構悲惨で厳しい状況なのだが、ひょうひょうとしている。さすが3年もの間、冤罪で服役し、55日間の尋問にも41日の監禁にも耐えてきた64(天安門事件)世代だ。
■こういう中国人のたくましさ、しぶとさというのを目の当たりにすると、私は頭をたれてしまう。彼ほどの学歴と経歴があれば、たとえ逮捕歴があっても、その気になれば経営コンサルタントとして昇竜の上海の勢いに乗じて蓄財することだって可能だったのにね。
■というわけで今回のエントリーは馮さんのキャラクターがわかるエピソードを紹介しよう。彼自身がブログ上で発表している話なので、中国語を読める人はすでに知っていることも多いだろうが、日本語読者のために、馮さんの了解をえて(私の言葉で適当に)翻訳紹介する。
■王家瑞・党中連部長との一瞬の再会
分かれ道はどこにあったのか
(引用開始)
■馮さんは成田籠城中に、日本にきた王家瑞・党中央対外連絡部長(党の外交部長みたいなもの)と接触したことがあった。11月8日午後2時15分ごろだ。馮さんはちょうど、目をとじてベンチに座っていた。王部長と随行の高官らは間違いなく、馮さんの「抗議シャツ」の文字を読んだと思われるが、黙って通り過ぎようとした。
■ところがかれらが通りかかったとき、馮さんは突然目を見開いて、つかつか近づき、大声で「王家瑞」と呼び捨て。王部長は思わず立ちどまって、振り向いた。ほんの2、3歩の距離だ。馮さんはこのとき、ベンチの背もたれにかけてある抗議シャツを指さし、「みてください、私は帰国を拒否され、ここに住んでいます。大使館に伝えてください」と叫んだ。
■王部長ら一行は、そのまま外交官用の通路から出て行った。だが、随行員の一人の女性が、外交パスポートでなかったため、彼女だけが一般用のパスポートコントロールで必要書類に書き込まなくてはいけなかった。そこでそばにいた馮さんに「あなた王部長の知り合い?」ときいた。馮さんは「そうだよ。私たちは復旦大学の学生で、同じゼミだったんだ」「私は上海当局に8回も入国を拒否され、ここで難儀しているんだ。この資料2部を王部長にわたしてくれないか」。彼女は「いいわよ」といったので、馮さんは資料などを2部、彼女に渡した。
■馮さんと王部長は、中国で著名な管理学の大家、蘇東水・復旦大学名誉教授の教え子だった。このとき王部長は青島市長、若き官僚だった(中国は市長も国家官僚ね)。馮さんはこう語る。「私と王家瑞は同じ師をもつ非常に近しい間柄だ。でもわれわれの身分は同じではない。彼と最後に会ったのは師のお誕生日会の席だった。王家瑞先生の人となりは謙虚で、思想は開明的で、民衆側に立った官僚だった」
■馮さんが日本国の門前に黙って座って抗議し、中国の公民の帰国権を主張しているところに、最初にあらわれた中国人が、中国の高官でしかも同窓生。こんな神の采配ってあるのだろうか。
王部長は、習近平国家副主席の公式訪日の準備で来日したので、馮さんの帰国権問題に関心をはらう余裕はないだろうが、しかし、王部長の随行員はこの光景を目の当たりにしたわけだ。つまり、中国の知識分子(しかも王部長と兄弟弟子関係)が上海当局に入国を拒否され、毎日何千何万人の各国旅行客の前で自分の悲哀を訴えている。…これぞ中国の悲哀、中国の公民権利が上海の権力者によって侵害され、ついには中国政府を恥辱にまみれさせているのだ。
■…やがて国家元首級の人物が専用機で訪日するが、このときはおそらく馮さんと接触することはないだろう。しかし、馮さんは日本国の門前でこのように恥と飢餓に耐え続けるのは、中国政府が人権の尊重に目ざめさえるためなのだ。そしてすべてに中国人が自由に帰国する権利をもてるよう望んでいるからなのだ。(引用終わり)
■かたや理想を追い求め、国家から迫害された男。かたやリアリストに徹して官僚として出世を遂げた男。二人が日本の成田空港でほんの一瞬すれ違う。そのとき双方の胸に去来するものは…。なんか、馮小剛の映画になりそうな話だな。でも今国家から迫害されている人権活動家と、迫害している国家の幹部が同窓生だったりクラスメートという構図は確かにあるのだ。政府高官になったその人も、学生時代には中国が発展して自由で開明的な国になるんだ、と熱く友と語りあったことがあるかもしれない。
■ずいぶん前だが、北京大学出身の、作家や学者たちと飲みながら話したときこんなことをいっていた。私はそばで聞いていただけ。「李克強(副首相)の時代になったら中国は絶対にかわるさ。あいつは昔から開明的なやつで、民主主義の大事さを分かっている!」「はッ!まさか。官僚になったら学生時代の理想なんてわすれちまうのさ。期待するだけ、あとでがっかりさせられるさ」
…。
■この会話が出たのは確か2005年くらいで、その頃は李克強氏は胡錦濤直系の後継者とか言われていたんだな。今は習近平氏がポスト胡錦濤の筆頭といわれていて、はたして李克強の時代がくるのかどうかもあやしいが。
■でも、石平さんも(彼も北京大学哲学部卒業です)は「習近平が鄧小平路線(改革開放一党独裁)の継承、薄熙来は打黒賛紅(毛沢東主義回帰)だから、李克強が今後3年のポスト胡錦濤争いにからむとすれば、より開明的な民主化路線(党内民主だとしても)しかない。そこにわれわれの一縷の希望がある」と、そこはかとなく李克強氏に期待を寄せているふうがあるので、李氏が学生時代はかなり有名な開明派だったのかも。
■政府エリートとなる人と、活動家になって監視されたり国を追い出されたりする人と、いったいどこで道が分かれてしまうのだろう。たんなる理想主義者とリアリストの違い?話し合えば、わかりあえるはずなのに、と私は思ってしまう。
■このほかにも、馮さんの成田籠城中の面白いエピソードはたくさんある。各国のスッチーたちとかわす言葉。日本の税関職員があったかい缶入りコーヒーを差し入れした話(中ではなかなかあったかいものを口にすることはできない)。税関があるから、外から制限エリアに差し入れはできない、という話なのに、税関職員が差し入れしている(笑)。でも、これをルール違反だなんて問題視するなんて野暮だ。当初は空港側は馮さんに対しては融通のきかない官僚的な対応をして,馮さんもそれに腹を立てたりしていたが、個人レベルになると一人ひとり、やさしさや気遣いを見せ、彼もそのときの感謝の気持ちなどをツイッターで発信している。
■馮さんも中国語しかわからないワシントンから来た老夫婦に、トランジットの案内などを通訳してあげるなど「臨時ボランティア」をすることもある。制限エリアを占拠してほかの客に迷惑をかけている部分もあるのではないか?という私の問いかけにたいして「私だって、役にたつことはあるんだよ」と胸を張っていた。
■あと笑ったのが、彼の寝泊まりしているベンチのところには、海外から支援にきたアーチストのアイ・ウェイウェイさんが差し入れたアルパカの人形が置いてあるのだが、馮さんはそれに「草泥馬」と名前をつけていた。この余裕!
■蛇足かもしれないが、「草泥馬」というのは「ツォウニィマー」という発音で耳で聞くと中国語で「ファックユアマザー」の意味。汚いののしり言葉をインターネットの掲示板などで書き込みするときに、削除されないように使う隠語。だけど、いつのまにやら、アルパカ風の動物の姿が与えられて、ネットでアルパカ風の動物の写真やイラストを使って風刺動画なんかも作られている。
■この厳しい状況でユーモアも勇気も失わないタフな馮さんだが、上海に帰ったら真っ先に何をする?という質問に対しては「母親に会いたい。もう90歳なんだ。国内の老人ホームにいるんだけどね」。
■きょうで、成田籠城まる1カ月になる。早く帰れるよう、微力ながら私も応援させてもらう。
香織師匠
> …結構悲惨で厳しい状況なのだが、ひょうひょうとしている。
ほんまにタフやな?…闘争経験は伊達ではないって事か。
> 理想主義者とリアリストの違い?話し合えば、わかりあえるはずなのに…
社会的立場って奴の無情さとでも申しましょうか…本当ドラマだわ。
無論、馮さんと王部長が話し合った所で必ずしも事態が好転するもんでもないのでしょうが、如何なる台詞がそこで交わされるのか…第三者の気楽な立場に居る私としては興味が湧きます。
だから…
> あきられても続ける。
是非!よい続報を期待します。
…しかし、国民年金の特例免除申請が最優先課題かな?
今日の古森記者のブログ(および紙面)が面白かった。つい福島(元)記者のことを連想してしまいました。
・・・ しかし中国を専門としてずっと活動していく記者や学者はまた別であることを痛感した。
中国当局から嫌われれば、一生の職業キャリアを否定されかねないからだ。 (中略)一方、中国側の機嫌を悪くしても、あくまで事実は事実として公表しようとする学者も存在する。
その人たちへの懲罰の典型が中国への入国ビザの発給拒否だというのだ。・・・
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1353052/
記者の場合は「ビザの発給拒否」じゃなくて、「本社への転勤圧力」かもしれないな、と。
馮さんの成田籠城が、シナ人にとって祖国の恥だとすれば、馮さんは良い仕事をしているということだな。
それにしても、シナ人が「恥」という概念を理解しているなんて驚きだ。
馮さんの情報発信はシナ向けより、むしろ英文で世界に向けた方が意味がある。大いにシナの恥を世界に知らせるべきだ。
成田空港当局はどうしていいかわからず、オロオロしているだけかと思ったが、本当は、そこまで考えて事態を放置しているなら、見直してあげてもいい。
今日のエピソードは面白かった。今朝はCNN国際版(その後アジア版に移行)でも馮さんの成田籠城採り上げていましたね。これでニュースが広がるといいのだが・・・。
産経はどうしてスルー?情けないぞ。朝日には続報が出ていた。
続く空港泊、1カ月に 中国に帰国拒否され成田へ 旅行客、食料手渡し
2009.12.03 東京夕刊 16頁 2社会 写図有 (全808字)
中国の人権活動家、馮正虎(フォンチョンフー)さん(55)が、中国当局に帰国を拒否されたことに抗議して、成田空港の入国手続き前の制限エリアで寝泊まりしている問題で、海外から馮さんのもとへ食料などの支援物資が続々と届けられている。3日で空港内にとどまってから1カ月になったが、「中国に帰り、社会的弱者のために力を尽くしたい。追放されて日本へ入国することは絶対に拒む」と訴えている。(山根祐作、鹿野幹男)
馮さんが空港で寝泊まりを始めて10日ほどたったころから、欧米や中国、香港などの旅行客から、缶詰やビスケット、果物などの食料品や着替え、寝袋、洗面用具などの支援物資が次々に寄せられるようになった。1週間分の食料を届けるためだけに日帰りで来日した香港の人権活動家の女子大学生もいたという。制限エリアは、部外者の出入りや物品の持ち込みは許されないが、渡航客が入国手続き前に物品を他人に手渡すことについては明確な規制がない。
支援の輪が広がったのは、海外メディアの報道やネット上での人権活動家らの呼びかけによる。11月17日付の英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)は1面で馮さんを紹介。馮さんもミニブログ「ツイッター」で、空港での生活の様子を毎日報告している。
馮さんは6月以来、8回帰国を試みたが、中国当局が拒否。海外の人権団体などが帰国の実現を訴えている。11月中旬には、国連難民高等弁務官事務所の担当者が訪れ、日本へ一時入国する「難民申請」の意思を確認したが、馮さんは「私には帰るべき祖国がある」として断った。
東京入国管理局成田空港支局によると、入国は自分の意思で申請する必要がある。強制的に入国させることは許されないため、空港外に退去させることもできないという。「空港内に長期間とどまった人に他の渡航者が物品を渡すことは想定外で、対応に苦慮している」と話している。
福島香織 様
私は12月中旬に海外から成田空港に到着予定、たまたまANAと同じく第1ターミナル発着のエアラインなので、この方にお会いできたら何か少しでも物資の支援をしたいと考えています。中国語に不案内なのでおたずねしますが、そもそも「馮正虎」というお名前はどう発音しますか?英語メディアで検索するとpin-in綴りは「Feng Zhenghu」のようですが、カタカナでは決まった書き方がありますか?
ご本人のブログに「私はこの辺りにいる」という成田空港ターミナルの平面図(第1ターミナルの1F)がリンクされていましたが、入国管理の手前だとすると2Fだったような気がします。検疫のカウンターと入国管理窓口前広場の間あたりにいらっしゃるのでしょうか。取材された時のフロアや詳しい場所など、探すヒントがあればお教えください。パスポートコントロールの前できょろきょろ、うろうろしていて挙動不審で予防検束でもされたら、しゃれになりません。。。
探すまでもなく、わかりやすいところにいらっしゃるのかもしれませんが。
BBCワールドラジオのリポートでは空港で働く日本人の中にもサポーターやファンが多い、と言っていたので、飛行機を下りたあたりにいるエアラインの地上スタッフにも聞いてみるつもりです。
どうぞよろしくお願いします。
上の書き込みをしてからひとつ上をよく見たら「馮正虎(フォンチョンフー)さん」という答が出ていました。失礼しました。福島さん、どうぞこの質問はお捨ておきください(「フォンチョンフー」が間違っていなければ)。
yeshey5578 さん
> 私は12月中旬に海外から成田空港に到着予定、たまたまANAと
> 同じく第1ターミナル発着のエアラインなので、この方にお会い
> できたら何か少しでも物資の支援をしたいと考えています。
お会い出来ましたか。
すごく寒くなってきましたので、まだ籠城されているのかどうか
心配です。
はじめまして。さっそくですが、
ブログ【大陸浪人のススメ ~迷宮旅社別館~】の管理人氏が馮氏と会見するそうですよ。
http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/ec498b8c04f3d9161d716d7aa5236be1