■13日、世田谷区の区民会館ホールで、南京・史実を守る映画祭というのが催されていて、ちょうど時間もあったので、観にいった。1937年12月13日というのが、旧日本軍が南京市を陥落させた日、つまりいわゆる「南京メモリアルデー」である。
というわけで今回のエントリーは南京映画と歴史観についてである。
■南京映画を観て考えた
自虐史観は日本人的美意識?
■映画と映画の間に一水会最高顧問の鈴木邦夫(男?ちらしには夫という字で書かれていたけど)氏と「引き裂かれた記憶」を撮影した武田倫和監督をゲストにまねいたシンポジウムが行われた。
■へぇ~、右翼と左翼の討論があるのか、とシンポジウムに一番興味をひかれていったのだが、鈴木氏は普通の右翼ではなくて「進歩的右翼」(主催者いわく)だったので、期待したほどにはがちんこ対決というふうにならなかった。残念。右翼も左翼も表現の自由は認めなきゃいけないね、映画を見る前に批判するなんておかしいね、という当たり前のところで意見が一致してまるく終わってしまった。
■この映画祭は、いわゆる南京映画はどうして日本で上映されないのか、それは右翼が妨害するからだ、そういう表現の自由を奪う行為は許せない、そういう暴力的なやりかたでの歴史の改ざんに抵抗するために有志で上映会するぞ、という趣旨で催されている。
■産経新聞と週刊新潮が南京映画がどこそこで上映されるぞ、けしからんみたいな記事を書くと、それを見て右翼の人が妨害にいくそうで、週刊金曜日に上映予告が書かれたぐらいでは右翼の人は気がつかない、という鈴木氏の発言には苦笑いしてしまった。今回の映画祭は結構ひろく事前告知されていたので、開幕直前には右翼の人が来たそうだが、警察が警備しているのをみて帰ったそうだ。
■もっとも私は、商業映画館がこれら南京映画を上映しないのは、商業的に採算取れないからじゃないかなと思う。はっきりいって、
南京映画はいまひとつ出来がよくないものが多いのだ。今回上映された「南京」(ビル・グッテンタグ監督)「アイリス・チャン」(ビル・スパヒック、アン・ピック監督)「南京・引き裂かれた記憶」「チルドレン・オブ・ホァンシー」(ロジャー・スポティスウッド監督)の四本のうち、私が金を払って見るに値すると思うのは「南京・引き裂かれた記憶」の一本だけだと思う。
■「引き裂かれた記憶」はおそらく、これら作品のなかで一番素人くさいドキュメンタリーである。しかし、今回の上映作の中でゆいいつ当事者の片方である日本人が撮った作品でもある。作品自体は、旧日本軍兵士の証言と、南京で当時家族が殺されたり強姦された被害者の証言を、ただ何の工夫もなく撮影し交互に編集しただけでだが、はっきりいって、アイリス・チャンに似た人が主演する何ちゃってドキュメンタリー風カナダ映画「アイリス・チャン」よりも、よっぽど重く力があった。渋谷アップリンク(03・6825・5502)でまだ上映中らしいから、興味がある人はどうぞ。ただし、観たあと気分が落ち込むのは必至だ。
■思うに、1979年生まれの若い武田監督の制作動機が一番ピュアだからだろう。武田監督は、祖父が中国の戦線で戦った旧日本軍兵士で、「普段おとなしい人柄の祖父が酒をのむと暴れて『中国人の亡霊が襲ってくる』というようなことを叫んでいた」という。結局、その祖父は戦争体験を人に語ることなくこの世をさったが、武田さんはだからこそ、祖父と同様の経験を持つ人の話を聞きたいと思った。
■もともとドキュメンタリー映画をつくるという意識もせずに、ただ松岡環氏の証言者インタビューの映像記録を集めるつもりで撮り始めたらしい。あとで日本兵士側と中国人側の証言が偶然にも一致したものを取り上げて編集したようだ。若い女子学生を強姦したことについて「苦しいことも多かったが、いい思いもした」(セリフはうろ覚え)と懐かしむような顔で証言する旧日本軍兵士の表情も、へたな演出より強烈なインパクトを与えていた。この7人の旧日本軍兵士と6人の中国人被害者の証言一致という偶然性、そして証言者(特に旧日本軍兵士)の打ち解けてインタビューに答える表情の撮影に成功したのは、10年におよぶ旧日本軍兵士側250人以上、中国人被害者300人以上のインタビューという膨大な労力があるからだろう。そういう情熱に対しては、私は主義主張をこえて条件反射的にすごいと敬意を払ってしまう。
■さて、シンポでは言論・表現の自由は右翼左翼とも大事にせねばならない、という部分が大テーマであって、これにはまったく同意見だ。だが、鈴木氏が「日本はすばらしい国だといばるより、少々自虐的であった方がいいと思う」というような発言をしていたのは疑問が残った。本当は、ここの部分を第一テーマにしてほしかったな。歴史観は自虐的な方が、国益にかなっているのかどうか。
■世間ではしばしば、歴史の真実、という言葉を使うが、実は私はこの言葉はすごく都合がいいものだと思っている。私自身は、南京事件は幻だったというつもりはまったくない。虐殺はあっただろうと思っている。大きな根拠のひとつは、私自身が、大阪本社文化部記者だった1994年のゴールデンウィーク、南京陥落の日に現場にいた旧日本軍兵士を取材したことがあるからだ。いや取材というより偶然出会って話を聞いただけだ。
■私の父は、幼いころネエヤにお守りされていたおぼっちゃんで、そのネエヤは、父のおそらく初恋の人だった。戦争で生き別れになったそのネエヤの居所が偶然わかり、私は父の初恋の人みたさに、探偵ナイトスクープののりで、吉野の山奥の農家に嫁いだネエヤを訪ねていったのである。ところがネエヤ夫婦といろいろ話をしていると、ご主人が南京戦に工兵として加わった旧日本軍兵士であることがわかった。
■南京にいっとりました、という話をきいて、おもわず、こちらから南京で大虐殺があったのは本当ですか?と質問したとき、下関の捕虜に対する機銃掃射の話を聞いた。揚子江のふちに捕虜を追いやり機銃掃射で河に次々、撃ち落としたという。河の水は血で真っ赤になり、河岸から幅数メートルのところの水面は遺体でぎっしり埋めつくされていた。そのあと、その遺体の浮いた河の水をくんで、メシを炊いた。炊きあがって鍋のふたをあけると、メシ(たぶん雑穀)が銀シャリに変わっている。うぉお、銀シャリになってるぞ!と思って喜んで目を近づけてみると、それは全部ウジだった…。というような話をきいた。
■なんの罪悪感もないように、笑いながら、水路に泳いで逃げ込んだ「チャンコロ」の頭めがけて石を投げた話などをするので、そのうち、そばに座っていたネエヤが聞くに耐えないという顔をして、夫の膝を打った。そこで、南京の話は終わりになった。そのとき以来、私は旧日本軍が南京戦において捕虜の大量虐殺を行ったというのは事実だろうと思っている。
■一方、北京勤務時代に私は中国共産党の宣伝工作というものも、いろんな機会で見知った。南京事件の証言に使われている写真の多くがフェイク写真であるというのは、おそらくそうだろうと思う。実際、今も中央宣伝部の指導によるフェイク写真やフェイク報道フィルムらしきものは相当あり、いくつかはそれがフェイクであることを関係者に聞いたこともある。南京事件の犠牲者30万人という数字について中国人学者の中でも疑問を持っている人はいる。学者やナショナリストの中には、中国共産党が人民の犠牲を悼むより、南京事件を含む日中戦争の歴史を外交カードとしてしか考えていないことに憤りを感じている人もいる。
■陸川監督の最新の南京映画「南京!南京!」で冒頭部分に国民党軍の奮戦ぶりを描き、国民党軍も一応南京市民を守ろうとしたんだというエクスキューズの描写をあえて入れているが、国民党軍にはたして南京市民を守るという意識があったかどうかを論じるのは、中台関係が好転した今となってはタブーの話題だという。南京虐殺まぼろし派が言うように国民党軍兵士がわざと放火したり略奪しながら逃亡したという事実があるかどうかは知らないが、すくなくとも便衣兵という形で市民の中にもぐりこむ、つまり非戦闘員を盾にするという戦争ルール違反をやっていた。
■しかも南京の守備責任をまかされていた司令官の唐智生将軍が南京死守命令だけ出して、自分はすたこら先に逃げていたので、命令系統はずたずただったという。南京市に攻め込んできた日本軍は上海戦で徹底抗戦にあって冷静さを失っていたといわれる。兵站も整わないうちに追撃に追撃をかさねるという戦略的にありえない無茶な戦をして南京まできたのだから、南京を陥落させた瞬間一斉に軍規のたがが外れたという考え方もある。そう考えると、南京攻略戦というのは、日中ともにルールもへったくれもない戦争の在り方としては最低最悪の状況であったかもしれない。
■つまり、旧日本軍がハーグ陸戦条約といったいわゆる戦争のルールを逸脱する行為を行い、それは大量虐殺とよぶべきであったという意見も、「南京大虐殺」がある時点から中国共産党の政治宣伝、外交の道具として利用されるようになり、それにともない表現に虚構や誇大が加えられているという意見も、ともに歴史の真実の一面を示すものかもしれない。
■しかも、当時の中国における戦争の在り方というのは、日本軍に限らず国民党軍側も無茶苦茶で、1938年の黄河(花園口)決壊作戦のように日本軍の進軍を阻止するために堤防を決壊させて、村々を水没させ農民数十万人の犠牲を出すこともいとわなかった例もある。そういう状況で数万規模の虐殺は南京にかぎらず、けっこうあって、中国側も当初はとくに大事件という意識はなかったかもしれない。だから調査や記録がちゃんとできておらず、今に至るまで、事件のディティールで論争がおきている。だいたい捕虜の大量処刑があったのなら、その捕虜の名簿が国民党軍側資料にのこっているべきだろう。それがないって、すごいずさんさな軍隊だったんだな。中国人が靖国神社にいって、特攻隊の顔と名前と生没年がきっちり残されていることに、ある種の感動を覚えるというのも、わかる気がする。
■ちなみに河南省の一部の村では、大飢饉にもかかわらず容赦ない徴発をし農民を苦しめた国民党軍への怨念をくすぶらせ、旧日本軍に対してはむしろ農民を助けてくれた、食糧をわけてくれた、生まれて初めて食べたアメは日本兵がくれた、といったよい印象の証言があるそうだ。私が直接聞いたわけではないが、作家・劉振雲さんをインタビューしたとき、彼が現地でそういう証言を多く聞いてきたと話してくれた。
■歴史の真実というのは一つではない。勝者の歴史が一般に正史といわれるが敗者の歴史もひとつの表にはでない真実だろう。それとは別に個人個人の体験に基づく記憶の歴史がある。南京の大虐殺は日本人の本性が悪鬼畜生であったゆえに発生し、長崎・広島への原爆投下は早期戦争終結のために必要だった、とするのは勝者の歴史だろう。だが、それに異論を唱えたい敗者の歴史もひそかに存在する。個人の記憶の歴史も、ほんの一年のタイムラグ、揚子江河畔と黄河河畔という土地の差があるだけで、一方には旧日本軍の残虐非道を歴史の記憶として胸に刻み、一方には旧日本軍は水没する村から自分を救助してくれた命の恩人という記憶が残っている、というように多様だ。
■しかし、そういう多面的な歴史のどういう部分を国家レベルで強調するかは、もう歴史の真実うんぬんではなく、外交テクニックの問題として考えるべき部分が大きくなってくるだろう。建前では歴史の真実と言い続けるべきだとしても。
■日本人は謝っている人間に対して、それ以上強く言えない性分の人が多いせいか、どこかに謝ってしまえば許される、それ終わり、という感覚がある。反省することが美徳という感性は、反省して謝罪すれば過去を洗い流して新しい関係を始められるという思いがあるからではないだろうか。
■しかし、現実の交渉の多くにおいて、反省や謝罪はマイナスに働く。特に国の外交は、相手の弱みにつけこんで自分を有利にもっていくことに双方が力を尽くすのであり、その本質は硝煙のない戦争といわれるのだから、国家として謝罪するというのは戦争で負けるのと同等くらいに考えた方がいいんじゃないか。戦争も外交も逃げてもいいけど、負けたらこまる。反省は、次に矛先を交えるときに同じ失敗を繰り返さないために行うもので、相手に弱みを見せることとは違うはずだ。
■日本はかつて戦争にまけ、戦争責任者を処刑し、敗戦国という立場で勝者の歴史、勝者の論理に従ってきた。戦後60年以上たって、ようやく敗者の歴史も言い始めていいかな、という感じで「新しい歴史教科書」のような運動も起き始めたが、それはまだ主流ではない。日本人の多くはやはり鈴木氏のように「いばるより、少々自虐的な方がいい」という感覚だと思う。そういう感覚は、ある種の日本人の美意識として同感の部分もあるが、同時に日本人はまだ負けることに懲りていないのだ、とも思った。つまりあの戦争の戦後60年は日本人にとってさほどつらく厳しく屈辱的なものではなかったのだ。アメリカさまさまだね。
■もし、戦後統治を行ったのが旧ソ連か中国で、国民みなが長きにわたって辛酸を嘗めつくしていたら、自分たちがアジアを侵略した歴史より、原爆実験を国内の二つの都市で行われた記憶の歴史の方が強烈に残っているだろうし、自虐的反省より二度と戦争(外交)に負けるまいという思いの方が強かったのではないか。中国の外交姿勢にしばしば絶対負けてなるものかという気迫を感じるのは、中国自体が第二次大戦の勝者の記憶より、列強に侵略されもてあそばれた敗者としての屈辱の記憶の方が強いからだと思う。
■中国は、だからあらゆる方面で自国が国際社会で優位にたてるように戦略を考えている。日本で上映されることが決まった陸川監督の最新作「南京!南京!」なども一種の国際社会に対する情報戦だと、私は見ている。自国に有利な日中間の歴史認識を国際社会に広めるのは対日外交戦略としては大きいプラス作用が見込めるはずだ。
■私は自分が、南京攻略戦の現場にいた旧日本軍兵士の目撃証言を聞けばショックを受けるし、それを語る表情に罪悪感がみじんも浮かばねば嫌悪を感じる。被害者の子孫の中国人から私の祖母はこういう目にあったのだ、と聞けば、私自身が罪悪感を感じ、恥いってしまう。個人の記憶の歴史に対面したときに生じるもろもろの感情を素直に表現することは、人間として守られるべき自由であり誰に阻止されるものでもない。武田監督のドキュメンタリー映画に心を揺さぶられるのも、彼の撮った作品が個人的な動機から始まり、個人的な目線で歴史を問う姿勢を崩していないからだろう。でもこれが、国家の歴史観といった大仰な視点で描かれたものであったら私は受け入れられただろうか?
■もし国家として歴史を語るとしたら一部の証言をとりあげて、日本人は中国にこんな悪いことをしました、申し訳ありませんでした、という一言で自国の立場を言い表していいものか、と思う。もちろん面と向かって日本は悪くないやい!といえば、それは相手国の感情を害するし、日本は過去の歴史を反省していない、というお決まりの言葉で国際社会から非難される。それをさけつつ、うまく日本に有利な歴史観、あるいは外交的立ち位置というのを形成するのが文化発信という名の情報戦略だと思うが、どうだろう。
■アメリカはハリウッド映画などの文化発信、情報戦略で、アメリカの正義、自由、民主というイメージを国際社会に根付かせてきた。それを今、学ぼうとしているのが中国だ。中国映画に非常に詳しい水野衛子氏は近日発売のキネマ旬報「中華電影完全データブック」で「中国が次のハリウッドになる可能性」で言及しているそうだ。そういや、NHKもそんな特集してたね。これには反論も聞いているので、いつか改めてまとめよう。
■というわけで、国家としての歴史認識が「いばるより自虐的な方がいい」というのとは違うのではないかと思う。それは外交という戦争に戦わずして負けるようなものではないか。しかも、今後の「硝煙のない戦争」で戦勝国になるかもしれない国は、かつてのアメリカにように甘い統治をしてくれるとは限らない。彼らはかつて日本に侵略されレイプされたという記憶を持ちつづけているかもしれないのだから。
■南京映画が国内でも上映されればいいと、私が思うのは、たんなる表現の自由の問題だけでなく、これら映画を見れば、日中が国家として真の友人になれるという甘い幻想が吹っ飛ぶだろうという点だ。いろんな意味で、有意義な映画祭だった。
中国の発表数は明らかに違うと私の父が申していました。
私の父は軍で貨物の運搬作業を行なっており、南京陥落の数日後に南京市内に入ったそうです。
死体は見慣れていたので「一般人の被害が多いな」程度の感想だったそうです。
---------------------------------------------—
ここからは私の想像。
南京城ですから色々な場所から抵抗もあったと考えられます。
その際に誤射もあったでしょうしゲリラ活動もあったと思います。
普通の場所よりも一般人の被害が多かったでしょう。
また日本軍の悪い点である現地調達で恨みをかった事が後々響いてきているんだと思います。
>日中が国家として真の友人になれるという甘い幻想が吹っ飛ぶだろうという点だ。
中国と韓国は反日教育を行なっていますので国家として付き合うべきではないと思います。
いつ寝首をかかれるかわかったものじゃないですから。
歴史は歴史として未来に向かってどうすべきなのかから議論しなくてはならないと思いますが、あれじゃぁ議論もできないですよね。
個人的な付き合いでは問題ないんですけどね。
こんにちは。
>そのとき以来、私は旧日本軍が南京戦において捕虜の大量虐殺を行ったというのは事実だろうと思っている。<
個人的にどんな事を思おうと、それをとやかく言えませんけど、「その人の話だけ」で「大量虐殺があった」と断定するのは極めて危険だと思います。
吉田清治なる人も、「有った!有った!」と言ってましたよね。
でもね、「南京大虐殺なんか絶対に無かった!私と私の戦友の名誉のためにもそれを言い続けたい!」と言って亡くなっていった人もいる事はお忘れ無く願いたいものです。
あなたがこんな事を書くなんて・・・・
中国生活が長いからと安心していましたが、日本に帰って気が緩みましたね。 中国人の弁法を知らないはずが無いあなたが・・・・
大きなミスです。
福島さん、こんばんは。
私は、山本七平の大ファンなので、この南京事件について書かれた「私の中の日本軍」や「ある異常体験者の偏見」などを、何度も熟読しているのですが、中国が主張するような虐殺はありえないと確信しています。
下関の捕虜に対する機銃掃射の件については、「ある異常体験者の偏見」でつぶさに取り上げられておりますが、捕虜と護送兵相互の恐怖がもたらした不幸な突発事件であったというのが真相で、計画的に殺害した形跡は全くありません(だからと言って免責されるわけではありませんが)。
フィクションである南京大虐殺が、世界になぜ事実だと受け止められてしまったのか。
それは日本のマスコミ、とりわけ毎日新聞の前身たる東京日日新聞のせいと言っても過言ではありません。
そのことについて、山本七平は、次のように指摘しています。
・戦意高揚のための「武勇伝」が、非戦闘員虐殺と受け止められてしまうこと。
・「日本人=残虐民族説」を作りあげたのは、他でもない、自ら発した「虚報」であること。
・自ら発した「虚報」が、日本人以外の耳に入るという感覚そのものが全くないこと。
・「虚報」を発したマスコミが、戦後になっても虚報を断固たる事実だと強弁し「反省」を強いていること。
拙ブログ記事↓にて、山本七平の記述を紹介していますのでリンクを貼らせてください。よろしくお願いします。
・「虚報」が作りあげた「大虐殺」
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-110.html
・人はみな「選択的良心」の持ち主である。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-130.html
香織師匠
何だか荒れそうな…ちゃんと精読致します…♪
> これら南京映画を上映しないのは、商業的に採算取れないから…
そりゃそうでしょう。 今後中共の影響下にある全体主義が日本に浸透すれば別でしょうが…
> 旧日本軍が南京戦において捕虜の大量虐殺を行ったというのは事実だろうと思って…
大都市における市街戦において発生するであろう規模の範疇でなら虐殺や軍規違反行為はあったでしょうね。「 下関のケース」はその範疇を超えないと考えます。 おまけに敗戦後、戦勝国の軍事法廷で一方的に断罪した訳だし…当時山中で引き籠ってた中共に今更言われたくないやい! ってぇのが私の本音です。
それをあたかもナチのホロコーストが如く政治的に取り上げようとするから…
> もう歴史の真実うんぬんではなく、外交テクニックの問題として考えるべき部分が大きくなってくる…
故に「中共政府が言う処の”南京事件”は無かった」と、私は答える事にしています。
> 反省は、次に矛先を交えるときに同じ失敗を繰り返さないために行うもので、相手に弱みを見せることとは違うはず
これが本エントリにおける香織師匠の主題と勝手に判断致しました。
ってえか、敗戦後六十有余年、余りにこの点を主張する人が少なすぎたと言うべきか…多くの戦後復興を支えた臨戦経験世代の諸先輩方は、口にはせずともこの「反省」を胸に努力されてきたと考えるのですが、所謂声のでかいインテリって奴等が…何故か現在もなおその系譜に連なる方々が大勢力を誇っている事に嫌悪感を感じますね。
To 一閑さん
えっ、荒れるんですかね。映画みたついでに、思ったことをつらつらと書いただけなんですが。私も30万人とかあり得ないと思っています。ただそのとき、その場所で戦争のルールを逸脱した捕虜虐殺行為が発生したのだろう思っただけです。目撃証言をきいて、ウソを言っている風に思えなかったので。でもなかった、と主張する人がウソをいっているとも思っていません。広い戦場で、規律正しく占領統治がおこなわれた場所もあれば、無法地帯化したところもあったのかもしれない。結局、歴史というのは外交カードであり情報戦略だと思うのです。100人、1000人、1万人を殺害しても現代人の感覚からいえば大量虐殺は大量虐殺だろうしルール違反だといわれてもしかたありません。けれど、それを30万人と宣伝して国際社会に信じこませることができたとしたら、それは中国側の情報戦略と外交の成果でしょう。旧日本軍の軍規が厳しくて一兵卒すみずみにまで統制がいきわたり、南京攻略戦においてたった一人の捕虜殺害も一件の略奪もなかったと国際社会に信じ込ませることができれば、それは日本の情報戦略、外交の勝利でしょうけれど、でも同時に犠牲者30万人の数字と同様に、私にはありえないと感じる主張です。
つづき
ようするに、個人的動機で証言を集める作業に対しては、敬意も感じるし、個人レベルで中国の戦争被害者と向き合うときは罪悪感を感じることはあるけれど、国家レベルで歴史問題を考えるときは、これは情報戦の一種であり、火のない戦争である外交の延長戦だと、日本の指導者たちには心得てほしいなあと言いたかっただけなのですが。ただ、その方法がいわゆる、南京映画上映なんてけしからん、といって街宣車で妨害するような言論統制や表現の自由を制限するものでは、民主主義社会では逆効果だろうから、うまく情報発信することを考えてほしい。中国なんかは試行錯誤をつづけて、最近の映画「南京!南京!」なんかをみると、欧米人好みのヒューマニズムに包んで国際社会に浸透しやすい形で自国の歴史認識を発信することに成功しているように見えます。
福島さま
私も荒れると予想していますよ。
あまりにもデリケートな問題ですから。
To iza-denboさん
>私は、山本七平の大ファンなので、この南京事件について書かれた「私の中の日本軍」や「ある異常体験者の偏見」などを、何度も熟読しているのですが、中国が主張するような虐殺はありえないと確信しています。
↑
自らの眼でみていないものは他人の眼を通して想像し判断せざるをえません
そういう際は実際に見たという人の話をできるだけ多く聞き、読むのが基本姿勢であって、ひとりの人にほれ込んでしまうと道に迷うことがあります
もし次の二冊をお読みでなかったら一読をおすすめします
「私記・一軍人六十年の哀歓」 今村均 (芙蓉書房)
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて 元兵士102人の証言」(社会評論社)
前者は名将のほまれ高い大将が、後者は無名の兵士達が書いたものです。この二冊を読む限り、南京において日本軍が狼藉をはたらいたのは事実であったと感じます
実際に殺された中国人の数がどのくらいだったかについては虚実さまざまの説があることは確かです
福島さん、
はじめまして。お邪魔します。
>中国は、だからあらゆる方面で自国が国際社会で優位にたてるように戦略を考えている。
南京も含めて、それら歴史認識の問題が中共の戦略と認識しておられるようですね。
ならば、賛否・虚実などを論議する時点で、その戦略に乗せられているとは思われませんか?
個人としては、まともに反応せず、無視あるいが流すのが賢明と思います。
先の戦争に関して、対外的な処置はすべて済んでいます。
だから、日本は連合国に加盟できたのです。
日本国としても、中共にいちいち応答しない。
それでもしつこいのであれば、国連の場に提議してくれと言ってもよろしい。
捕虜の殺害はあったでしょうし、捕虜の反乱・逃亡もあったでしょう。但し反乱・逃亡した捕虜を「警告後」に殺害した場合は合法です。
捕虜を殺害したと言う事実だけでは、違法行為とはいえません。
そして残念ながら、当時捕虜の違法な殺害が皆無な戦争はありません。正義の味方を自称する連合軍も当の国民党軍も、日本兵捕虜を正に「虐殺」しています。
同じことが一般市民の被害に対しても言えます。一般市民の殺害はあったでしょうし、逃亡兵が一般市民に偽装してもいたでしょう。但し戦場で投降しない逃亡兵を殺害した場合は合法ですし、一般市民と選別を行った上で、逃亡兵と誤認した一般市民の殺害は合法です。
勿論誤認しかねない状況を作った側が悪いのですが、この場合は歯止めとして目的効果基準が適用されます。アメリカが原子爆弾使用の非を認めないのは、その目的効果基準を拡大解釈して「そのおかげで(アメリカ人の犠牲だけでなく)日本人の死者も減った」と言う屁理屈ですが、これは勿論違法です。
南京で日本軍に一切の違法行為が無かったといっているわけではなく、日本軍の基準で判断すると通常を超える違法行為があったのは事実と思われます。個人的には、通州事件や上海事変など中国側の違法行為に耐えてきた反動が出たと思っています。
しかし総じて南京事件は日本を非難するために上げられますので、日本軍が並外れて違法行為を行っていたと言う認識が背景にあるようです。確かに日本軍基準では並外れていると思いますが、世界規準で見る限り冷たく言い放てば「ありふれた戦争の悲劇」に過ぎません。
泥棒にも三分の理はあります。
その三分を全てと勘違いする愚は避けたほうが良いと思いますよ。
実体験のない者が過去をあれこれ言っても始まらん。そーとしておきましょ。無視するのが一番。
それは置いといて、こんな事あまり書き立てると中国に来れなくなるよ。
小話を一つ
南京事件で30万人が殺されたんだってね。
へ~毎日何人殺されたの?
1ヶ月として、毎日1万人かな?
その間、南京の人はなぜ逃げなかったのかな?順番待ち?
??????
国民党の兵隊はマージャンでもしてたのかな?
??????
私の父は既に亡くなりましたが、南京事件とされるときその横を進攻中でした。現場は見ていないが戦争中だし、あの部隊はまあ性格の荒いものが多い部隊だったから、ゼロとはいえないだろうな。と話していましたが、30万人は物理的に不可能と。 まあせいぜい3000人が限度。銃弾は無く、銃剣や刀では2-3人切ったら刃は欠けて切れなくなるそうです。
親父の部隊の行く所々の町では現地人との交流もあり、そんなに反発も無く住民との諍いは無かったと。それより、薪が無くて困っているので、無人の家を壊して欲しいと現地人に頼まれ、トラックにロープをかけて倒して感謝されていたなど、戦争中とはいえ、戦闘部隊との遭遇時以外では極普通の行軍だったと自分史に書いています。
私も良く中国に行きますが、現地人と南京史の話が出ると、テレビの中の日本人と、あなたの知人の中で出会う日本人と同じですか? と聞くことにしています。
なかなか読みごたえのある映画評論ですね。ただ、小生は「威張るより自虐的なほうがいい」という考えには与しません。反省はともかく「自虐」は精神的不健康ですから。なお、戦争には敵味方を問わず「人を変える」魔力があることも事実で、一概に伝聞に基づく“事件”を信用あるいは疑うことも出来ません。出来ることは“当時”の“現場”における時空間の“空気”をめぐって想像をたくましくしながら、可能な限り虚心坦懐に理解を試みることでしょう。たとえば大陸各地に散見されるトーチカは国共内戦の産物であり、必ずしも伝えられるように日本軍の進撃を食い止めるものではないことを、上海育ちの小生は子供の時から耳学問で知っていました。また、日本人居留民にテロを行っていた便衣隊の恐ろしさ、国共両軍による農村における食糧などの“現地調達”の凄まじさ、自軍の退却を封じる督戦隊の存在(南京陥落の間際にも活躍していた)など居留民の間では常識でした。その後、小生自身、中学生の時に米軍のグラマン戦闘機の機銃掃射を浴びて逃げ回った経験もあるし、ベトナム戦争取材で戦争のさまざまな面を見た経験から「戦争が人を変える」ことの恐ろしさを学びました。なんだかとりとめのない駄文になりましたが、貴女の戦争に対する感じ方は大きく外れてはいないと思います。健闘を祈ります。(宜候)
南京事件と類似パターンに重慶爆撃が上げられます。
これは重慶市街に対する爆撃であり、数年間200回以上の攻撃で1万人余の一般市民が犠牲となっており、重慶は日本陸軍に近接されておらず防備都市とは言えません(南京事件で上げ忘れましたが、南京市はスターリングラードと同様防備都市)ので、市街に対する攻撃は認められません。
(注:防備都市は安全区域を除く全域が戦場)
「この断面だけ切り取れば」日本軍の違法行為は明白ですので、よく日本を非難する材料に用いられますが、なぜか極東裁判でも判決に一切関わってきません。
これは全体を通してみれば分かるのですが、当初日本軍は軍事施設に限定して爆撃を行っていました。しかし護衛の戦闘機が居らず敵戦闘機に無防備であったことと、「中国軍が市街地に高射砲陣地を設置していたこと」から、効果に対して被害が甚大であり一旦中断します。
参考:1938年から始まった重慶爆撃は当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたのですが、重慶市街にも相当数の支那軍側の対空砲台があり、そのため日本軍の被害も増大する状況となったので、1940年6月頃になって作戦指導部は市街地域の徹底した爆撃を決意しました(海軍航空隊・巌谷二三男氏、陸軍航空隊独立第一八中隊・河内山譲氏の証言)。
日本軍の高射砲陣地を見れば分かりますが、都市部であっても学校などの公共施設や公園など、市街地と区別できるところに軍事設備をおかなければ、市街地そのものが軍事施設となってしまいます。
そこで日本軍は護衛の戦闘機をつけ、過去の爆撃から高射砲陣地のある市街区域を割り出し、「市街の特定場所に限定して絨毯爆撃を実施」するように、作戦を変更します。つまり「軍事施設である市街地」に攻撃していたわけですから、何でも有りな極東裁判ですら、日本軍の非を唱えることが出来なかったわけです。
なんとなく日本軍は世界標準から見て極悪非道であった、と言う印象を持つ人が多いと思います。ただそうやって非難される事件を丁寧に調べてみると、大抵何らかの理由が有ったにもかかわらず、その理由については無視して非難しているケースが多すぎるのは事実です。
投稿2個までルールは解除されたのかな?
To tenyoufoodさん
>便衣兵掃討は国際法違反ではない、と言い訳しても無差別殺戮には変りが無い。
一般市民に対する無差別殺害を積極的に主張しているのは、極一部の大虐殺があった派の学者の主張を更に曲解している極一部の信奉者か、中国共産党の発表を妄信している人だけで、極一部の大虐殺があった派の学者筆頭笠原氏すら否定していますよ。(もっとも、中国共産党からは笠原氏すら否定派に分類されているそうですが)
一般に、「違法行為による殺害が0」と言う主張は30万人はより少なくほぼ皆無ですので、大きく見れば虐殺派が大多数だとは思いますが・・・。
どのような戦争であれ虐殺はありふれていますので、南京事件を取り上げる意味があるかどうかを別とすればですけどね。
>それは中国側の情報戦略と外交の成果でしょう。
福島さん、それは認識が甘いです。
中国の宣伝工作が成功した原因は、彼らのプロパガンタが巧みだったからではありません。日本人がその”基本型”を提供したがゆえです。
山本七平が指摘しているように、
>南京大虐殺の”まぼろし”を打ちあげたのは、実は「百人斬り」について前章で述べたと同様に、われわれ日本人であって中国人ではない。<
のです。
この事がわかっていない日本人が多すぎます。だから、単純に中国の宣伝のせいだと思い込めるのです。
戦前のマスコミの「戦意高揚」記事という”虚報”が、戦後のマスコミによって、「残虐日本軍」の証拠とされたが故であって、中国のプロパガンタを成功させた原因はひとえに「日本のマスコミ」にあります。
また、米国で南京大虐殺が信じられた背景には、原爆投下に対する負い目があったからだと思います。
自らの負い目を薄れさせる為に、相手の落ち度を見つけるといった心理に上手く付け入ったのが、米国でプロパガンタが成功した理由でしょう。
いつも楽しく拝見させていただいています。
すみませんが個人的な感想を書かせてください。
ピュアな人が撮ったものだと信用できるのでしょうか?
日本人が撮ったものだと内容が信用できるのでしょうか?
証言を数多く集めた形の映像ならば信用できるのでしょうか?
心に訴えかける映像を見ると、あっさり信じてしまうのでしょうか?
誰かから直接話を聞いたり、映像をみて圧倒されたり尊敬するのはよいのですが、
そんなときは、なおのこと、自分の判断基準がぶれないように注意すべきだと思います。
(それでは、文革時代の中国を素晴らしい国だと感動していた人々や
北朝鮮を夢のような国だと感動していた人々と変わりません)
虐殺と呼べるほどの規模のものがあったのか?
心無い兵士もそりゃあ中にはいただろうし、戦争犯罪に値するものもあったかもしれない。
でも、問題は、ナチスのホロコーストや原爆投下に匹敵するような
虐殺事件があったかどうか、ということが問題なんです。
それを議論するには、人数がどうなのか、とか、しっかり調べる必要があります。素人じゃないんですから。
政府レベルではこういう話を認めるべきではない、という意見を述べられていますが、
一人の日本人としてはどうなんでしょう?
虐殺という事実を認めるべきだと言いたいのですか?
私は、政府レベルの話なんて意見する立場にありません。
が、一人の日本人として、こんなふうに世界的に日本人の
残虐性が広められていることに対し、激しく怒りを感じます。
「歴史の真実というのは一つではない」には同意しますが、
故意に歪められた歴史を認めることは私にはできません。
「日本人はまだ負けることに懲りていないのだ」
「あの戦争の戦後60年は日本人にとってさほどつらく厳しく屈辱的なものではなかったのだ」
には絶句しました。たくさんの日本人が、どれほどの思いをして、
ただしその思いをあえて語らずに耐えてきたのか…。(それが本当の日本の美意識です)
そういうことに思いが至らないのでしょうか?
南京戦の話になると牽強付会な論を展開して日本を弁護する人がいるものですが、今回のコメンターの皆様は概して穏健、中庸だという感じがしました。
支那との戦争を拡大したのは日本政府や天皇、ひいては軍中枢の意思にそむいた関東軍の暴走であったこと、南京で狼藉を働いた日本兵が少なからずいたこと、なによりも日本は被害者ではなく支那、朝鮮に対する加害者であったことを認識した上であれば枝葉を論じることに意味なしとは思いません。
そういう前提を忘れなければ、虐殺された南京市民の数が三十万とか百人斬りがあったというのは白髪三千丈のたぐいの話だと論ずるも善しだと思います。
それにしても明治時代から日本の仮想敵国は日本に不平等条約を強いたアメリカであったのに支那に攻め込んだり、米国との戦争がはじまったあとでも支那での戦争をやめなかった日本軍は支離滅裂だったという感じがしてなりません。明治、大正時代の軍人にくらべて昭和の日本軍人はペケが多かった・・・
南京の虐殺や暴行の事件については、「全ての一次資料」が信用出来ないって人や、自分で見た訳でもないのにあれこれ言うなって言う人がたまにいますが、逆にいまのぼくらは個人的な経験に左右されず、距離をおいて見つめる事ができるポジションにいます。
ひとつひとつ拾われた証言を丹念に読んでいけば、前線の指揮系統が乱れて統括し切れていなかった事実や、ゲリラ的な存在に対する対処法が確立されていなかった事による現場判断の混乱などが読みとれます。
これって後のアメリカのベトナム戦争やイラク戦争でも同様で、戦争行為とゲリラ・テロ行為が同居した状況では、未だに解決されていないように思っています。
南京を特殊な事件として日本の属性に繋げるプロパガンダがナンセンスなのであって、同じような状況にあれば同じような混乱と被害が出る現実にこそ目を向けるべきでしょう。民族や国家の属性の問題では無いのです。
南京の事件から目を背ける事も、またその事件「だけ」に囚われる事も間違いでしょう。幾千年と、現場も知らずに安全な場所から無理のある机上の策戦をおしつけるバカがいる限り、前線の士気が落ちるのは必然ですし、また軍の安全「のみ」を重視し、戦地行政に無頓着な指揮官がいる限り、前線で民間人が不当な扱いを受ける事も必然となってしまいます。
無能・不適切な人間が居るべきでない地位に居る事、って改善は可能でも無くすことは出来ない事象ですが、出来るだけ排除する仕組みは作れると思うんですよね。
南京の事件と言うか、戦場での不当な行為全体に思うことです。
原爆で犠牲した人を思い出すと、お前らはみんな愚かやなと再び思う。
馬鹿とも、目覚めろ!
そして福田!謝り続けろ!
人の命を奪ったやつらは永遠に許すなんか期待ぜず懺悔すべき!
許すなんかお前に感覚がおかしい!
お前の身内、例え一人を殺しでも犯人許す度胸あるか?
まったく、
福島か?!へへへ
To xinyuさん
>人の命を奪ったやつらは永遠に許すなんか期待ぜず懺悔すべき!
>許すなんかお前に感覚がおかしい!
>お前の身内、例え一人を殺しでも犯人許す度胸あるか?
ウィグルの人やチベットの人たちに実践されているのですか?
共産党が犯した罪は全て漢民族の罪なんでしょう?
漢民族一人一人が永遠に謝罪すべきことなんですよね?
自分の姿を良く見てから意見を述べたら如何ですか。
日本人は自分たちの手が血に塗られている事を否定していませんよ。
コメントを書いている人の中に何人が南京の町を歩き回った事があるだろうか?勝手の南京の町は城壁で囲まれていたが、あの当時は太平天国の乱の時と異なり既に場外まで町が広がっていた。現在は、旧市街よりはるかに新市街のほうが広い。
過去に、この町で2度も大虐殺があったとされている。一度目は太平天国の滅亡時で20万人が虐殺されたといわれ、南京事件では30万人といわれる。
旧市街を歩き回って思った事は、城壁の中に果たして何人が住んでいたのか住む事が出来たのか。そして、食糧が城壁の中に何か月分備蓄する事が出来るのか。どちらの事件の時も、外から住民の為の食糧は入ってこなかった。
私が、先に書いた「実体験」とはこのようなことを言います。
To tenyoufoodさん
>この件で死んだ人の数を多いとか少ないとかいつも騒いでいるのがぼくには不思議で仕方ないのだ。
>
>犠牲者の人数が解ったらその人数で何をどうしようというのだろうか?
横レス失礼いたします。
同感です。
正直に言ってもうウンザリです。
To tenyoufoodさん
>追加)
>
>この件で死んだ人の数を多いとか少ないとかいつも騒いでいるのがぼくには不思議で仕方ないのだ。
大本は東京裁判の10万人とは言え、ここまで死者数が問題となった発端は、中国共産党が「如何に日本軍が蛮行を行ったか!」と言う宣伝で30万人と言う数字を上げだしたので、「そりゃちょっと待て、いくら白髪三千条でも酷すぎるぞ」と言うのが発端でしょ。
その中共の尻馬に乗る大虐殺派が主張する根拠が一つずつ潰れて行ったら、「じゃあ何人被害者がいたと思うんだ!」と逆切れしているし、妥当な数字は確実なところで小虐殺派、どれだけ多く見積もっても中虐殺派まで。虐殺無しと同じく所謂大虐殺もありえないと分かったら、次は「数の問題ではない!」ですよ?
所謂列強よりずいぶん遅れていたとは言え中華帝国の末裔、その大国の首都が落ちたなら大なり小なりの悲劇があるのは当然の事。類似では東京大空襲も然り、ベルリン陥落も然り、首都ではないが大都市で戦場の要となったレニングラードも然り、ベトナムでも何でも戦争のあるところには悲劇がある。当の中国国民党軍にも国際法違反は多々あるし、共産党の自国民大虐殺、チベット等の民族(文化)浄化などあるのに、あえて南京だけ上げるのはいかがなものか?と言うのが個人的な印象。
こちらの映画祭も熱いトークショーなどで、盛り上がっているようです。
しかし、一条さゆりさんがゲストできて、中国のドキュメンタリーに描かれた中国の風俗事情について語る、という企画は面白そうです。
http://cifft.cocolog-nifty.com/blog/
武田監督は、祖父が中国の戦線で戦った旧日本軍兵士で、「普段おとなしい人柄の祖父が酒をのむと暴れて『中国人の亡霊が襲ってくる』というようなことを叫んでいた」という。結局、その祖父は戦争体験を人に語ることなくこの世をさったが、武田さんはだからこそ、祖父と同様の経験を持つ人の話を聞きたいと思った。
---------------—
すでに故人ですが、うちの祖父も太平洋戦争時、中国内陸部まで赴き、泥水を啜り地べたを這い蹲って帰国して来ました。そして、この武田監督の祖父同様、戦争体験を人に語ることはありませんでした。
いつも違和感を感じるのが、この部分です。
本当に辛い経験をしてきた人間は、帰国後に戦争の話を人にしないのではないでしょうか。ちなみに祖父は警察官でした。
唯一、戦争は人間を人間でなくする。戦争は駄目だ。とまだ幼かった私に語りかけてくれたのを覚えています。
すでに太平洋戦争については、経験者の高齢化が進み、彼らの体験や記憶も曖昧です。TVでは、戦争当時に14歳だった「化学兵器の専門家」が重い口を開きます。小説家の書いたフィクションの内容が事実かどうか裁判で争われます。
やるなら1970年代までににもっと深く検証を行うべきだったのではないでしょうか。
To lenyさん
上の議論は芦溝橋事件はどちらの軍隊が先に発砲して挑発したかを議論するのと同じ。全く馬鹿馬鹿しい!
そもそも昔の日本獣軍は誘いもないのに、(お前らが今でもよく言うような)北平、南京まで「進出」するのはおかしいと思わない?本末転倒と思わない?強盗が夜中に盗みに入って、中の住人が反発したら殺した、「俺は皆殺ししてない、抵抗する人を殺しただけ!」お前らの脳みそは腐ってるのか?正常な人間の思考回路なのか?
ぐちゃぐちゃ言わない日本人を責める気は全くないが、だって当事者じゃないもん。ただ政治屋やくそ理屈持ち主の学者や無知ともはよく聞け、南京云々で挑発したいやつなら、日本壊滅の覚悟をしといたほうがいい。
PSlenyさんは共産党を感謝すべき、戦争賠償を俺ら国民の同意なく放棄したお陰でlenyさんがすくすく育ってきたじゃないか?
こんにちは。
この話は、
・南京での虐殺は本当にあった。
・でも、だから自虐的でよいって話じゃない。
・歴史での善悪はそう単純じゃなく、
・南京はそもそも政治利用されてる。
・日本だってそういう戦略を考えるべき。
とまとめられると思うのですが、私の読み方ヘンですかね?
To xinyuさん
>そもそも昔の日本獣軍は誘いもないのに、(お前らが今でもよく言うような)北平、南京まで「進出」するのはおかしいと思わない?本末転倒と思わない?強盗が夜中に盗みに入って、中の住人が反発したら殺した、「俺は皆殺ししてない、抵抗する人を殺しただけ!」お前らの脳みそは腐ってるのか?正常な人間の思考回路なのか?
これはまともな資料を読ませてもらえない中国人にとっては仕方の無いことかもしれませんが、正常な人間の思考回路なら「どちらも悪い」と考えますよ。(外交上は別として、歴史上の話ですが)
北支に日本軍がいたのは条約に則った正当な権利ですし、盧溝橋に始まる北支事変は、共産党か国民党かは別として、中国側の発砲が発端なのはほぼ確定です。圧倒的な数を頼んで先制攻撃し、カウンターを食らってノックダウンしただけです。
中支事変も同じパターンで、上海周辺に設定されていた非武装地帯に、再三抗議されても国民党がトーチカ陣地を作り上げ、上の北支事変を収拾するため休戦して上海で交渉を行っている最中に、先制攻撃して上海事変を起こしたのも中国側です。
そのトーチカ陣地への補給路として「中国側が南京から上海までの地域を戦場設定していた」ところへ、ドイツの指導の下作り上げた堅牢なトーチカ陣地を日本軍が破ったため、結果的に南京まで日本軍を導くことになってしまいます。
中国側が絶対的に有利な状況で勝てると思って先制し、実際日本軍に多大な損害を与えましたが、結局肉を切っても骨を断たれたと言うことです。
きちんと事実関係を調べれば、直接の発端は全て中国側が口火を切っているのですよ。
それでは日本を悪者にするのに都合が悪いので、どんどん都合の良いところまで遡ろうとするから、最後は「ペリーを連れてこい」と言う話になるわけです。
To xinyuさん
>PSlenyさんは共産党を感謝すべき、戦争賠償を俺ら国民の同意なく放棄したお陰でlenyさんがすくすく育ってきたじゃないか?
中華民国と勘違いしていませんか?ODAを止めると言うと歴史問題を取り出して集(たか)る中共に何か感謝しなければならないのでしょうか?もっとも、中国人民にまわらずに共産党幹部と解放軍で食い潰していますからご存じ無いのでしょう。
はじめまして
よく拝見しております。
うまく言えないんですが、映画ファンの一人として個人的に、映画という人工物の一媒体を見る事が「史実を守る」「歴史の改ざんに抵抗する」という作業になると思えないし、これに限らず映画ソースで「勉強」とか歴史検証を行う行為自体もやめて欲しいと思います。
歴史は一つでないし、学問か政治の中でやるものだと。
理由はsky3netさんのこの部分に同感するからです。
>ピュアな人が撮ったものだと信用できるのでしょうか?
>日本人が撮ったものだと内容が信用できるのでしょうか?
>証言を数多く集めた形の映像ならば信用できるのでしょうか?
>心に訴えかける映像を見ると、あっさり信じてしまうのでしょうか?
それに加えて例えばドキュメンタリーではありませんが、台湾の魏徳聖氏のような「霧社事件」と「海角7号」のような、金の都合がつけばどちらも作る人もいます。公には霧社事件制作の資金作りのために海角7号を撮ったらしいですが中国メディアソースなんで真実だとは私には言い切れません。
映画は9割方「金」です。金を出す人がいる限り反日も親日も反中も何でも自在に出来あがります。配給元も金です。お金を出して見る人がいなければ買わないだけのことで、結局「商業的に採算取れないからじゃないかなと思う。」ということだと思います。
1.右翼
2.左翼
3.只の映画ファン
4.戦争映画ファン
5.出演者のファン
6.左右不問歴史マニア
7.流れに乗った普通の人
これら全ての層が揃えばヒットするでしょうが、南京ものについては単に1(はどうか分からないが)、2、4の合計が少なかっただけの事なのに、原因を右翼の妨害等他のせいにする人がいるから見に行きたくないのです。それを見ないで批判とか言われても、見ない自由もあるんで勝手な言われ方をされたくはありませんし、あちらの教科書ばかりか反日ドラマや映画ソースでまで中国人に一方的に批判されるのももううんざりです。
どの「精武門」でも霍元甲が何度も何度も日本人に殺されるのもうんざりです。
まとまりなくすみませんが、エントリの感想です。
個人的には、日本人がどこまで自虐的なのか、疑問に思っています。日本人とは対極的にあると思われがちなアメリカ人も、実は意外と自虐的な感じがします。ブッシュ時代の悪行が、ほぼ同時並行的に次から次へと暴かれていくのを見ると、「そこまでしなくても・・・」と思ってしまいます。まあ、中国ではありえないですが。
しかも、アメリカ人は世界の共通言語である英語を使うので、悪行ぶりがリアルタイムで世界中に知られていくわけですね。言語の壁に守られた日本とは違うように思います。まあ、もともと、日本とアメリカでは世界における注目度が違いますが・・・。
上記とはあまり関係ないですが、
>日本人はまだ負けることに懲りていないのだ、とも思った。つまりあの戦争の戦後60年は日本人にとってさほどつらく厳しく屈辱的なものではなかったのだ。
というくだりには同感しました。
ちょっと補足しておきますと、(戦争に負けたこと以外)日本は何も悪くないと言っているわけではなく、歴史上の話であれば「正当防衛か過剰防衛か」という議論であれば健全ですが、「強盗が夜中に盗みに入って、中の住人が反発したら殺した」という類の主張は、事実を無視したプロパガンダに過ぎないよという話です。
先に手を出したのは実は中国側であって、相手の手を捻り上げれば済むところを気絶するまでぼこぼこに殴ったか、そうしなければ自分が危なかったのか、という違い程度です。
日米開戦についても、歴史上の話をするならまったく同じです。
戦争は悲惨なものですが、あくまでも外交の延長です。
お互い主張を譲らず、お互い許せる一線を越えていたときには、現在よりはるかに簡単に暴力、ひいては戦争という手段が出てきた時代であったのは、忘れがちなので注意したほうがよいかもしれませんね。
To arimaonsenさん
>これはまともな資料を読ませてもらえない中国人にとっては仕方の無いことかもしれませんが、正常な人間の思考回路なら「どちらも悪い」と考えますよ。(外交上は別として、歴史上の話ですが)
>
>北支に日本軍がいたのは条約に則った正当な権利で・・・・・・
>中国側が絶対的に有利な状況で勝てると思って先制し、実際日本軍に多大な損害を与えましたが、結局肉を切っても骨を断たれたと言うことです。
>
>きちんと事実関係を調べれば、直接の発端は全て中国側が口火を切っているのですよ。
~~~~~~~~~~~
横レス失礼いたします。
読んだ感想です。
世の中は基本的に弱肉強食の構造を基に築き上げられ、敗北者が負けた時点で勝者から押し付けられるあらゆるモノを無条件に飲み込むべき存在になってしまう。
少しでも反抗をみせ、その反抗がもたらした結果は敗北者の自己責任になる(自虐的観点???)。
自分の祖国に他国軍が大勢「進駐」するのを甘んじる国民が本当に存在するとは到底思いません。
To xinyuさん
●
>そもそも昔の日本獣軍は誘いもないのに北平、南京まで「進出」するのはおかしいと思わない?
↑
当時の日本には欧米諸国の帝国主義を真似しないで、植民地を持たないでも日本の経済はやっていけるという趣旨の小日本主義を唱えた石橋湛山がいましたし、政府、軍中枢、天皇も支那での戦争を拡大しない意向でしたが残念ながら逆方向へ進んでしまいました。
道理と逆方向に進ませた跳ね上がり軍人、またそれを支持した日本人はおかしかったと認識しているのが今の日本人の大部分だと思います。
支那へ攻め込んだのは正しかったという日本人がいても無視するのが良いと思います。
●
>共産党を感謝すべき、戦争賠償を俺ら国民の同意なく放棄したお陰でlenyさんがすくすく育ってきたじゃないか?
↑
同感です。
ちなみに、わが一家は満州からの引揚者ですが、軍人、政府関係者でなかったため敗戦後は一年ほど満州に足止めをくらいました。その間、中国人から色々たすけてもらったらしく、父は中国人に感謝していました。
To 芥末辛子さん
>世の中は基本的に弱肉強食の構造を基に築き上げられ、敗北者が負けた時点で勝者から押し付けられるあらゆるモノを無条件に飲み込むべき存在になってしまう。
>少しでも反抗をみせ、その反抗がもたらした結果は敗北者の自己責任になる(自虐的観点???)。
>
>自分の祖国に他国軍が大勢「進駐」するのを甘んじる国民が本当に存在するとは到底思いません。
例えば盧溝橋事件のとき、日本軍の駐留軍は何人で、中国側北平(北京)駐留軍は何人程度だと思いますか?日本軍は5,600人、中国軍は100,000人です。
なお、当時英軍1,006人、米軍1,227人、仏軍1823人、伊軍328人も同様にいましたが、日本を含む多国籍軍が北平に駐留していた理由はご存知ですか?義和団の乱で中国人が日本人を含む外国人を虐殺、清に鎮圧を依頼したにもかかわらず清は放置しただけでなく、突然各国に宣戦布告し連合国軍が勝利した結果で、治安を守るためです。
他国の軍隊がいるのが不満と思ったら、その他国の軍隊を攻撃してもよいと思いますか?日本は不平等条約でも交渉で平和的に解決しましたし、現在のイラクが当時の中国と似た立場ですが、平和的に軍隊を撤退させるように交渉しています。
中国はすべて正しく日本がすべて悪かったのだ、という主張はプロパガンダに過ぎませんので反論しますが、正当防衛か過剰防衛かという健全な議論ならば、反論しませんよ。
戦争は悲惨ではあっても外交の延長であって、絶対的な正義も絶対的な悪もないのですから。
To arimaonsenさん
>To 芥末辛子さん
>義和団の乱で中国人が日本人を含む外国人を虐殺、清に鎮圧を依頼したにもかかわらず清は放置しただけでなく、突然各国に宣戦布告し連合国軍が勝利した結果で、治安を守るためです。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
もう一度義和団運動をよくお読みになって見てはいかがでしょうか?断片的ではなく
>中国はすべて正しく日本がすべて悪かったのだ、という主張はプロパガンダに過ぎませんので反論しますが、正当防衛か過剰防衛かという健全な議論ならば、反論しませんよ。
>戦争は悲惨ではあっても外交の延長であって、絶対的な正義も絶対的な悪もないのですから。
>>>>>>>>>>
http://shinoper.iza.ne.jp/blog/entry/805672/allcmt/#C873092
お目汚しになるかもしれないが、戦争に関する私個人の観点になります。
To 芥末辛子さん
ここはそういう場ではありませんので突っ込んだ議論はしませんが、客観的に判断するには、情報を「事実」と「意見」に分ける必要がありますよ。例えば「日本軍がいた」から「悪い」というのは、前者が事実で後者は意見です。
不平等条約が不満・外国人宣教師たちが傲慢だから、他国の公使や一般人に中国人キリスト教信者を殺し、商店や鉄道・電線にいたるまで攻撃の対象として暴れる義和団を鎮圧せず、挙句の果てに各国に宣戦布告した清。
不平等条約が不満だから近代世界に対応して法整備や産業の育成を図り、交渉により条約を改正した日本。
どちらの対応がより正しいのでしょうか?
自分が気に入らない約束なら暴力で覆してもよいと言う人は、事実を主張するには向かないと思いますよ。
To arimaonsenさん
>To 芥末辛子さん
>なお、当時英軍1,006人、米軍1,227人、仏軍1823人、伊軍328人も同様にいましたが、日本を含む多国籍軍が北平に駐留していた理由はご存知ですか?義和団の乱で中国人が日本人を含む外国人を虐殺、清に鎮圧を依頼したにもかかわらず清は放置しただけでなく、突然各国に宣戦布告し連合国軍が勝利した結果で、治安を守るためです。
馬脚がでましたね。第一世界大戦と第二次世界大戦の話すら混同しているんだから、あなたのいっている「すべてが中国が先に挑発した結果だ」という話はそもそも信用できますか?
盧溝橋事変のときに、なぜ日本軍がそこで駐留していたかは、満州事変あたりからよく勉強してください。満州事変はあなたのいう平和的解決ですか?その満州事件の後、中華民国は平和的解決手段を求めて国際連盟に提訴しましたが、国際連盟に派遣されたリットン調査団の報告を不服として、松岡洋介が机を蹴っては国際連盟を脱退しましたね。そういうまともに話ができない相手である日本とまともに話しても解決できないと中華民国が判断したから、その後のさまざまな軍事衝突を引き起こす理由ではないでしょうか?
To iza0315さん
>馬脚がでましたね。第一世界大戦と第二次世界大戦の話すら混同しているんだから、あなたのいっている「すべてが中国が先に挑発した結果だ」という話はそもそも信用できますか?
混同している?第一次世界大戦?
事実関係を調べれば、第一次世界大戦や満州事変なんて関係なく、北平に日本軍を含む連合軍が駐留していた条約は北京議定書によるというくらいすぐわかりますよ?
何か混同していませんか?
>盧溝橋事変のときに、なぜ日本軍がそこで駐留していたかは、満州事変あたりからよく勉強してください。満州事変はあなたのいう平和的解決ですか?その満州事件の後、中華民国は平和的解決手段を求めて国際連盟に提訴しましたが、国際連盟に派遣されたリットン調査団の報告を不服として、松岡洋介が机を蹴っては国際連盟を脱退しましたね。そういうまともに話ができない相手である日本とまともに話しても解決できないと中華民国が判断したから、その後のさまざまな軍事衝突を引き起こす理由ではないでしょうか?
間違った知識を振りかざして、勉強してくださいというのはよいとしても、リットン調査団の報告を本当に知っているのですか?わかりやすくいうと、「日本の行動は過剰防衛だ」に尽きますよ?
それこそ「正当防衛か、過剰防衛か」という話で、日本は正当防衛を主張して認められなかったんですが?後日マッカーサーは日本の行動を正当防衛であったと認めていますが、満州鉄道の権益を阻害し、暴力という手段に先に出たのは中国側ですよ?
それに直接的には上海事変としても、盧溝橋事件で現地の休戦協定を中国が破り、攻勢に出て日本軍に負けて、日本軍が一方的に兵を引いた状態で、上海事変が始まっているのですから、盧溝橋事件までであればまだ南京事件と係わり合いがあるといえますが、ちゃんと休戦協定が結ばれて直接関係ない満州までさかのぼるのですか?時系列と事実関係を把握してますか?
そうやって都合のよいところまでさかのぼろうとするから、「ペリーを連れてこい」といわれるのですが?
福島さま
いまとなっては時間がたちすぎて、あったとかなかったとか判別し難いですね。中国人は嘘をつくかもしれないけれど、日本人は嘘つかないなんてのも間違いだと思います。
明白で納得できる証拠がないので、なかったということでよいと思います。証言だけで誰かを殺人犯だの強姦犯人というのは、冤罪を生む元です。こないだしてもいない殺人を自白してた、おもしろい人もいましたし。新聞記者だったわけですから、自分の思い込みで誰かを犯人に仕立てあげたりしないですよね?
福島さん、
はじめまして。いつも貴姉の客観的かつ、バランスのとれた報道?に
感心しながら、楽しんでいます。
南京事件は小生のような太平洋戦争当時の小国民にとって、とても信じられない事件であったようですね。我々のご先輩が大虐殺などということをやるなんて、日本人として、文化的、歴史的にもとても考えられないことではありますが、戦後、中国から復員してきた方々から、ちょっと聞いたことから
連想すると、戦争という非日常的な環境の中で、人間ばなれした獣性が出てしまうこともあったのかなとも思います。ただ、中国が公式的に宣伝している規模からいったら、多くて10分の1程度のことだっろうとは思いますが。
なぜ、貴方はCSplayさんにコメントレスしない。
Tenyoufoodさんの莫大なコメントが貴方のブログから突如消えても、何も感じないようですね?
やはり、貴方はその程度の人だったとがっかりします。
南京大虐殺認めようとしないくず小日本は永遠の敵
ならばこっちも戦争しかけておなじことすれば
証拠残らずにきれいに殺せばいいんだろう
くそジャップウヨみんなしね
日本に住む中国人です。福島さんの「歴史の真実」という分析を納得します。南京映画祭を見に行きました。日本だからこそ見られたという感想でした。
福島さんのこの文章は陸川監督に読ませたいです。去年7月(8月かも)のある日曜日の産経新聞は福島さんの文章を載せました。陸川監督の南京映画に関する記事でした。その記事は陸川監督に渡しました。特に唐生智のことを彼に紹介しました。